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わたしが冒険家だったころ〜ギャングエイジ時代

    「冒険」の道

 
 八才くらいの頃、わたしは、ちょっとした「冒険」にハマっていた。

「冒険」といっても、なにせ八才なので、たいしたことは出来ないのだけれど、毎日のくり返しをちょこっと逸脱して、いつもと違うことをやってみることを、わたしは「冒険」と呼んで、得意になっていた。

 その頃わたしの家族は、市役所の出張所の管理人室から引っ越して、郊外の県営団地に住みはじめたところだった。

 国道から、急な坂道を登ったところに、その団地はあった。一棟一棟、独立した縦長の建物が、坂道に沿って六棟くらい建っていたように記憶している。側面がでこぼこしたテトラ型をしており、それぞれ四階建てだった。

 真四角な棟が列んでいる団地とは違って、一風変わったデザインの団地だったので、わたしは、自分が、とてもハイカラなところに住んでいるつもりでいた。

 引っ越してすぐにお誕生日が来て、わたしは八才になった。妹はやっと二才になったところで、母はまだ妹の世話に追われていた。おかげでわたしは、母の視線から比較的自由でいられたのである。

 新しい町に移り住んだばかりのわたしは、とにかくワクワクしていた。

 小学校も、徒歩通学から、バス通学になった。そこで、「冒険」は、バス停から始まったのだった。

 国道の、坂道を下りきったところに、最寄りのバス停があって、学校帰りは、本当はそこで降りて坂道を登れば、五分以内に家に着く。

 まだ通学に慣れていないある日、わたしは間違って、ひとつ手前のバス停で降りてしまったのだ。

「どうしよう。」と、こわごわまわりを見回してみたら、砂利を敷きつめた小道が見えた。

 覗いてみたらその道はまっすぐで、先は登り坂になっており、国道を渡った、坂道の真下に通じているのが見えた。

 「なぁんだ。大丈夫だぁ。」

 安心したわたしは、その砂利道を歩いて帰ってみることにしたのだ。

 道路の片側は山、反対側は、田んぼだった。歩いている人は居なかった。

 並木がうっそうと繁っているので、昼でも少し仄暗い。静かで、風が吹くと草の香りがした。

 引っ越したのは秋。その道は、虫の声にあふれていた。並木の間から除く空は真っ青で高く、風は爽やかだった。

 国道と隣り合っているのに、山に遮られているせいか、車の音もあまりしない。踏みしめて歩く砂利の音のほうが近く響く。山の中には紅葉も見えて、綺麗だった。

 わたしはしだいに、この「冒険」にハマって、雨や風の強い日以外は、ほぼ毎日、この砂利の道を通って帰るようになっていった。

 秋から冬になり、雪が降った日もまた、楽しかった。あまり人が歩かない道なので、真っ白な雪が、手付かずで残っている。

 歩く度に「ズボッ、ズボッ」と音がする。雪だるまになったかのように、雪まみれになって帰宅し、母に驚かれたこともあった。

 春は春で、タンポポが一面に咲いた。雨が降ったあとの水たまりには、あめんぼがたくさん涌いていた。

  四季折々の風景を、わたしは、その砂利道の「冒険」で、存分に楽しんだのである。

「冒険」の道は、光や影や木々のささやき、雲の流れ、自然の音の、景色にもたらす効果、などを、こどものわたしに、とても優しく教えてくれた。


   かたつむりの道

 
 「冒険」と称して、まわり道をして通学していたわたしも、やがて三年生になった。

 ほぼ毎日、そのまわり道を通って通学するようになっていたので、「冒険」の道は、もはや日常の通学路になってしまっていた。

 好き過ぎる道だったので、帰りだけでなく朝も通りたくて、少し早く家を出て、その道を小走りに走り抜け、次のバス停から乗ったりしていたくらいだった。

 でも、そんなことは、家族は誰も知らなかったし、わたしも自分だけの秘密にしていた。

 そんなにも大好きな道だったのに、ある時、ある事件を境に、わたしは、もう、その道を通ることはなくなった。

 一体なにがあったのか。。

 それは六月のことだった。少々の雨なら、わたしは、ひとつ手前のバス停で降りて、その砂利道を帰っていた。

