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スクロールした先に

都会の夜は眠らない。
救急車のサイレンは鳴り響く。

都会の中心にある総合病院の救急外来で働く私は、忙しすぎてまともに休憩もとれない。ひっきりなしにくる救急車とウォークイン患者の対応に追われていた。

準夜勤の仕事が終わったのはAM1時。

仕事が終わり私は、病院の目の前の大きな公園のベンチに座りICUで働く莉子を待っていた。
普段まじまじと見る事がない職場を目の前にして、想像以上に大きく見える。沢山の窓の光はほぼ消えており、屋上にあるドクターヘリも羽を休めている。

景色と一体化し静止しているように見える病院も、数カ所の光がもれる窓の中では、皆んな忙しく戦っているなんて想像もつかないだろう。現場ではコロナはまだ終わっていないのだから。

緊急事態宣言をうけて1年。

国民はいろんな制限に限界がきていた。毎日毎日、マスクやワクチン、黙食についてネットやテレビなど賛否両論が溢れかえる。

どれが本当かなんて証明されておらず、そして誰にもわからない。少しずつ制限も緩和されているが、病院は緩和とは程遠く、飲み会や集まりは禁止され黙食を貫いている。

「葵(あおい)ごめん!遅くなった!」
「大丈夫大丈夫。忙しかった?」
「術後の人がリオペになって大変だった」
「わぁ……それはおつかれおつかれ」
「葵は?」
「発熱の人80%の確率でコロナだった」
「えーー!やっぱりまだ多いんだねー」
「だね」

莉子がにこにこしながら、手にぶら下げていた白いビニール袋を私に見せる。そこからビール缶を取り出し、差し出してきた。

ビール缶にはピンク色の桜の花がラッピングされ春爛漫咲き乱れている。
しかし、桜の開花はあと数日先で、この公園の桜もまだ開花してない。

「莉子……花見っていうより、これ枝見だよね?」
「あははは。枝見とか初めて聞いた!あ……!待って。ちょっと歩いていい?」
「え?歩くの?いいけど……」

公園を抜けて5分程歩くと川沿いに出た。川沿いは桜の並木道になっていた。最近洒落た水上カフェができたとは聞いていたが、桜並木には気がつかなかった。莉子がつれてきたベンチの横を見ると、一本だけ、若い桜の木が5部咲きとなっている。

「凄い!咲いてる!」
「でしょう?今日仕事来る時見つけたの!」
「莉子ナイスー夜桜いいねー♡」

街灯に薄明るく照らされる桜。
マスクをつけたままお互いの笑顔は目元しか見えていないが、マスクの下では口角があがっているのをお互い知っている。

缶ビールで乾杯し、疲れたカラカラの喉を潤す。炭酸が喉を刺激し、暑くなっていた身体も心地よく溶かしてくれる。
そして、お互い何も言わずまた当たり前のようにマスクをつけた。

「実はね。葵に話しあるんだけどさ……」
莉子は、そう言ってから言い出しにくいのか、なかなか本題に入らない。テキパキ話すいつもの莉子ではない。
莉子の話の内容が気になるが、久しぶりの莉子と過ごす時間が楽しくて、急かさずにのんびり待つことにした。

風も心地よいし星空も綺麗で、人もいない。これでご馳走があったら最高だったのに!と花より団子の考えが浮かんだ時だった。

「実は……私……。結婚することになった」
「えー!!おめでとう!!琢也(たくや)と?」
莉子はにんまりした顔で頷く。

「嬉しい!よかったね〜!おめでとう!」
あまりの嬉しさに興奮してしまい、莉子に思わず抱きついた。

「ありがとう!それでね……琢也が4月から転勤で大阪に行くから私も行くの……」
「え??……仕事辞めるってこと?」
「急なんだけど、そうなる。それを言いたくて……」

親友の結婚が決まりとびきり嬉しいのは嘘じゃないのに、その気持ちを飛び越えて寂しい。私は自分のこの気持ちの浮き沈みに自分勝手だと思った。
後から考えれば、莉子がわかるくらい一瞬にして私は悲痛な顔になっていたと思う。

「送別会はこれで。今日のこの夜桜の会でいいよ」
「えぇ!!」
「この時期にしなくても、これから先も私達変わらないよね?」
「うん。当たり前だよ!でも……」

私はこれ以上言葉がでなかった。
親友との別れが、こんなにあっさり送り出すことになるとは想像もしてなかったし、だからといって病院からの制限で今の自分には何もできない。

何もできない自分とこの制限ばかりの世界に何だか悔しいと思ったし腹がたった。

救急外来で働く私は、感染対策をしているが、やはり感染のリスクを背負っている。知らないうちに誰かにうつしてしまうのが1番怖いのだ。

幸せになる親友へうつしてしまったら……と考えると、特別な思い出作りをしたいなんて強くも言えない。きっと莉子も同じ考えだ。

お互い相手が大切で、思いやる選択をしたのだと思う。その思いが痛い程伝わり、2人で桜の下で涙を流した……。

——そうだ。いろんな事がどうにもできなくて、夜桜見ながら泣いたんだったなぁ……。

私はスクロールする指を止め、スマホに保存された一枚の写真に目が止まった。

写真には、夜桜の側でお揃いのパーカーのフードを被り、マスクをした私と莉子。その表情はマスクをしていてもわかる程、目をキラキラさせ、眉尻が上がる。

あの緊急事態宣言から5年が経過し、世の中はまた元の生活に戻ってきた。コロナも普通の風邪近くまで弱毒化してきた。

あの頃は、日常の当たり前が壊され、悲しい事ばかりで、楽しみを奪われてしまう事が当たり前で、そこにぱかりスポットライトが照らされてしまい日本中が……いや世界中が悲嘆に溢れていた。

それでも、太陽はいつものように世界を明るく照らし、いつものように花は美しく咲き、虫や鳥達は優雅に飛んでいた。しかし、人間だけが日常を逸脱し、いつもと同じ空気さえもなんだか違うような気がして、楽しい事なんて何一つない異世界で生きている感じがした。

私達はあの頃、悲しみばかりだったような気になっていたが本当にそうだったのか……?

少なくとも、コロナ禍時代のスマホに眠る私の写真は、莉子との楽しい思い出がスクロールする先にずっと繋がっている。
悲しいことが沢山あったが、楽しい事が全くなかったわけではない。

平和な日常はいろんなものが溢れすぎていて、それに慣れた私はわからなくなっていた。
本当は、美味しいものを一緒に食べなくても、ただ莉子と会えたり、話したりと当たり前にできる事が幸せだったのに……。
今、莉子と離れてその本質に後から気がついている。

真っ暗なトンネルを抜けると、新幹線の中には一気に光が入り明るくなった。
車窓いっぱいに大都会の街並みが現れ、退屈な乗車時間も終わりをつげる。

新大阪駅の到着を知らせるアナウンスが流れた。

もうすぐ莉子に会える——


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