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なぜ自分がぼっちになったのか本気で考える<自分史>

全日制高校入学→ぼっちとして約一年半過ごす→退学→通信制高校というルートを辿り、現在は惰性の大学受験に取り組んでいるぼっち高校生です。本当に何もやることがない日々のため、noteに自分がぼっちになった原因について、思い当たる節を絞りつづっていこうかと思います。


保育園時代

自分は保育園児の時からぼっちになる素質が大いにあった人間のため、保育園時代の連絡帳とおぼろげに残っている記憶の話を書きます。

保育園時代の連絡帳


6月14日 先生:他園の子と二人組になれずオロオロしていましたが、後半は自分からも探そうとしていました。

7月12日 先生:あまり自分のことを語りたくないようですが、時にこっそり甘えに来たり、ぼそりぼそりと話しに来ます。シャイなのか、意地っ張りなのか、、、
 
 この連絡帳の記録から、自分が先天的なコミュ障であったことは間違いないと思います。自分から話しかけに行くことができない、自分のことを話したくないは今の自分にも大いに当てはまります。

おぼろげに残っている保育園時代の記憶


1.ノリの悪い恥ずかしがりや
先生とトランプのスピードをして負けた人は坊主。そんなゲームを僕を含め四人のメンバーでやっていました。こどもと大人ということもあり、当然四人とも負けることになるのですが、僕だけは坊主にしませんでした。
 この話から分かることは自分がノリの悪い恥ずかしがりやということです。
2,鈍感力が足りない
ある日とある子と喧嘩をして仲直りができないまま自宅に帰宅したことがあります。自分はそのことをずっと気にしていて、翌朝の登園もビクビクしていた記憶があります。しかし、喧嘩相手だった子は気さくに声をかけてくれて呆気にとられました。
 この話から分かることは、自分には人付き合いを円滑にするための鈍感さが足りないということです。
3.冬にカマキリを捕まえる
最後の話は、やたらと記憶に残っている冬にカマキリを捕まえようとしていた話です。なんでこのことが記憶に残っているのだろうと考えた結果、その時の自分は「冬にカマキリを探しても見つからないよ」と主張したかったのだと思います。
 この話から分かることは、自分は集団内で不満に思うことがあっても、なかなか自己主張をしないということです。こういった癖が後々のひねくれ志向につながっていると思います。

まとめ 保育園時代の自分


:自分から話しかけに行くことができない
:自分の話をしたくない
:ノリの悪い恥ずかしがりや
:どこか不満を感じながらも自己主張をしない
:人間関係における鈍感力が足りていない


小学生時代

六年間通った小学校は、ひと学年一クラスの学校でした。多少の転校や転入によるクラスメイトの変動はあるものの、基本クラスメイトは六年間同じメンバー。そんな環境下での話です

ネガティブで人目を気にする性格


 小学校入学後からすぐにネガティブな自分がいました。教室の後ろに掲示されているクラスメイトの名前と顔写真。そこにはすきっ歯な自分の顔写真も掲載されていてすごい気にしていました。
 他にも自分の住んでいた家のことも気にしていました。当時はアパートのような建物に住んでいて、その目の前には公園がありました。そして公園で遊んでいる同じ小学校に通っている子に、自分がその建物に出入りしているのを見られるのをすごい気にしていました。

自分がそこまで仲のいい友達ではないのだと実感するとき


 放課後に遊ぶ程度の友達はいましたがそれ以上でもそれ以下でもありませんでした。普段はあいまいな放課後に遊ぶ程度の友達と、本当に仲のいい友達。いつも気にするということはないですが、その境界線が明確になるときが年に数回ほどありました。それが自分がディズニーやお泊り会に誘われなかったんだなと知る時です。子供は恐ろしいもので、誘われていない人が目の前にいるにもかかわらず「このまえのディズニーさ~」とか「お泊り会の予定表作ってきたんだけどさ~」とか平気で話し始めてしまいます。そういった時に自分の居場所を見失い、疎外感を感じてしまい、自分は本当の友達じゃないんだなと実感していました。もちろんほかのグループもありましたが「俺はアイツが休んだ理由知ってるけど教えられないよ~」みたいなことをやられたり、すでにその人たちの中で出来上がっているノリを見せつけられると、やっぱりこの人たちはほんとに仲がいいんだなと実感させられることがありました。
 ときどきアンケートや学校の先生から聞かれあなたの仲のいい人はだれですか?」的な質問には答えられませんでした。自分が誰かの名前を挙げたとことで、その人は自分の名前は書かないだろうと思っていたからです。

