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消されたマッカーサーの戦いとゆきゆきて、神軍

今年読むことを目標にしていた本の一冊 「消されたマッカーサーの戦い 日本人に刷り込まれた〈太平洋戦争史〉」(著:田中宏巳・吉川弘文館)を読みました。


この本は前に感想文を書いた 「マッカーサーと戦った日本軍」 (同じく著:田中宏巳)の言ってみれば、アフターストーリーです。

これで、今年読むことを目標にしていた田中宏巳さんの3冊を読み終えることが出来ました。

「真相ー中国の南洋進出と太平洋戦争」

「マッカーサーと戦った日本軍」

そして「消されたマッカーサーの戦い 日本人に刷り込まれた〈太平洋戦争史〉」

今回はこの3冊の「まとめ」みたいな感想文と、私は映画ファンですので、とある一つの映画の話を絡めて、戦争について勉強していくことの考えを述べていきたいと思います。

これから書いていきますが、戦争の「戦い」の部分を勉強していくことも、戦争責任を果たす一つの手段ではないかということを3冊の本(と一本の映画)から考えることが出来、大きな収穫と思っています。

さて、今回読んだ本「消されたマッカーサーの戦い 日本人に刷り込まれた〈太平洋戦争史〉」の紹介です。

マッカーサーというと日本を占領統治したGHQの司令官ですが、太平洋戦争中に何をしていたか、誰と戦っていたか、を知る人は少ないのではないかと思います。

なぜ、日本人は「マッカーサーの戦い」 を、そして「マッカーサーと戦った日本軍」 を知らないのか。

それは終戦直後の日本・アメリカの様々な事情が絡むのですが、「消されたマッカーサーの戦い」はその経緯が書かれた本です。

簡単に説明しようと思いますが、そのためには、太平洋戦争の際のアメリカ軍の日本への進行ルートについて知る必要があります。

アメリカ軍の太平洋戦争での進行ルートは大きく分けて二つありました。

一つは北・中・南太平洋の島々を占領していく 「海軍」のルート。

もう一つは南西太平洋のオーストラリアからニューギニア、フィリピンを通っていく 「陸軍」のルート。

私たちが太平洋戦争での戦いで思い浮かべるミッドウェー、 ガダルカナル島、 サイパン、レイテ沖海戦、硫黄島、沖縄...などの戦いは基本的に「海軍」 (と海兵隊)の戦いです。

マッカーサーは上記に挙げた「陸軍」ルートの司令官として、ニューギニア島で延々と日本陸軍と戦っていました。

消された「マッカーサーの戦い」とは、つまり「ニューギニア戦」のことなんですね)

ニューギニア戦の凄惨さは、太平洋戦争の戦い方のなかで群を抜いています。 前回感想文を書いた「マッカーサーと戦った日本軍」 を読むと、悪名高いインパール作戦やフィリピン戦よりも壮絶な戦いであることが分かります。

また、太平洋戦争において、日本軍はアメリカを中心とする連合軍の「物量」によって負けたと信じられていますが、戦争初期のニューギニア戦での連合軍の主力は、日本より国力の劣るオーストラリアの軍隊でした(アメリカ軍が来るまで時間がかかったから)

そのため、連合軍も戦争初期は物資の無い苦しい戦いが続くことになりましたが、それでも、日本軍は決定的な勝利を得ることが出来ませんでした。それは何故なのか…

マッカーサーは陸海空の少ない戦力を統合的に運用し、事前準備を怠らずに弾薬を集積することを強く意識して、いざ戦闘の際には火力を十分に発揮出来るようにしました。

そして、飛行機による攻撃を重視して、太平洋の島々に点在する飛行場から、更に別の飛行場がある島へと侵攻していく画期的な戦い…「島嶼戦」を創造しました(著者の田中さんはニミッツの島嶼攻略戦よりも画期的な戦いであったと評価されています)

それに対して、日本軍は大日本帝国憲法の定める統帥権により天皇の下で陸軍と海軍が完全に分離していたため、統一した司令部を作って共同作戦を取ることが出来ず、力を合わせることが出来ませんでした。

例えば、戦闘に参加する飛行機も、陸海軍で協定を結んだ上で、○○時までは陸軍機、○○時以降は海軍機というような運用をしていたりしたそうです。一つの戦場で陸海軍が戦うのだから、戦力は1+1=2となる筈ですが、こういう運用だと、戦場にある飛行機は常に陸軍、海軍どちらかの1のままですよね。

