歴史は、ぼくらになにを語りかけているのだろうか。 ~日本と韓国、過去と未来の話~

2019年7月の上旬、料理イベントをするためにぼくは韓国の釜山を訪れた。
はじめての韓国、はじめての野外料理イベントで緊張していたものの、彼らの優しさに助けられて無事にイベントを終えることができた。

ぼくが韓国に訪れる直前には大阪でG20が開催されており、米韓北朝鮮の3カ国が北緯38度線での会談を実現させる、歴史的出来事が起きたところだった。韓国での滞在先の駅前に、その北緯38度線会談を祝う垂れ幕がかかっていたことを覚えている。
当時も日韓関係が良好とは言い難かったかもしれないが、まぁそれでも、今ほどに緊迫している状況ではなかった。

正直、政治や反日反韓などのセンシティブな話をするのには、ぼくも多少なり抵抗がある。
しかし、この世界をともに生きる存在として、声をあげる義務があるとも思った。そして、それを苦手とする、嫌う人がいたとしても、ここでぼくが声をあげることで切れてしまうような関係性であるならば、残念だがそれでよかったんだと思うしかない。
思想や意見の相違があるだけで、その相手を敵とみなして攻撃するような人ならば、その関係性は清算されたほうがいいだろう。

意見や思想の相違をネガティブに捉えることなく、ポジティブに捉えられる人。お互いに相違を受け入れ、その相違の上で、どう未来をつくっていこうかと話ができる人。そういう人たちと、ぼくは一緒に未来をつくっていきたい。

ということで、話を進めよう。
当時、ぼくが滞在していたのは観光地でもなく、普通の市街地だった。
また、観光地らしい場所にはほとんど訪れることはなかった。目の前で生きてる鳥を捌いていたり、何種類もの豆や唐辛子、キムチを一面に並べて販売しているようなディープな市場へ足を運んでいた。無論、その間に他の日本人に会うことは一切なかった。
だがしかし、そういう場所であったとしても、ぼくが反日的な言動をうけることはひとつもなかった。むしろ公園で日向ぼっこをしていると、おばちゃんが気さくな笑顔で話しかけてきてくれたし。バックパックにパエリアパンをくくりつけガチャガチャと音をさせながら歩いていると、年配のおじいちゃんが、いかしたリュック背負ってんな!と褒めてくれたりもした。
そういう温かな対応を受けた時に、それならば、反日反韓という言葉や感情って、どこで生まれてどこで育まれてきたものなんだろうなぁ、と、とても疑問に思えた

皆さんはどう思われますか。反日反韓というのは、どこで生まれて、どこで育まれてきたものなんでしょうか。
もっというと、どういう意図をもって、生まれ育まれている言葉なんでしょうか。

少なくとも、面と面で向かい合って目を見て話している時には、反日反韓の感情などが生まれてくるとは、ぼくは思えない。それは今回の訪韓からそう思える。
であれば、反日反韓はどこで生まれてきたものなんだろうか。一般的には、その答えは過去の歴史のなかにあると考えられるだろう。
互いにゆずれぬ主義主張があり、間違った歴史、正しい歴史と、その正誤の認識もそれぞれに違う。日本にとって正しい歴史は、韓国にとっては捏造された歴史で。韓国にとっての正しい歴史は、日本にとって捏造された歴史であったりする。
それぞれがそれぞれの正誤を議論しているが、正直、どっちでもよくない?とぼくは思ってしまう。

日本がAという歴史が正しいというならば、日本にとってはAが正しい歴史であり。韓国がBという歴史が正しいというならば、韓国にとってはBが正しい歴史なんだ。それぞれに正しい歴史がある。それでいいじゃないか。
おんなじひとつの物事を見たとしても、それを見る角度が変えれば、円にも四角にも平面にも立体にも、いかようにも見える。
歴史というのは、決して真実ではない。なにかしらの意図のもとに編集された情報でしかない。
国ごと、立場ごとに、その編集に介する意図は変わるだろう。であれば、歴史が違うことなど当たり前、真の事実だけが残されている訳なんて最初からないのだ。

で、あれば、ぼくたちが議論すべきはなんなのか。少なくとも、過去の歴史の正誤ではないだろう。
第一、ぼくは現状の理由を過去に求める "原因論" はあまり好きじゃない。
過去の莫大な書物の一節をひっぱりだしてきて、他人の威を借りて、もっともらしい理由や詭弁をのたまう。そして、お前は不勉強でなにも知らないくせに知った口を叩くなと、意見を言うことさえ許されなくなるのだ。

