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雑記帳 「世間とは」

見えない縛り

世間とは漠然とした社会通念。
あるいは社会的監視の目か。


個別性が重要視されるようになっても、
日本には世間を気にする感覚が残っています。
著名人が離婚したとか浮気していたとか、などのニュース。
当事者の人が「世間の皆様にお詫び申し上げます。」と言っていました。



自己責任とか、個人の自由が尊重される世の中ですが、
まだまだ日本人は強く世間を意識します。
たぶん、意識する人が多いと思います。
この日本において個人の自由とは、
まだそんなに自由でないような感覚があります。

もちろん著しくモラルを逸した言動や犯罪に当たるような行為を、
自由にやっていいわけありません。
それは抑えられるべきです。

しかし、何かそうではない縛りがあるような気がします。
その見えない大きな存在は、社会全体を包み込んでいるようです。




かつて世間から、強くプレッシャー感じる時代がありました。
介護保険が施行されて間もない頃、地域によっては村社会の文化が残っていて、

いわく
「家長の言うことには従え。」
「親の介護は嫁がやれ。」
「親の面倒を人に見てもらうなんて、世間に恥を晒すわけにはいかない。」
などなど。

世間の常識に従え、という声がたくさんあったわけです。
実際にこういう声を前に、介護サービスの導入を断られた経験があります。

時代を経て、社会を取り巻く環境は大きく変化してきました。
人の生活スタイルも随分と変わり、多様化しています。
しかし、未だに個人を縛る目や声、壁がたくさん残っているように感じます。
むしろネット社会になってから、世間も姿形を変えて
大きく広がりを見せているようです。
特にこの日本においては独特の形で。
そして残念ながら、世間が人を傷つけ悲しい結果を招くことがたくさんあります。


介護保険制度では地域包括ケアシステムの深化、推進が掲げらています。
地域包括ケアシステムと言ってもなんだか実感がありませんが、
個人的一つの解釈として
「地域の中で、いろいろなリソースがお互いを支え合うために機能すること」
だと理解しています。

お互いを支え合える地域とは、いわば範囲を限定した世間です。
世間=地域が厳しいものであっては、
とても地域包括ケアシステムは成り立ちません。
身の振る舞いを律するため厳しい世間があっても良いのかもしれませんが、
これからはお互いを支え合う、優しい世間が必要です。

話したいことが話せること。
聞いてほしいことが聞いてもらえること。
やりたいことができること。
そんな個人の自由を後押ししてくれること。

世間とはそうあってほしい。
構成する一人ひとりが、そうなっていくことを目指したいです。

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