 道の両側には、あじさいの花が咲いていた。そして、その葉っぱの上には、可愛らしいかたつむりが乗っかっているのが、ときおり見つけられた。

 わたしはかたつむりが大好きだった。見つけると葉っぱに寄っていって、話しかけてみる。

 「かたつむりさん、こんにちは。今日のご機嫌はいかが?お元気ですか?」

 もちろんかたつむりは答えることはないのだけれど、でも、つのを出してみせたり、歩いてみせたりしてくれる。

「かたつむりさんはのんびりだねぇ。」

 ゆっくりゆったりすすむかたつむりは、わたしには「のんびりやさん」に見えたのだ。

 かたつむりさんのすすんだあとには、ぬるぬるしたスジが付く。そのスジの道すじも面白くて、わたしは飽きずにながめた。

 そんな風にして、かたつむりさんと過ごしていたのだけれど、梅雨も半ばにさしかかった頃、雨が連日降り続き、「冒険」の砂利道は水たまりだらけになった。

 水たまりが深くなりすぎて、長靴にも水が入ってくるようになったので、さすがのわたしもあきらめて、仕方なく、一番近いバス停まで乗って帰るようになっていた。

 そんな日が何日も続いたあと、ようやく雨は止んだ。梅雨の晴れ間が数日続いたので、もう水たまりも乾いた頃だろうと、わたしはしばらくぶりに「冒険」の道に降り立った。

 「やっと来れたー!」

 うれしくてうれしくて、バスから降りたわたしは、半分踊るように砂利道に向かった。そして、走りながら道に入って行ったのだった。

 両側から木が繁っているので、水たまりは、まだちゃんと乾いてはいなかった。それでも、長靴から水が入ってくるほどの深さはもうない。

 「大丈夫だぁ。」

 あじさいもまだ咲いている。わたしは、あじさいの葉っぱの近くまで走って行った。

 その瞬間、聞いたことのない音を聞いたのだ。

 「え?」  

 「今の音は何?」

 それは、「ジャリ!」とか、「ブチッ!」とか、と聞こえる音だった。

 わたしはしゃがんで、足もとをよく見た。

 そしてそこに、信じられない光景を見た。

 わたしは、可愛らしいかたつむりさんを踏みつぶしていたのだ。聞いたことのない音は、わたしが、かたつむりさんを踏みつぶした音だった!

 連日の雨降りで、あまり陽の当たらないその道には、かたつむりが異常発生していた。道一面に、それこそびっしりと、かたつむりが敷き詰められていたのだ。

 「かたつむりさん、ごめんなさい!」

 知らなかったとはいえ、わたしは一体何匹のかたつむりを踏みつぶしてしまったことだろう。

 石だと思って踏んだのが、大好きなかたつむりさんだったと知ったときの驚きと哀しみは、何十年も経った今でも容易には忘れられない。

 わたしはもう、泣くしかなかった。その場に立ち尽くし、ただただ泣いていた。「冒険」の道の入り口で、わたしはしばらく、ただずっと泣いていたのだ。

 引き返そうとしても、また、何匹かのかたつむりさんを踏まなければいけない。でも、このままではおうちに帰れない。

 「どうしよう。」

 泣きながら考えた。そして、しばらくして、わたしは決断したのだ。

 「ごめんなさい!許してね!」

と言いながら、つま先立ちで、道を引き返した。何匹かのかたつむりさんを踏みつぶしてしまう音を聞きながら。。。

 人生には、どうしようもなく、「究極の選択」というものを迫られることがあるのだ、ということを、その日、わたしは生まれて初めて知った。

 あんなにも大好きな道だったけれど、わたしは、かたつむりさんを踏みつぶしてしまったという後悔から、かたつむりさんに申しわけなくて、その日から、もうその道のことは忘れてしまいたい、と願うようになった。

 それっきり、わたしは、ひとつ手前のバス停で降りることをやめた。

 朝も、その道を走り抜けることはしなくなった。

 そうして、「冒険」の道は、いつしか、「かたつむりの道」になった。

 「かたつむりの道」を思い出す時、わたしは自然に手を合わせる。あの日、踏みつぶしてしまったかたつむりさんたちのことをどうしても考えてしまうのだ。

 楽しかった「冒険」の道の思い出は、なくなりはしないけれど、「かたつむりの道」で起きたことは、わたしの子ども時代のなかでもとびきりの苦い思い出として、今もこころのなかに残っている。


