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全部抱きしめて

母は吉田拓郎が好きだ。
私も少なからず影響を受けて、拓郎も含めて新しい流行りの歌よりも古いフォークソングが好きだ。

(親しみを込めて敬称略)

吉田拓郎の卒業スペシャルとして先日放送されていた【LOVE LOVE あいしてる】は キンキやシノラーが同年代なのもあって世代的に色々とドンピシャで、当時は毎週録画してみるほど好きだった。

そんな番組がもう一度放送されるってだけで楽しみなのに、拓郎が卒業だなんて。もう歌わないとかテレビに出ないとかそんな。


そんな気持ちは母も同じだった。
我が家には録画機能がないので、実家での録画を頼んだ。

ちょうど放送の翌日、雨が降りそうだったので
私は母の強制送迎で会社に向かった。

会社に行くまでの間、リアルタイムで放送を見た母から数々のネタバレ情報を垂れ流されたが
私は会社の行き帰り持ちこたえそうな天気の中、自力で会社に行けなかった無念で 大して盛り上がれもせずその話を聞いていた。

私はいつものように相槌を打つだけ。
盛り上げたり掘り下げたりせずとも、母は一人でたくさん喋る。


最近は、母と話す私のテンションが低いことを
母も気付いていると思う。

思うことすべてを口にしないようにはしているが
どうしても、できるだけ母と離れて過ごしたい・母の力を借りずに自分で自分のことをやりたい・たとえそれが苦労でも助けを求めず自分で努力したい・一緒にいることを強制されたくない という、ありとあらゆる負の気持ちが顔から言葉から態度から漏れてしまっていることに気付いている。

気付いているけれど、コントロールができない。
だからこそ「できるだけ離れて過ごしたい」に、ループする。


そんな風に気持ちは毎日ループしながら、その日も会社に着くまで相槌だけを力なく打ち続ける私に
母もLOVELOVEネタが尽きたのか
私が食いついてくれないことに寂しさを感じたのか

蚊の鳴くような声で 
独り言のように『おもしろかったな』と言った。


そこで私は急に現実に引き戻されたかのように
母が家で一人、楽しそうに番組を見ている姿を想像して
ちょっと涙が出そうになった。

これを打っている今は既に出てしまっている。


日頃、母の口から出るほとんどの言葉は愚痴か文句。
時間がないお金がない忙しいが口癖で
その理由を全て自分で作って自分で背負っているだけに

そんなことないんだよ 
と、何度思ったか。何度伝えたか。わからない。


そんな母から珍しく
楽しかったという良き報告が聞けたという 気づき
そしてその楽しかった時間を共有した人が誰もいないという 孤独

母はそれを寂しいと思ったわけではないかもしれないけど

娘たちが全員家を出た今
こうしてほぼ毎日会える環境にいるとしても
やはり基本的には【独り】なんだと 突然実感してしまった。


私が実家を出たいと駄々をこね続けていた頃
反対する母は何度も私に言った。


そうやって私を見捨てるのか
どうせ私は一人で死んでいく
私は誰からも必要とされないんだから
早く死んでほしいと願えばいい


結果的に一人で死んでいくことになるのは
旦那も子供もいない私の方だ と食い下がったし
冷静に考えれば なんちゅう脅迫めいた暴言だと思う。

早く死ねと願え だなんて
親に頼まれて子供がすることじゃない。


私が家を出たがっていた頃や
ちょうど出たばっかりの頃は
あからさまに母のメンタルがトチ狂っていた。

でもここで言われるがままに残ってしまったら、もう一生家を出るチャンスはないと 心を鬼にして引っ越した私も
結果実家の目の前にあるマンションにしか移れなかった小心者だけど

だからこそ、誰の手も借りずに何日もかけて自分の荷物を全部自分で運び出せた。

結果家族や親との縁を無理やり切ることもなく
継続して自分の時間がなかなか取れないもどかしさは残留しているものの、少しだけ【親子にも必要な距離感】を保つ第一歩は踏めたであろうと思う。