つまり、ニューギニア戦は「島嶼戦」という画期的な戦い方がマッカーサーによって創造された戦場であるだけでなく、「統帥権によって、陸海軍が協同して戦うことが出来ない」という大日本帝国陸海軍の最大の弱点が露呈した戦場でもありました。

これは「(戦争という)合理的な判断が求められる極限の状況でも決まりを変えることが出来ない」ということでもあり、「規則第一で、時機を見て柔軟に運用を変えることが出来ない」という日本人の欠点の露呈でもあると私は思います。だから、マッカーサーと日本軍が戦ったニューギニア戦は軍事的に意義があるだけでなく、日本人として見逃してはならない戦場とさえ、私は思います。

死闘が繰り広げられた東部ニューギニア

そんな重要な戦いが忘れ去られてしまっているのはなぜなのか…

詳細は本を読んでいただければと思いますが、要は占領統治をメインで行ったアメリカの事情です。

田中さんが挙げられる例として、大艦隊で島に押し寄せて大規模な艦砲射撃、艦載機による攻撃の後、上陸艇が白波を立てて砂浜へと上陸作戦を行う海軍の戦いは「華やか」でアメリカ人のイメージと合致していました。

終戦直後、GHQは早期に日本人に太平洋戦争を反省する史観を植え付けようとしましたが、その際にアメリカ人の「先入観」みたいなものがそのまま入ってしまったようです。

また、アメリカ陸軍はヨーロッパで華々しい成果を上げました。そのため、アメリカ政府としては「ヨーロッパ戦線は陸軍、太平洋戦線は海軍」と両軍に華を持たせる狙いもあったようです。

様々な事情によって、終戦直後は「海軍」の戦いから見た太平洋戦争史観がアメリカから示され、そのまま、現代日本の我々にも影響を与え続けています。

「押し付けられた史観」として、GHQの作り出した史観を否定しようとする人もいますが、その司令官であるマッカーサーの陸軍の戦いが消されてしまっているのは、奇妙なことですよね。

マッカーサーもそのように自分たちの戦いが消されてしまうことに危機感を覚えたらしく、自身も「マッカーサー・レポート」を日米の戦争当事者を集めて作成しますが(軍人は個人で公式な戦史を書いてはいけないので、本国への報告書=レポートの体裁とした)、これも、時間的に遅すぎたことなどが有って、結局、海軍中心の史観を覆すことは出来ませんでした。

私は本を読んで、こんないい加減な経緯で、民族や国民の歴史が作られていってしまうんだなぁ、と少々、怖くなってしまいました。

さて、今回は、ここから、少し田中さんの本の話から離れた別の話を書いて、まとめ的なものにつなげていきたいと思います。

最初に、なぜ日本人は「マッカーサーの戦い」 を、そして「マッカーサーと戦った日本軍」 を知らないのか、と書きましたが映画ファンの人は結構な割合で知っているのではないか、と思います。

「ゆきゆきて、神軍」という映画が有りますよね。

映画に出てくる破天荒な行動と言動を繰り返す、奥崎 謙三氏。

あの奥崎氏が戦った戦場が、正にニューギニア戦。「消されたマッカーサーの戦い」です。

つまり、奥崎氏は「マッカーサーと戦った日本軍」の数少ない生き残りの一人なんですよね。

映画ファンなら観たことがある人は多いと思う。

「ゆきゆきて、神軍」は終戦直後のニューギニアで、戦争が終わったにも関わらず兵士の銃殺刑が執行されたという不可解な事件を、奥崎氏が当時の軍に居た生き残りの人達のお宅に突撃して、問いただしていくドキュメンタリー映画です。

映画で旧軍人の方々の語る戦場の話は戦争の恐ろしさと、当時の帝国陸軍の愚かしさを最大限に伝えるものであり、今でも戦争ドキュメンタリー映画の最高傑作として挙げる人も多いと思います。また、奥崎氏の強烈なキャラクターから、サブカル的な人気もあるかと思います。

しかし、(私を含めて)鑑賞者は実際に奥崎氏が従軍した戦争について、どんな認識を持っているでしょうか。

何となく「南方で大変な戦場だった」「戦争はどこも似たようなものだった」みたいな、漠然とした大雑把なイメージしか持っていないのではないでしょうか。

私は 「マッカーサーと戦った日本軍」を読んで凄惨なニューギニア戦の詳細を知った後に、「ゆきゆきて、神軍」を再見してみたのですが、いくつかのシーンで初見時とは全く違う印象を持ちました。