   山ツツジの咲く裏山


 わたしたち家族が団地に引っ越した時、妹は、まだ二才になって間もなかったのだけれど、坂を登りきったところに、やがて四才になったら通うことになる幼稚園があった。

 その幼稚園の敷地のわきには、「ご用のない人は入れません。」と書かれた立て札が立っていた。

 幼稚園の裏手には、まだ造成されずに残っている、かなり広い山があった。

 立て札のある道から入っていくと、ちゃんと歩ける山道があって、その道は、隣町の大きな沼まで続いていた。

 わたしが三年生になって、少し経った頃の、ある日曜日、父が、「幼稚園の裏手の山道を歩いて、沼まで行ってみよう。」と言い出した。

「ご用のない人は入れません、て書いてあるよ。」

 と、わたしが言うと、父は、

「大丈夫だよ。ご用があるんだから。」

 と、言った。

 さて、それから、母は、家族分のおにぎりを握った。そして、水筒に温かいむぎ茶を入れて、お菓子も持って、私たち家族は、幼稚園まで坂を登った。妹は、まだ、母の背中におんぶされていた。

 「何のご用があるの?」

 と、わたしが父に聞くと、父は、

 「ついてきたらわかるよ。」

 とだけ言った。

 「ご用のない人は入れません。」の立て札をすり抜けて、私たち家族は、幼稚園の裏山に入って行った。

 初めて入る道はワクワクする。道は、思ったよりはちゃんとしていて、わりと広かった。

 ただ、そうは言っても、片側は切り立った崖だし、その反対側は、うっそうと木が繁っているけれど、もし足を踏み外したら、たちまち転がって落っこちて行ってしまいそうな崖なのだった。

 父は、先頭に立って、どんどん歩いて行く。わたしは、父と、後ろの母に挟まれて、守られながら歩いていた。

 しばらくして、少し広い、草原に出た。すると、父は、

 「ここでおにぎりを食べよう。」

 と言った。

 私たちは、持ってきたビニールシートを敷いて、母のおにぎりを食べた。むぎ茶を飲んで、お菓子も食べた。

 「さぁ、出発!」

 お腹がふくれて元気になった私たちは、また歩き出した。

 「もうすぐだぞ。」

 と、父が言った。

 すると、父が言った通り、少し先の、切り立った崖のあたりが、朱色に染まっているのが見えてきた。

「なんだろう、あんなに赤いなんて。」

 やがて近づくと、やっと正体がわかった。

 それは、崖一面に咲き誇った山ツツジだったのだ。まるで朱色のじゅうたんのようだった。

 「すごいねー。きれいだねー。」

 父は、誰かから山ツツジのことを聞いて、家族に見せたくなったらしい。

 お天気が良かったので、お日様に照らされた一面の山ツツジは、朱色だけれど、金色に輝いて見えた。

「山ツツジは、特別にきれいなんだよ。」

と、父は言った。

 私たちは、そのまま歩いて、沼まで行った。沼ではカエルが水浴びをしていた。沼の近くに、その頃父が買った土地があったのだ。その土地もみんなで見学した。

 父は、その頃は、少し出世していて、沼の近くと、国道から見える山の中に、それぞれ小さな土地を買っていたのだった。

 「ご用のない人は入れません。」の立て札は、妹が幼稚園に入ったあとも、ずうっとあったけれど、私たちは、山ツツジの季節になるたびに、立て札をすり抜けて、金色に輝く山ツツジを鑑賞しに行った。

 やがて、時が経ち、父は、沼近くの土地は売って、山の方の土地に家を建てることになった。

 住み慣れた団地を引っ越す少し前に、父は、一人で裏山に行って、ちゃっかり小さな山ツツジを挿し木用にもらって来た。

 「ちょっぴりだから、大丈夫だ。」

 と、父は笑っていた。

 父は、自分が建てる家の庭に、山ツツジを挿し木したいほど、そんなにも山ツツジが好きだったのだ、と、父の山ツツジへの一途なおもいに、わたしはすっかり感心したのだった。

 その時の山ツツジは、父亡き今も、実家の庭に植わっている。

 それでも、切り立った崖一面に、金色に輝いていた、野生の山ツツジの美しさを、みんなで観ていたことを、わたしは、忘れない。

 

  わたしだけの隠れ家


 「かたつむりの道」のできごとのあと、わたしは少し臆病になってしまった。少しの間、「冒険」はしないことにした。決められた通学路を守り、より道はせず、おとなしく帰宅していた。

 でも、そんな毎日はたいくつなので、わたしは、しだいに、また別の、自分だけの楽しみを、何か見つけようと考えはじめていた。

 ある日のこと、学校帰りのバスに乗っていたわたしは、ひとつ手前のバス停を通り過ぎたとき、バスの窓から、ある「気になる場所」を見つけた。

「かたつむりの道」の、山側のほうの真ん中あたりに、崖の中から突き出すように繁っている、一本の木が見えたのだ。その木の下は、少し平らになっていて、道があるようにも見えた。