学習塾にてぼっちデビュー


小4の秋ごろから学習塾に通いはじめ、自分以外は全員同じ小学校という環境下でぼっちデビューを果たします。最初に喋らないキャラを確立してしまい、そのままそのキャラが固定化してしまった感じです。ただ、休み時間がほぼなかったため、ぼっちとしてのつらさを味わうということは少なかったように思います。ぼっち下積み時代とでもいうべきでしょうか、、、

人と遊ばなくなる

 自分は小学校五年生の後半あたりから人と遊ばなくなった記憶があります。遊びにに誘われても「行けたら行くよ」といい結局行かない。そしてしばらくすると遊びに誘われなくなりました。テンプレですね。ただ、それはそれでちょっと寂しい。遊ぶことよりも誘われない自分が嫌だったのだと思います。遊びに行かなくなった大きな理由の一つとして挙げられるのが「目的もなく集まるのがあまり好きではない」ということです。
 自分が小学生の頃に友達と何をしていて楽しかったかと聞かれれば「ゲーム」と答えます。自分は「とりあえず誰かと一緒にいないと寂しい」みたいな思いがあまりないため、「友達とゲームをする」という目的が大切だったように感じます。お祭りとかでも、友達と屋台を一緒に回るとか、雑談で盛り上がるとかではなく、3dsでゲームをしていた記憶しかないです。 
 岡田斗司夫さんの話にとても自分が当てはまったので引用しておきます。

岡田斗司夫 「だから仲間を作るしかないから、人のために働こうって思うんだよ。俺たちみたいな人間ってさ、なんかね、他人と仲良くすること自体を目的にすることがね、できないなんて言わないんだけど、すごい不得意なんだよな。だからこそ一緒に仕事をしたり、仲間募ったり、一つの目標に向かっていくONE PIECE的な世界観だったら仲間作れるからいいんじゃないかと思う。」

まとめ 小学校時代の自分


「放課後以上ディズニー未満」な友達関係で、小さな不満を抱えながらも、これといった変化のない六年間だったと思います。

中学生時代

一年生、二年生

 入学して間もないころは、小学校時代の人間関係からの解放と新しい人間関係に多少の期待を抱いていました。ただ、どうにも人と上手く仲良くなれない。今振り返ると自分には「この人と特に仲良くしたいんだ!」みたいな気持ちがなかったなと思います。このときから「10分間の休み時間を長いと感じる、昼休みも手持ち無沙汰になって、自分が何をしたらよいのかわからない」みたいな状態になります。

初めての一人映画

中学二年生の秋ごろに初めて一人映画に行きました。「冴えない彼女の育てかた」というアニメ映画です。初めは誰かを誘ってみようかと思っていましたが、自分が誰からも映画に誘われたことがないことに気が付き、一人で行こうと決心しました。寂しいみたいな思いはなかったです。
 ここで良くも悪くも「どこか行きたいところがあったら一人で行けるな」と学習します。「人を誘う」という選択が自分の中から消えてしまったようにも思います。

他人への興味と共感力とイケメンの話

 これは全日制高校を退学してから言語化できたことなのですが、自分は「他人への興味が著しく低い」ということです。他人が何をしているのかとか、何が好きなのかとか特に気になりません。中学時代に友達と話したこともほぼ記憶に残ってないです。しかし、一年、二年とクラスが同じだったイケメンのモテ話だけはとても覚えています。「このまえ○○に告白された」とか「宿泊学習のバスの移動中にラブレターをもらった」とか「山崎という女の子だけは大人のブラジャーをつけている」とか…
こういった「自分とはかけ離れた世界の話」はとても面白いと感じていました。
 二年間は「自分から話してくれる面白い人」がいたおかげで多少は学校生活が楽しかったのかなと思います。
 この話から考えるに、自分は共感力が低い分、話に面白さを求めてしまうのだと思います。小学校時代はよかったですが、ネットというオモチャを見つけてしまったために「周りの話が相対的につまらなくなっってしまった。よく言えば自分が面白いと思えるものに出会えた。悪く言えば集団からの孤立化が進んだ。」と言えるでしょう。

三年生【コロナ渦】

春に学習塾をやめる


 あろうことか僕は中三の春に中一の夏前から通っていた学習塾(早稲アカ)をやめます。理由として挙げられるものの一つが、コロナ禍でのリモート授業による学習意欲の低下ですが、一番大きな理由は、勉強を頑張った先にある高校生活への不信感です。あまり楽しいとは言えない中学生活を送ってきた自分にとって、高校生活もそれほど楽しいものにはならないだろうという思いがありました。「そんな高校生活のために頑張る意味はあるのか」みたいなことを考えた結果、「受験勉強を頑張る」という行為が無意味に感じてしまいました。
 この時期に親に一度「自分は通信制高校に行きたい」という旨を伝え、学校の担任の先生にも伝えるところまでは行ったのですが、「お前は自己管理ができないからやめとけ」と親に言われ、それに反論する気力もなかったので、あきらめて全日制高校にいくことにしました。
このころから、本当に無気力な状態で学校生活を送るようになっていたかと思います。