例えば、ニューギニアで亡くなった戦友のお墓の前で泣く奥崎氏。私は本当にかわいそうに思いました。そして、真相を語ろうとしない事件の関係者に対して激高し、暴力も辞さない奥崎氏は、初見時はとんでもなく変わった人だなと思っていましたが(事実そうなんでしょう)、彼には「自分たちの経験した戦争の悲惨な真実を、後世に伝えていかねばならない」という強い(強過ぎる)想いが有るのだろうということを、初見時には無かった「共感」を持って見ることが出来ました。

また、奥崎氏に責められる側の人達への見方にも変化がありました。

真相を語らない当時の軍関係者は映画の中では、ハッキリと何が起こったのか発言せず、姑息に戦争責任から逃げようとする旧陸軍の象徴のように描かれます。

しかし、銃殺事件自体は終戦後の出来事なので、彼らは「地獄の戦場」と言われたニューギニア戦の数少ない生き残りの方々です。

田中宏巳さんの推計によると、ニューギニア戦の日本側の総兵力は低く見積もって陸海合わせて推測値22万5千人。それに対して、生存者は3万7千人900人しかいません。つまり、22万人を超える総兵力に対して、戦死者は少なく見て18万7千100人、実際はおそらく、19万人近くが亡くなったと考えられます。戦闘での死ではなく、病死、行軍中の死、そして餓死など、人間が考える以上の地獄の戦場でした。

彼ら個人が経験したことは、あまりにも過酷であり、人間が想定し得る最悪の事態…たとえ戦争中の話とはいえ、「仕方なかった」では済まされない、口に出すことも憚られるようなことも沢山有ったのだろうと田中さんの「マッカーサーと戦った日本軍」を読んだ後だとよく分かります。

そいいう実感を持った後だと、映画の中で奥崎さんに怒鳴られ、殴られ、蹴られていた旧軍人の方々も、私は「よくぞニューギニア戦から生き残ってくれました」と、これも初見時には無かった感覚で観ることができました。

「ゆきゆきて、神軍」という映画は奥崎氏の破天荒な行動に度肝を抜かれるドキュメンタリー映画であるだけでなく、ニューギニア戦という地獄の戦場を経験した数少ない生き残り同士が、戦後どのように生き、かつて経験した地獄……「ニューギニア戦」とどのように向かい合っていくべきかを、もがき、殴り合いながら模索する姿を描いた映画という側面もあることに、田中宏巳さんの本を読んだ後に再見して気付きました。

ニューギニア戦の趨勢を決定づけた「アイタペの戦い」。実際に戦闘に参加された方々からは「口減らしの為の無意味な戦い」と言われることも有りますが、前後の経緯を知ると少し違う見方も出来ると思う (U.S. Department of the Army - http://www.army.mil/cmh-pg/books/wwii/MacArthur%20Reports/MacArthur%20V2%20P1/pic-302.jpg)

因みにニューギニア戦の戦死者19万という数字は「マッカーサーと戦った日本軍」の中で、田中宏巳さんが入手可能な資料を検証して集計したもので、公式な数字ではありません。というか、そもそも、ニューギニアに派遣された総人員数について、信頼できる資料を利用した詳細な集計を、戦後日本はやっていないようです。

田中さんは、このことについて本の中で、こう述べています。

言い方を変えると、政府による公式な数値の発表が無いまま、戦後六十年以上が経ってしまった(注:出版は2009年)。戦争史に踏み込むと、歴史に学ばない、歴史(過去の経緯)を尊重しない日本軍・日本人の姿がよく見えてくるが、ニューギニアへの派遣員数、そこでの死者数さえ頓着しないのも、その現れの一端であろう。

「マッカーサーと戦った日本軍」P.619

奥崎氏の個性は仕方ないとは思うものの、あのような激しく糾弾するやり方ではなく、彼ら「マッカーサーと戦った日本軍」の戦った「マッカーサーの戦い」の経緯や教訓を、消されたままにせず、丁寧に拾い集め、語り継いでいくことこそが、戦後日本人には必要だったのではないかと私は思います。

また、こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、現代日本で「ゆきゆきて、神軍」が語られるとき、ニューギニア戦ではなく、破天荒な奥崎氏の個性のみにスポットが当てられて、サブカルチャーとして消費されているのは残念なことなんだろうな、とも思います。