 ーー面白そうな場所だ。行ってたしかめてみたい。

 帰宅するとすぐに、わたしは、家にランドセルを置いて、母に、

「ちょっと散歩してくるね!」

 と言い残し、外に出た。国道の舗道を少し戻ると、案の定、その山に登れるわき道が現れた。

 わたしの住んでいた団地は、その頃は、山を切り崩して造成しているさなかだったので、まだ造成されていない部分のところどころに、むき出しの山が残っていたのである。

 わき道を、ぼうぼうに繁った草をかき分けかき分け進むと、バスの窓から見えた、崖から突き出すように生えている木が見えてきた。

 「あれだ!」

 思わず早足になる。思ったとおり、崖の下は平らで、少し広場のようになっていた。

「これならバッチリだ!」

 大きな石や丸太がそばにあったので、わたしはそれらを木の下まで運んで、足場を作った。そうして、滑らないように気をつけながら、ゆっくりと、突き出た木によじ登ったのだ。

 木の上はそよそよと風が通り、気持ちが良かった。そのうえ、すごく眺めが良い。

 国道を通るバスや自動車が、おもちゃのように小さく、よく見える。国道の反対側には、まだ造成中の宅地があって、下からはよく見えないのだけれど、木の上からなら、そこもすっかり見渡せるのだった。

 「すごいなぁ。」

 わたしは、この木を見つけた自分は幸運だ、と思った。

 こうして、その場所は、わたしの、新しい「冒険」のための「隠れ家」になった。

 家に帰ると、わたしは、母に報告した。

 「おかあさん、わたし、すごいところを見つけちゃったよ。わたしの隠れ家にすることにした!」

 得意になって言ってみたのだけれど、母は、聞いているのかいないのか、

 「はい、はい、良かったね。」

 などと言って、あまり反応してくれなかった。そうして、

 「さぁ。早く手を洗っておやつを食べて、宿題をやってしまいなさい。」

 と言うので、わたしはしかたなくその通りにしたのだった。

 次の日も、その次の日も、わたしは、その木に登りに行った。そうして、そよそよと吹く風に吹かれながら、景色をながめた。

 そうこうするうちに、日曜日になった。わたしは、母に頼んで、おにぎりを握ってもらった。

 「おかあさん、わたし、隠れ家でおにぎりを食べて来るね!」

 確かにそう言ったのだけれど、母は、「隠れ家」には全く反応せず、

 「はい、はい。気をつけて行っておいでね。食べたら帰って来なさいよ。」

としか言わなかった。

 急いで国道のわき道から山に登る。そうして、丸太と大きな石を足場にして、突き出た木によじ登った。

 ぱぁーっと開ける視界!

 そよ風に吹かれながら、木の上で食べるおにぎりは、普段とは違って、格別においしかった。

 ーーわたしは「冒険」をしている!

 想像のなかで、わたしは、もうトム・ソーヤになっていたし、ピーターパンにもなっていたのだ。

 母は無関心だったけれど、わたしの「隠れ家」生活はしばらく続いた。おにぎりも、頼んでよく握ってもらった。本当に楽しかった。

 でも、別れは突然にやって来た。

 素敵な突き出た木は、大きな台風が来たあと、無惨にも根っこから折れてしまっていたのだ。

 「あーぁ。」  

 もう登ることは出来ないし、国道を見下ろすこともできなくなった。

 こうして、わたしの「冒険」は、またふりだしに戻ったのだった。

 「あーぁ。またなんか探さなきゃ。」

 たった数ヶ月の「冒険」だった。

 それでもわたしは、何十年も経った今でも、あの、わたしだけの「隠れ家」で、そよ風に吹かれながら食べたおにぎりのおいしさや、おもちゃのように見えた国道の自動車や、造成中の山の上まで見渡せた、広々とした景色を、空気を、すぐにでも思い出せる。

 だいぶん大人になってから、母に「隠れ家」のことを聞いてみた。すると、母は、

 「へー。あんた、そんな危ないことしてたの?」

 と言ってきた。

 全然覚えていなかったのだ!

 母は、内職やら家事やら妹の世話で一日中くるくると働いていて、「しっかり者」として信頼されていたわたしが、そんな危ないことをするはずもないと、思いこんでいたのだろう。

 でも、わたしは、母の知らないところで、意外とやんちゃだったのだ。

 そんなわたしの「冒険」は、そのあとも、まだまだしばらく続くのだった。


   山道で出逢ったもの


 ある日のこと、お散歩で山道を歩いていて、少し先に、結構太めの木の棒のようなものがあって、狭い道を塞いでいるのが見えた。

 「あれはなに?」

 少しずつ、そっと近づいてよく見ると、それはなんと、「蛇」だった!

