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田舎に帰ったら色々崩壊してた話をする。


典型的な田舎

これは、私の初投稿になります。
個人的な背景や経歴は、今後書いていきます。
※文末に専門分野の研究分野記載あります。

私は現在29才で18才の時に山形県から東京都に大学進学のため上京しました。それまでは住んでいた田舎の様子は、半永久的に維持されていくのだろうと無意識で思っていました。

ここでの田舎の様子とは、小学生、中学生がいて、家族があちこちにいて・・・こういった人が家族や近所との付き合いのなかで時間が過ぎていく様子のことを言っています。

田舎の変わり具合


昔の風景


しかし、現在、29才で山形県の実家に帰ってくると、様子は異なっていました。下記に、箇条書きですが、気づいた点を整理しました。

  1. 中学校が廃校になっていた

  2. 生涯学習館という施設に夕方子供がいない

  3. 一軒家に一人の年寄りだけが住む家が多くなった

  4. 小学校の野球スポ少の声が聞こえない

  5. 廃屋が増えた

つまり、「昔の良い田舎が崩壊した」のです。

これは資本主義の成長と何か関連しているのか?


びるびるびるびる


資本主義は、身分的差別が無く、移動可能で、個人が独立的に効用最大化を求めて選択していくことで成立しています。仮に、どこかで労働不足が発生し、賃金が上昇したとしましょう。他の選択可能な企業の中で、比較的にそこの賃金は高いので、その賃金を受け取り、そこで労働力となることが経済学的には望ましい選択となります。

これを現実社会に落とし込んで再度繰り返します。山形県の小国町で育った男Aは、地元の高校を卒業して、就職することにしました。神奈川県の横浜市に給料が高い企業が合ったので、そこに決めました。これで男Aは地元企業よりも高い給料を受け取ることになります。

この状況で地元の家族や近隣の紐帯がどうなったのか考えてみました。両親は、子供がいなくても企業勤めしている時期は良いでしょう。しかし、退職後は、二人ぼっちで寂しい生活が待っているかもしれません。また、近隣についていえば、仮に、近隣の男Bも同様に県外に就職したら、同じく寂しい生活になるでしょう。

こうなると、お年寄りがお年寄りを支える相互扶助的な社会になると思われますが、今の御時世ではプライドもありますので、なかなか相互扶助的な関係は構築できないです。したがって、お年寄りの世帯は、孤立してしまいます。

では、どうするのか?



昔の共同体的な関係を再度復活させるしかないと私は考えます。
今は、「その昔の共同体的な関係」についての情報をひたすらにインプットするために、日本民俗文化大系〈8〉村と村人―共同体の生活と儀礼 単行本 – 1984/8/1 網野 善彦 (編さん)といった本を読んでいます。

冒頭でも述べましたが、私は、大学院で、経済学研究と歴史研究の間の経済史研究を5年間していました。目立つ成果はありません。博士課程も退学しました。ですが、学術文献を読む訓練は積んできて、こうした現実の問題の解決に経験を当てることができていまます。このために5年間はあったのだと思いたいです・・・。

これをどうやって止めるか? 私の人生の課題としています。
今後とも、まずは目の前の地域社会の崩壊を止めるために、インプットと地域社会への働きかけをしていきいます。
その様子も書いていくので、ぜひフォローしてください。



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