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会計の勉強しながら気になった汚職の話

建設業会計と民主政(の下降線)を架橋する象徴的事件かも

千代田区の自民党議員が引き起こしたんですけどね。

懸念、大袈裟ですかね😅


この事件、会計を地上戦できちんとやっていても、公共工事の選定に関しては高所・大局の空中戦で決まってしまうのか(しかも入札の制度趣旨没却)というげんなり感があります。

かのお金持ち区(1人あたりか)、千代田区議会の議長経験者が、公共工事の秩序を乱しましたという話なので。

行政書士業務に付帯するために建設業会計を学んでいる僕ですらそう感じたのですから、実際の会計人の皆さんは忸怩たる思いがあるんじゃないでしょうか。この記事のすぐ隣の見出しには安倍派7人(5人集含む)の不逮捕と、スケープゴートとしての会計責任者の逮捕についての特集。

民主国家って、皆さん個々人のイメージがあると思うんですよ。
崇高なビジョンであれ、漫画的なビジョンであれ僕は否定しません。
(民主国家に反しない限りで、と僕は釘刺ししたいけれど)思想信条の自由ってありますから。

ただ、各人のビジョンは尊重しつつも。

公法学方面から描写すると、主権在民(国民主権)ですから、我々個々人に主権が宿っているのであり、その意思の国政への反映のために選挙があります。我々庶民のほうからボトムアップで意志を伝えていくわけです。

そこで選ばれた政治家が、例えばダムとか道路とか空港とか高速鉄道といった、インフラストラクチャーの建造の予算を確保する、日本各地に建設の仕事を割り振っていく(公共工事)。

という理路を通って、建設業も、その業の会計制度も、一見無関係のような政治と(公金の使途として)結びついてくるわけです。

対立項の警鐘として、明治憲法下の失敗のように、右向け右のトップダウン式があります。国家主義的に、具体性を欠いた、抽象的な国家が上から目線で何かを押し付けてくるビジョンというものに、警戒をしないといけないと思うんです。コロナ禍に億円単位かけてブルーインパルス飛ばすような。あれは鼓舞してますってビジョンでした。だが、なにか具体的に解決策だったでしょうか?

観念化・空洞化した公権力には、政商の類が入り込みます。
戦後解体されるまで日本にも(あまりにも強大に肥大化した)財閥という存在がありました。

今も三菱とか三井住友とか名残りがあるじゃないかというのは横道に逸れるので以下略ですが。

ともかく、紹介した新聞記事というのは、1人あたり予算では東京都23区の中でも最もリッチな、つまり日本の地方自治体の中では最もリッチな(ということですよね?)千代田区を舞台にした汚職が、行政発注の建設、公共工事の入札漏洩という形で起きたということでした。

この場合、漏洩を働きかけた建設業者が政商の現代版ということになりましょうか?😅

それが巡り巡って、本来受注すべきでない技術水準や財務基盤の建設業者による受注を招いてしまえば、のちに崩落事故などの重大事件になるかもしれません。

海外の、橋が落ちたりダムが割れたりするような類の、アンビリバボー映像(古?)みたいに。

もしも日本各地でこの事件の相似形が起こっているのなら(仮)、いずれ日本でも事故りますよね。同時多発的にかも。

いや、杞憂であればいいんですが。😅

公金の使途を歪めてしまうことがいかに売国的か(そして選挙をさぼって自公政府への丸投げをしておくことの帰結として、いかに象徴的か🥶)、ということをお伝えしたくて、民主政の要点を長々と書きました。ご容赦ください。

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