 生き物が大好きなわたしでも、さすがに「蛇」は怖い。

 それでも、怖いもの見たさで、わたしはなぜかその「蛇」を、じっと見つめてしまった。

 「蛇」も「蛇」で、わたしのことをじっと見ている。とぐろを巻いて、首は立てて、すこし首をかしげているのだった。

 「わたし」と「蛇」のあいだの距離は、三メートルくらいだ。

 怖いのだけれど、

「あなたはだぁれ?」

と、言われているようにも見えて、わたしも「蛇」のように首をかしげてみた。

 ※  ※  ※  ※  ※

  三年生の夏休みのことだ。その頃のわたしは、朝は出来るだけ早く起きて、アサガオの観察をし、夏休み帳を何ページかと、お天気調べをしたら、あとはもう、時たま学校のプール教室に行くくらいしか用事はない、という毎日を過ごしていた。

 だからわたしは、国道の上の、山を切り崩しながら造成中、の宅地に、急な坂道を登っては、よく遊びにいった。

 その造成中の宅地の隣はまだ、むき出しの山で、その山に入ると、山道がしばらく続く。夏でも涼しい。冷房は家には無い時代なので、わたしはよく涼みに行ったのだ。

 いつも、母に頼んでは、おにぎりを二個作ってもらい、ハンカチに包んで、スカートのベルト通しに結んで持っていった。水筒にはむぎ茶が入っていた。

 しばらく山道を歩くと、少し広い草原があらわれる。そこは開けていて、風が通り、気持ちが良かったので、その草原でおにぎりを食べるとおいしかった。

「蛇」に遭遇したのは、その、草原をめざして歩いていたときだった。

 よく父には、「気をつけるように」と言われていた。

 「山道で蛇に遭ったら、太い木の棒で、地面をたたいて蛇を脅かしなさい。そしたら蛇は逃げていくよ。」と、教えてくれていた。

 だから、山道を歩くときは、用心のために、わたしは必ず木の枝を持っていた。山道に入ると、木の枝はいろいろ落ちているので、拾って、それで草を払いながら歩く。

 その棒で地面を叩けば、「蛇」は簡単に逃げて行くことだろう。

 でも、何かがわたしに、そうすることをためらわせていた。

 それは、「蛇」を、自分の「敵」にしてしまうやりかたなのではないか、とわたしは感じていたからだ。

 内心はドキドキしながら、わたしは、どうしても、この出逢ってしまった「蛇」のことを、「敵」とは思いたくないんだ、と考えていた。 

  小首をかしげて、

 「あなたはだぁれ?」

と、尋ねて来ているような蛇が、わたしには、なんだか可愛らしく見えてしまったのだ。

「蛇」も「わたし」も、首をかしげたまま、動かなかった。

 「わたし」と「蛇」は、どのくらい見つめ合っていただろうか。。

 やがて、「蛇」は、首をかしげることをやめた。そうして、何も見なかったような顔をして、山道の横の草陰に入って行ってしまった。

 取り残されたわたしは、ほっとして、腰が抜けたようになった。しばらくは動けなくなって、ぼんやりその場に立っていた。

 ーーもう大丈夫だぁ。

 安心したら、急にお腹が空いていることに気がついた。

 「ぐーっ。」

 お腹が鳴った。

 わたしは目指していた草原まで走って行き、座っておにぎりを食べた。むぎ茶も飲んだ。草原からは国道が見える。わたしの住んでいる団地も小さく見えた。

 お腹も膨れ、わたしは、被って来た麦わら帽子を顔の上に乗せて、草原に寝転んだ。

 さっき出逢った「蛇」は、今ごろどうしているかなぁ、と思った。

 ーーわたしと出逢ったこと、もう「蛇」は忘れただろうか。。

 ーーわたしは忘れないよ。蛇さん。キミを脅かさないですんで良かったな。

 深呼吸をしながら、夏の、どこまでも青い空の下で、麦わら帽子を顔の上に乗せて、お腹一杯のわたしは、そう考えた。

 やがてまた山道を通って家に帰ったけれど、「蛇」に出逢ったことは、父にも母にも言わなかった。

 山道の「秘密」にしておこうと思ったのだ。

 その事件からあとは、一度も、山道で「蛇」に出逢うことはなかった。

 だから、まだ、「蛇」と「わたし」とは、「敵」になってはいない。


 


 


 


 

 

 

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