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震災クロニクル【2012/5/1~】(59)

五月晴れの快晴。あからさまに天気は夏の装い。少し早く季節が過ぎ、次の季節が顔を覗かせている。蒸すような昼下がりの空。昼休みにふと見上げた空には例のごとくヘリが一機ぼんやりと飛んでいた。平和を絵に描いたような毎日が過ぎ去ろうとしていたある日。東京電力から角形2号の封筒が届いた。中身を急いで確認すると、「精神的苦痛による賠償・・・…仮払金で受け取れる金額は○○」同意書にサインをお願いします。」

簡単に言えば、そんな内容だった。

精神的苦痛による賠償と仮払金70万円で賠償請求が認められたものの差額分は○○円です。サインをすれば、精神的苦痛の賠償金と併せて支払うということであった。つまり幕引きということ。納得できなければ精神的苦痛の月○○円は支払われないまま。仮払金と賠償認定の差異について、仲裁委員会や裁判で争うことになる。一人暮らしの自分にそんな金銭的な余裕はない。少し図書館で考えたが、今後のことを考えると、サインをせざるを得ない状況だった。納得しているわけではない。しかし、法廷闘争になっても東京電力に勝てる見込みもない。おそらくは何十年もの戦いになるだろうし、それは原発事故の収束の期間と同じくらいの長い年月を費やさなければならないであろうことは目に見えるように分かった。しかも相手側は優秀な弁護士集団を雇っている。おそらくは負けないだろう。長く時間を費やしたからといって勝てる見込みのない戦いに臨むような勇気はなかった。
市内の図書館で考えた。本当に長い時間考えた。今までの苦労や震災の思い出。そして劇的な環境の変化。どれをとってももう震災前の状態は戻っては来ないだろう。


いつまでも震災にしがみついているなよ。

心の中で誰かが自分にそう言い聞かせた。その声の主は自分自身だったのかもしれない。震災をネタにして全てを悲劇のヒロインにすることはもうやめよう。何があっても「いや、あの震災の後だから・・・・・・仕方ないよ」とは言いたくないんだ。それは無理矢理何かを諦めているか、もしくは甘んじて震災の恩恵に与っているに他ならない。精神的苦痛の賠償金を仮払い金の差額の精算に当てたところで、数十万は手に入る。それを元手に何か新しいことをした方が良いのではないだろうか。

鞄から印鑑を出し、承諾書?確約書?誓約書?そんな紙に次々と押印していった。これからの異議申し立てはしない。ほぼ震災に関する同意書である。自分は震災経験を切り売りして、相手のマウントを取るような弱者を演じることはやめたのだ。
避難しているとき、伝聞で様々なことを聞いた。

「山形の避難所で福島の避難民が『こんな同じ飯食えるか!』って言っていた」
「飯坂温泉で避難民は毎日宴会している。タダなのをいいことに」
「スーパーの列に割り込んできたおばさんが『私は仮設住宅の住民よ、優先させなさい!』と怒鳴られた」

自分はそんな被災者と同じになりたくない。金のあるところ、補助のあるところの脛をかじって生きていたくはないのだ。仮にそれが間違った強がりであるにしてもだ。
どちらが社会的弱者なのか分からなくなってくる。自分たちは確かに原発事故の被害者だが、その避難に伴って受け入れてくれた地域の方々も多かれ少なかれ震災の被災者なのだ。どちらが社会的弱者なのかが問題なのではない。お互いに感謝の気持ちを持とうという小学校から脈々と教えられている道徳的観念が震災後多くの人は欠落してしまった。勿論自分の周りにもだ。
 5月の大型連休を迎え、震災ボランティアは街中に散らばり、色んな場所で活動している。パチンコ屋は相変わらずの大繁盛。
何とも皮肉的な結果ではないか。

ボランティアは必死に泥をさらう。被災民はパチンコで金をさらわれる。

いかにも滑稽でブラックジョークにもならない現実が初夏の青空の下、僕らの眼前を覆っていた。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》