ぼっちのほうが楽なんじゃないかという考え

 新クラスが始まり、孤独になることを恐れ、とあるグループの金魚のフン的な存在になりました。ただ自分は、グループの輪に入れていないみたいな疎外感を感じ、そんな自分がみじめに思えました。だから、グループに無理に参加しようとするのはやめて、自分の机で本を読むようになります。ただ、やはり人目が気になる。周りの人は完全な他人ではなく、ある程度の顔見知りだからです。そんな時に僕が思ったのが、完全にぼっちの方が人目を気にせずに自由に過ごせるのではないかという考えです。このころくらいから、「人間関係が完全にリセットされる高校時代を機に、ボッチになってもいいんじゃないか」みたいな考えを持つようになります。

親友


とある日の放課後に保育、小、中と一緒だった友達とたまたま一緒に帰っていたら「俺たち親友だよな」と言われたことがあります。その場では「うん」と応えましたが、心の中では「親友じゃないよ(ディズニー誘われてないし…」と思ってしまいました。 

まとめ 中学時代の自分

10分休みや昼休みが楽しむものではなく、耐えしのぐものになっていた。
「自分はこの人と仲がいいんだ」と自信を持って言えるような人も出来ず、潜在意識として「放課後以上ディズニー未満」」な友達関係になるのを恐れていたのかもしれません。

高校生時代【ガチぼっち】

ガチぼっちになる


いわゆる自称進学校に進学します。「自分はこの3年間で精いっぱい青春してやるんだ」みたいな考えはみじんもなかったと思います。それまでの人生で「思い出」というものがあまりなかったのが原因の一つだったのかなと思います。部活にも所属していません。中学生の時は前半に卓球部、後半に水泳部と所属していましたが、どちらも数回しか言っておらず「自分は部活に向いていないんだ」と思い込み、部活の体験すら行かなかったです。これも今にして思うと「経験の母数が少ないのに諦めた」わけですから、とてももったいないことをしたなと思います。
 自分から友達も作ろうとしませんでした。友達に関しての成功体験があまりないのが一つの原因なのかなと思います。先生が「前後左右の人と自己紹介をしてください」と言われたにもかかわらず、右隣のやつがいかにも弱そうだったので、話しかけなかった記憶があります。
 また、周りを見下していたとも思います。僕は「俺は早稲アカをやめてそこまで頑張らずにこの学校に入学したんだ」と思っていました。そんな時、周りがザワザワしている中から「お前も早稲アカだったの!」、「俺も早稲アカだった!」という会話が聞こえてきました。それを耳にしたときに「しっかり塾に行ってたのにこの程度の学校に入学したのか…」とか思ってしまいました。「自分以外は全員バカ」くらいのことまで思っていたかもしれません。

担任のアドバイス

一年、二年とともに二者面談のときに担任から「誰か一人でもいいからしゃべれる人を作っておけ」ということを言われていました。ただ、それと似たようなことを中学生の時にやっていたということもあり、アドバイスとしては役に立たなかったです。

高校を退学してから

 高校二年の夏休み明けから不登校になり、二か月後には学校を中退し、通信制の高校に転校しました。
 気分が激しく落ち込んだのは学校をやめてからです。「自分は青春という貴重な時間を無駄にしてしまったんだ。」みたいなことを思い始めます。正直学校をやめるまでは青春という貴重な時間を無駄にしているという意識がほぼなかったなと思います。何も考えていなかったわけです。
 
高校生活の大半の時間を無駄にしたわけですが、これは社会不適合な自分が自己分析をするには必要だったのかと思います。ベストセラーにもなった「ホモデウス」という本にこんなことが書いてあります。

歴史を学ぶ最高の理由がここにある。すなわち、未来を予測するのではなく、過去から自らを開放し、他のさまざまな運命を創造するためだ。もちろん、それは全面的な自由ではない。私たちは過去に縛られることは避けられないが、少しでも自由であるほうが、まったく自由ではないよりも優る。

 自己分析や自分史を振り返るのもこういったことなのかなと思います。今の自分は前の自分よりも自由になった気がします。
 ときどき他人から「何考えているかわからない」と言われることがありましたが、そんなときに僕が毎回思っていたのが「お前も何考えているか分からないよ」でした。これについて今更考えると、他人は相対的に僕に対してそう思っているけれど、僕は絶対的にそう思っていたということです。要は周りへの関心が足りていなかったわけです。また、僕が世界一嫌いな質問「髪切った?」も一つのコミュニケーションだったのだなと思います。
 
ここまで稚拙な文章で、読み手のことなんて考えずに書いてしまいました。もし読んでくださった方がいるなら、ありがとうございます。






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