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雨にも風にも負けず


休職247日目です。


月曜日。

昨日まで降り続いていた雨は止みました。
今日は晴れそうですね。

でも風は強そう。


そんな天候を見て、ふと宮沢賢治の"雨にも負けず"を思い出しました。



「雨にも負けず」              宮沢賢治

雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだを持ち
欲は無く
決して瞋らず
何時も静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆる事を自分を勘定に入れずに
良く見聞きし判り
そして忘れず
野原の松の林の影の
小さな萱葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はオロオロ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
誉められもせず苦にもされず
そういう者に
私はなりたい

雨ニモマケズ 宮沢賢治


理想と現実。
この詩に込められた想いには諸説あるみたいですが…

宮沢賢治さんの性格や行動から照らし合わせた考察だと、

"困った人がいれば誰からどう思われようとも自分が正しいと思う行動で支えたり気遣ってあげたい。それで自分が木偶の坊と呼ばれようとも。"

という気持ちから書かれた詩だと書いてありました。

これ、確かに前半と後半で矛盾した価値観や人物像が想像できるんですよね。

何事も静かに笑っている⇄日照りのときは涙を流し 寒さの夏はオロオロ歩き

良く見聞きし判り そして忘れず⇄皆にデクノボーと呼ばれ 誉められもせず苦にもされず


とこんな感じです。

でも、そういうものに私はなりたい

という思い。
つまりは、

誰にどう言われようが自分の正しいと思う事をしたい

という気持ちではないでしょうか。

でも自分はまだそうはなれない。
というかきっとなれない。
そんなもどかしさや葛藤があるんでしょうね。

まぁ正直…そこまで深い思いがあるとは知らず。。ただ雨風の強い日が多い印象だったので思い浮かべただけだったんですが、実はこの詩が自分自身が理想と現実のギャップに打ちのめされない為の優しさに溢れた詩だったと知る事ができましたね。

知り合いにも他人にもどうこう思われてもいいっていうのは確かに自分も理想です。でもそんな人ほぼいないと思います。
自分が好いている人から嫌われてしまうと、もうそれだけで悲しい気持ちになりますし、不安にもなります。
でも困っている人がいたら助けてあげたいし、その際に人の目なんか気にしたくない。

本当コミュニケーションって難しい。


そんなコミュニケーションのない時間、少なくとも自分はたまには一人でボッーと過ごす時間も必要不可欠です。

月曜日からそんな時間ないよ!
という方々も当然いると思いますが、雨風が辛い日はゆっくり休む時間も大事だと思っておいて欲しいですね。



結局何が伝えたいのかわからない、よくわからない文章になってしまいましたが、

ハムでお茶を濁す

とにかくまた今週も頑張りましょう。


今日は自分も歯医者です…うぅ。。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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