奥崎氏の行動を面白がるだけではなく、奥崎氏他「ゆきゆきて、神軍」に出てくる旧軍人の方々の戦ったニューギニア戦についてもっと、興味を持つべきなのではないか。

ニューギニアで戦い、死んでいった人々のことをもっと知って、何らかの教訓を見出すべきではないか。

破天荒な奥崎氏の行動の裏にある「自分たちの経験した戦争=ニューギニア戦の悲惨な真実を、後世に伝えていかねばならない」という想いを、もっと真摯に受け止めなければならなかったのではないか。

映画を再見して、そのように思いました。

ニューギニア戦・奥崎氏に限らず、太平洋戦争時の証言などで、個々の戦場を具体的に見ず「戦争の悲劇」と大雑把にまとめてしまうのは、良くないことなのだと思います。

個々の人たちが経験した戦場も、戦争の大きな流れに於ける固有の意味みたいなものを見た上で、そのことから、「戦争は悲惨」ということ以上のことを掴んでいくこうとする姿勢が必要なのではないでしょうか。

「マッカーサーの戦い」「マッカーサーと戦った日本軍」が、戦後の歴史から「消された」経緯を田中宏巳さんの本を読んで知って、そういうことも思いました。

ここで、もしかしたら、これとは反対に「戦争の戦いの部分ではなく、被害に遭った民衆や、侵略された国々の人のことに目を向け戦争責任を果たしていくべきではないか」という考えを持たれる方もいらっしゃるかと思います。

それは勿論、正しいことと思いますが、こんな話もあります。

同じく田中宏巳さんの今年読んだ本の一冊「真相ー中国の南洋進出と太平洋戦争」によると、中国が物凄い勢いでニューギニアの開発を進めているそうです。

調査でニューギニアを訪れていた田中さんがその事を奇妙に思い、古くからニューギニアの社会に根付いていた華僑に、最近の中国の進出の理由を聞いたところ、このように答えられたそうです。

「あなたたち日本人がこの土地の重要性を教えたのではありませんか。」
(略)
「日本はここに大軍を送ってきました。何の価値もないところに十五万人、二十万人もの大軍を送ってきますか。 よほど重要なところであると考えていたのでしょう。だからアメリカ軍もオーストラリア軍も日本軍に負けないように必死に頑張ったのでしょう。」

真相ー中国の南洋進出と太平洋戦争P.21

新聞の外交面を読むと、意外と中国の南西太平洋進出の記事が出ていて、最前線になりつつあるなぁ、と感じています。

もしも、我々日本人やアメリカ人が「マッカーサーの戦い」=「ニューギニア戦」を“消された”ままにしている隙に、中国だけが歴史に学び、覇権のためにニューギニアや南西太平洋への勢力拡大を図っているのだとしたら、恐ろしいことです。

そして、この地域が中国やアメリカの新たな紛争の場所になるとしたら、そこで住む人々が再び犠牲になることになります。

最近はニューギニア島含め、安全保証に関する南西太平洋の新聞記事を多く見かけるようになった。

田中さんは「真相」の中でこうも述べられています。

「戦争責任といえば戦争犯罪裁判や賠償を連想しがちだが、太平洋戦争が残した疑問を解明し歴史的評価を行うのもその責任の一つである。その意味で、日本人はこの地域に関する疑問に正面から取り組み、責任を果たしてきたとはとてもいえない」

真相ー中国の南洋進出と太平洋戦争P.204

田中さんの仰るように、被害を与えてしまった人々への謝罪や賠償も勿論大切と思いますが、当事者として、戦いの歴史を消されたままにせず、しっかりと残していかねばならないのではないか、ということも今回、「消されたマッカーサー」を読んで、改めて思ったのでした。

このように、田中さんの本3冊を読んで、戦争の「戦い」の部分を勉強していくことも、戦争責任を果たす一つの手段ということを改めて実感を持って理解することが出来ました。

これは私にとって大きな収穫であり、今後の人生の財産と思います。

ニューギニア戦は「消された」と言われつつ、検索すると結構、体験記などが残っていますので、今後も本を読んでいきたいと思います。

また、ニューギニア戦に限らず、戦争のことは分からないことだらけなので、引き続き勉強を続けていきたいと思います。

以上が、長いようで簡単な感想です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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