だから、ここからは未来の話をしたい。
ぼくは現状の理由を過去ではなく、未来に求める、"目的論者" でありたいから。

ぼくは、また韓国へ遊びに行きたい。マッコリを飲み歩いたり、素敵な女性と出会ったり、美味しい料理を食べたり、友をつくったり、そして彼らとともに人生を楽しみたいという "目的" がある。
ではそれを実現するためには、現状に対してどう向き合っていけばいいだろうか。ひとつ手がかりかなぁと思ったのは、過去を過去として取り扱う、ということだ。

これはぼくの体感値なのだが、日本のなかで反韓の話をする方は40,50代以降の方々が多い。
話をよくよく聞いてみると、彼らには反韓の原因となる昔の経験や記憶が鮮明に残っている。在日集落での差別や暴行、反社会勢力との関係など。
彼らのなかには当事者としての現実(リアル)の経験があり、だからこそ、その実体験のうえで韓国を嫌っているようにみえた。

対してぼくには、小さい頃から近所の在日の家族との交流があった。同い年くらいのこどもと一緒に遊んだり、ご飯を食べたり、家に泊まったり。
ぼくにとっての反日反韓は、その存在こそ知っていたものの、あくまでテレビの向こう側のことで、教科書にのっている過去のことで、現実(リアル)のことではなかった。
現実(リアル)での反日反韓の経験がないからこそ、教科書にのっている過去の出来事でしかないからこそ、その存在を過去のものとして処理できたのではないだろうか。そしてだからこそ、次の未来をともに築いていけるのではないだろうか。

だから今、現実のこととして、反日反韓の動きが高まっているのは本当に辞めてほしい。今を生きる若い世代にも、反日反韓が現実(リアル)のものとして記憶されてしまう。
互いを恨み合うような理由を、わざわざ再びつくらないでほしい。

もちろん現在進行形に直面している問題、GSOMIA破棄などについては、検討を重ねて双方に改善していくことが必要だろう。
だがそれらへの取り組みは、あくまでも未来の "目的" ためにおこなわれるものであってほしい。
その問題の原因は過去にあるのだ、と、互いに相容れられない歴史を矢面にたたせ、ただただ反日反韓を助長するような動きは本当に辞めていただきたい。

こういうことを書くと、お前はなにもわかっていない。なにもしらない。本当のことを知らないからそんな能天気なことが言えるのだ。と言われるだろう。

だが、過去にどんなことがあったとして、それを過去の出来事として処理することで、人類は次の一歩を進んできたはずだ。
原爆が落とされた歴史があるからと、日本人全員がアメリカを恨んでいるだろうか。ローマやペルシャを、かつて侵略された大陸全体が恨んでいるだろうか。

歴史は、ぼくらになにを語りかけているのだろうか。
歴史は、ぼくらに恨みを引き継げと語りかけている訳じゃあないはずだ。
歴史は、歴史から学べと、ただただより良い未来をつくるために、歴史から学べといってくれているのではないだろうか。

互いにどんな過去があったにせよ、問題は、その過去を未来のためにどう使っていくのか。だ。
そして、それは今を生きるぼくたちに委ねられているはずだ。
過去を、いがみ合いのために使うのか、政治の交渉に使うのか、より良い未来のために教材として使うのか。
それは、ぼくたちが選べるはずだ。そういうもんだと、ぼくは思っている。

…この書き方だと、歴史のことをひきずっている韓国側は過去をさっさと水に流せよ。と読みとられてしまう可能性があるなと感じた。だから少し訂正させてもらいたい。

日本も韓国と同様に、歴史にひきずられている。
日本人のなかにも大仰に歴史を持ち出して、だから韓国は嫌いだ、韓国は信用ならない、そう発言する人間がたくさんいる。著名な小説家や、権力をもつ世代に、特にそういった人が多い印象がある。

ぼくはあくまでも、双方へ、伝えているつもりだ。とくに若い世代へ。
加害国の人間が勝手なことを言いやがってと、韓国の方に叱られてしまうかもしれない。たしかにぼくには、韓国の方々の気持ちをわかることはできない。ぼくは日本人だし、戦後の人間だから。
でもぼくらは分かり合えるはず、未来をともに作っていけるはず、そう思える友に韓国で出会えたことも事実だ。

だからこれは、ぼくの願い。
すべてのひとがそうなるとは思っていないし、そうなるべきだとも思っていない。
この願いが届く範囲でいい。少しずつでいい。
過去に囚われることなく、互いのより良い未来のためにと、過去から学ぶことのできる同志。
そういった人が、双方に、少しずつでも増えていくことを、ぼくは心から願っている。

i hope our life is worth living.


またひとつさきへ