母が一人で見た LOVELOVEあいしてる の録画を
週末、婦人科から帰った後
実家で一緒にお昼ご飯を食べながら途中まで見た。

途中になったのは、毎度のことながら『〇〇(甥っ子)のところに行かなきゃいけない』と勝手な衝動に駆られている母に付き添ったから。


その日、いつも冷たい婦人科の先生はびっくりするほど優しい顔で私を見た。副作用と思われる症状がなくなった と報告する私に、『何かあったらいつでも話してね』と言って笑ったから
私は安心して力が抜けた。

そんな通院から帰って
前の晩に作ったおかずのお裾分けがてら、母と一緒にお昼ご飯を食べて、少しだけLOVELOVEあいしてるを見て
『一人で巨大プールで遊んでいる』という甥っ子が 寂しいであろうという先入観で急ぎ合流した母に付き添い、一緒に水遊びをして

妹を薬局に連れて行って
家に戻ってプールの片づけではしゃいでまた水浸しになっては怒られた甥っ子と一緒にお風呂に入った。

お風呂に入るつもりで行ってなかった私は
同じ服をもう一度着ることに若干の抵抗はあったものの

もう365日生理が来ない自分は
いつ甥っ子に『一緒にお風呂に入りたい』と言われても受けて立つことができるんだ、と思ったら


こりゃ入るしかないな と思い

『ママ(妹)とばあば(母)には内緒ね!』って
どう考えてもバレる約束を甥っ子と交わして、お風呂に飛び込んだ。

夕飯の準備をしていた妹と母は
甥っ子の様子を見に行ったきり戻ってこない私が一緒にお風呂に入っているのを見つけて驚愕しながらも、笑っていた。


お風呂上がりに一緒にアイスを食べて
部屋の中でビニールのボールでサッカーしてまた汗かいて

甥っ子とも久々に楽しく仲良く過ごせた気がする。

日々楽しく仲良く過ごしてはいるけど
最近は甥っ子がゲームをしていたり
一緒にいても私はゲームがわからないので
ただその場の時間を潰すかのように隣で携帯を触ったりしてしまって

一緒にいる意味とか意義を見失いがちだった。

そもそも自分が行きたくて行ったり、甥っ子や妹に呼ばれて行くことよりも、母に連れられたり頼まれたりして行くことの方が多いから

どうしてもお互いが相手を必要としていない時間が多々発生する。

なぜ私はここにいるんだろう、何の役にも立っていないのに。
どうしてこの状況で来なきゃいけないんだろう、家でやりたいこともあるのに。

そんな風に思いながら居座る時間が多かった。


単純に、一緒にいる時間を楽しめて
お互いがいてこそ楽しく過ごす時間ってのを
久々に味わえた気がして

嬉しかった。
こうでありたいんだよ、私は。

時間に追われてやりたいことも中断して会いに行っても
現地では何も考えずにその場を楽しめるほど私は大人でも菩薩でもなかった。

母だってそのはずだ。
毎日好きで通っているはずの妹の家で受けたストレスを
とめどない愚痴として日々黙って受け止めるのも、疲れてしまうんだ私は。


母も一人の時間を楽しめばいいし
LOVELOVEあいしてる が面白かったことも、大きな声で言えばいい。

母だからって
親だからって
自分のやりたいことを全て犠牲にする必要なんかないし
娘たちだってもう大人なんだから
世話することに必要以上の責任を感じなくたっていい

母が自分の時間をちゃんと楽しめることが
娘にとっても喜びなのであり

それを一緒に味わえなかったことに
申し訳なさを感じたりしているわけで


「LOVELOVEあいしてる おもしろかったな」

たった一言の小さな呟きを何度も思い出しては
胸がいっぱいになって涙するような娘が
目の前のマンションにいるんだから安心してほしい。



私もここ数年はもう
離れたい、一人になりたい、ばっかりが勝利する日々だけど

家族っていいな、と思えるきっかけもたくさん作って
ちゃんとそれを忘れないで積み重ねておきたい。

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