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死せる工場、復活す―ビクトル・エリセ『割れたガラス』



Ⅰ 奇跡を描き続けて

    親愛なるエリセ

   あなたのドキュメンタリー『割れたガラス』(2012年のオムニバス映画『ポルトガル、ここに誕生す〜ギマランイス歴史地区』所収)を初めて観たときは、そのよさがよくわかりませんでした。

※予告編の、52秒〜1分19秒が『割れたガラス』の紹介です。53〜56秒が廃墟となり、窓ガラスが割れた工場のショットです。工員たちの写真は1分5〜1分18秒をご覧ください。

※英語字幕ですが、37分の本編もご覧になれます。

 あなたは新作『瞳をとじて』で、手のうちを明かしてくださいました。すべての画面が絵画的で、映像の魔術師のように思えたあなたは、カール・ドライヤーの『奇跡』(1954)に言及し、『奇跡』に倣って、映画俳優だった男と、映画監督だった男の復活を描いて見せました。二人をイエス・キリストになぞらえながら。復活の舞台は閉館した映画館です。死せる映画館で映画が上映されることで、映画館もまた復活していました。

 あなたは実はこれまでも、死者の復活という奇跡を描き続けてきたのではないか、そんな仮説を持って、再度『割れたガラス』を観ますと、あなたの発想のすばらしさに気づくことができました。

Ⅱ 『奇跡』に倣いて

 1 工場の復活


 映画では、2002年に閉鎖した紡績繊維工場の食堂を舞台に、かつて工場で働いた9人が思い出を語ります。『割れたガラス』というタイトルは、閉鎖によって時が止まり、工場が死んでいることを意味するのでしょう。それが、かつての工員が工場にまつわる記憶を語ることで徐々に復活するのです。『瞳をとじて』で、映画監督だったミゲルが、記憶を失った元映画俳優のフリオのために、閉館した映画館で映画を上映することで、死んでいた映画館が復活を遂げるように。

 2 レオナルド・ダ・ヴィンチに倣いて

 復活を果たす工場はイエス・キリストのようですが、その印象を強めるのが、一枚の写真です。食堂でかつての工員が語るとき、その背後には、食堂で一堂に会して食事をとる工員たちの写真が貼られています。工員たちの前にあるのは、パンとスープ、そしておそらくぶどう酒です。イエス・キリストの体である工場を、工員たちが分かち合っているようにも見えるのです。最後の晩餐で、十二使徒がイエスの体だと思ってパンを食し、イエスの血だと思って、ぶどう酒を飲んだように。
 レオナルド・ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」で、十二使徒とテーブルを囲むイエスを描きましたが、このダ・ヴィンチの絵もまた彷彿とさせられます。

食堂の昼食
レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」

 3 負のイエス

 かつての工員たちはみな農村出身で、12〜14歳という、低年齢で働き始めています。工場はかつて、非熟練労働者に、大量の雇用という福音をもたらしたことがわかります。

 しかし、工場は必ずしも福音だけをもたらした訳ではありません。工場で3回にわたって手をケガしたという男性や、工場の騒音のせいで、鼓膜の移植手術を受けたという女性の話からもわかるように、労災がつきものでした。また、二人の女性が、授乳のために30分しか時間が与えられなかったと話すことからもわかるように、産休や育休、保育所も存在しませんでした。

 また、工場は、自らの命を犠牲にして、全人類に無償の愛を示したとされるイエスのように、労働者にパンを無償で与え、無償の愛を注いでいた訳ではありません。いくばくかのパンと引き換えに、資本家は労働者を搾取していました。10人目に、戯曲『資本』で、カール・マルクスを下敷きとした、カルロス・マルケス役を演じたことのある役者が登場します。彼が熱演することで、工場は、労働者の搾取という、マイナス面を持ったイエスであることが明らかになるのです。

 4 工員の復活


 最後の11人目に、両親や祖父母が工場で働いたというアコーディオン奏者が登場し、カメラが写真の中の一人ひとりの眼差しを追うのに合わせて、アコーディオンを弾きます。写真の中の人々はすでに故人となっています。彼らの眼差しを丁寧に追うことで、死んだ彼らもまた復活を遂げるのです。

