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単なる栄養接収ではなく食事を楽しみたい。

食事を楽しめていないようだなと自覚しているお話。(今更)

なぜ楽しめないだろう。

AIに聞いたところ
食事には執着がないか食べ物に不安があるか、どっちからしい。

私の場合だとどっちでもある。
執着がないことはある、ごはんや食べ物はなんでもおけ。
食べれない、健康に良くないと認識している食べ物以外なら。

一方で体にはよくないと認識すると無意識で避けてしまう癖があり
ある意味執着があるとも言えるでしょう。

でも、食事・食べ物に不安が持っていると言える。
とても不安だ。太るのはとても怖い。満腹感が感じられない時がある。
恐らくストレス食いであり、やらないといけないことから
逃げているだろう。

本来、食事は楽しめるものだ。

改めて食事を楽しめるとは
自分の言葉になるけど
今食べていることを知っていること。
どいう色なのか、どいう味なのかその瞬間は食べ物と食べることだけで集中できる。
瞑想するようなその時はゆっくりで食べること自体を楽しむことだ。
他は何も考えていない。

また、ご飯は一緒に誰か食べたり家族で囲まれるイメージがあるけど
よく考えてみたら大人になってから家族と食事会も少なく
子供の頃もテレビなどに夢中になって家族と食事を楽しめなかった。

現状は時々飲み込むような食べ方だし、何かで急いでいて
早く食べ終わらせようとする。

確実にご飯を楽しんでいなく
言い換えると単なる栄養接収のような作業でしょう。

遅いけど遅くても改めて食事と向き合う必要だ。


今までのご飯の時間を振り返ってみたら
ご飯だけで集中していた時はよく覚えているし、穏やかな時間で幸せだった。

他人では当たり前で出来ているかもしれないけど
私はこれから食事を楽しむようにしたい。

人生でのちゃんと生きる年数は60年とすると
近く半分は色々無意識で何となく生きてきたとふと思った。

ただ、これからは自分の意志で生きることを決めて
食事だって意識したい。食べ物に逃げるのをやめて食べ物と向き合っていき、楽しめるようにしたい。

※この文章を書いても同じのようにまだ食事を楽しめていなかった。
何回もそうやって栄養接収したら思い出した!こいうことを書いた私は。

ご飯を食べるたびにこの文章を書いたことを思い出してすべて削除してご飯にも自分にも向き合っていく。




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