 撮影は、スーパーインポーズが示すように、5月7日から10日にかけて行われてます。2012年に公開されていますので、撮影は2010年か、2011年でしょう。2010年に撮影されたとすると、金曜日から月曜日にかけての撮影ということになります。福音書の記述によると、イエスが十字架についたのが金曜日で、日曜日に復活しています。映画は3日間で復活したイエスを、4日間で復活させているのです。 

Ⅲ   福音書と讃美歌に倣いて

 十二弟子ならぬ、11人の弟子がイエスのごとき工場の思い出を語り、最後に写真の工員たちの眼差しを順ぐりに追いながら音楽が流れ、「1845年から2002年までリオ・ヴィゼラ紡績工場で働いた全ての男女に捧ぐ」という言葉が映し出されます。

 この構造は、イエスの復活の再現であると同時に、福音書記者―彼らは十二弟子の話も伝え聞いたことでしょう―によってイエスの言動が記され、イエスの働きを称えるために讃美歌が作られたことを彷彿とさせます。

 スーパーインポーズは、まず日付が映し出され、その下に白い手書きの文字で、今まさに書いているかのように画面上に現れます。これは、ロベール・ブレッソンの『田舎司祭の日記』(1951)を思わせます。ブレッソンは、田舎司祭が毎日インクで日記を記す、その手もとを、書かれつつある文字を、現在進行形で映し出しました。

手書きの文字によるスーパーインポーズ

※予告編の41〜42秒に、司祭が日記を書くショットが登場します。

 福音書記者のごとき映画の作り手は、イエスの言動を記録するために、日記を書いた田舎司祭に倣ってペンを持ち、カメラを回すのです。イエス・キリストに擬せられているのは一見すると、工場のようですが、その実、資本家に代わって、肉体労働に従事し、自己犠牲を払った工員たちです。そして、工場ではなく、工場で働いた全ての人々に対して、讃美歌ならぬ、讃美の曲を捧げているのです。

Ⅳ テオ・アンゲロプロスに倣いて

 かつて生きた人々の写真を映し出しながら曲を流すという試みは、テオ・アンゲロプロスへの応答でもあります。アンゲロプロスは『エレニの旅』(2004)のクレジットタイトルで、オデッサに暮らしていたギリシャ人たちの複数の写真をテーマ曲とともに映しだします。エレニの恋人アレクシスはアコーディオン弾きという設定で、劇中でもテーマ曲を奏でます。

『エレニの旅』のクレジットタイトル

※テーマ曲は予告編に流れています。

『エレニの旅』のテーマ曲は、様々な戦争で亡くなった人々へのエレジーとなっていますが、それをあなたは、資本家に代わって自己犠牲を払った人々へのエレジーへと書き換えてみせたのです。

Ⅴ タルコフスキーに倣いて

 『割れたガラス』で二番目に登場するのが、廃墟となり、窓ガラスが割れた工場のショットです(予告編の53〜56秒)。地面には、水たまりがあり、水が滴る音が聞こえてきます。このショットは、タルコフスキー『ノスタルジア』(1983)を思わせます。

 『ノスタルジア』は、詩人の、空間的に離れたロシアへの郷愁と、時空ともに隔たった原始キリスト教への郷愁、イエスの言葉が人々の胸に響いた時代への郷愁を描いていました。

※廃墟のショットは、51〜54秒をご覧ください。

 あなたは、『ノスタルジア』と問題を共有していることを、二番目のショットで示しています。二千年前の、イエスの生きた時代に思いを馳せ、イエスが復活したように、工場で働いた人々を復活させようとするのです。

 あなたの映画は、何度も見直すことで、新たな魅力に気づかせてくれます。あなたの眼差しに出会うことができて、心から感謝しています。

※『瞳をとじて』が『奇跡』の書き換えと、テオ・アンゲロプロスの復活を試みるものになっていることについては、『瞳をとじて』のレビューで詳しく書いています。ご興味を持たれた方は、そちらをご覧ください。


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