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人生の成功=幸福の誤解

今回は、岸見一郎さんの著書、「泣きたい日の人生相談」という
本の内容について紹介します。

全く予想していなかったことが人生を大きく変えるということは、
誰にでも起こりうることです。
例えば、病気とは無縁で健康だった人が突然がんで倒れるということが
あったり、ずっと信じていた友達に裏切られてしまうこともあります。
そのような、泣きたいことがあった時に、私たちはどのように
対処すれば良いのでしょうか?

今回紹介する本は、嫌なことがあった時に、そこから立ち直るための
秘訣が書かれた本となっております。
今現在、あなたに何か悩みがあるのならば、それは今まで生きてきた人の
悩みと同じですから、先人の知恵(解決策)を教えてもらいましょう。





将来の目標は全く無意味である

私たちの多くが悩んでいる事として「人生の目標が見当たらない」
というものがあります。
これといった人生の目標が無く、このまま年だけを重ねていくことに
不安を感じている人は多いことでしょう。
このような悩みに対して著者は、「人生の目標なんて無くて構わない」と
言っています。

現代社会において、私たちはそのまま年を取ることなんてできません。
私たちが置かれている環境は目まぐるしく変わっていき、私たち自身も
それにつれて変化していくのです。

今の時代、同じ会社に定年まで勤めるというのは難しいでしょう。
転職がブームになっているという理由もありますが、転職するつもりが
なくても、リストラや倒産に巻き込まれてしまう事も
十分に現実的な話です。


また、目まぐるしく変化する環境にあって、自分は年齢だけを重ねて
変化しないという訳にもいきません。
「生きること」とは「動くこと」であり、「変化すること」ですから、
生きている限り変化しないということはあり得ないのです。
ただ、私たちはその変化が穏やかなために、変化に気づきにくいと
いうだけです。

それでも、毎日少しづつ成長する木のように、心の中は必ず
変化しています。
人生の目標が無く、このまま何も出来ず無意味に年を取るのが
怖いという人は、このままではいけないと思っているのでは
ないでしょうか。
ですが、皆さんが漠然とした不安を抱いている「このまま」という
状況が悪いものであるとは限りません。



皆さんが人生の目標を見つけたとして、それを達成したときに
何が得られますか・・・・?

お金や結婚など、世間一般の成功が得られると思っていますよね、
多くの人は人生で成功したいと思いますが、そもそも成功とは
何かを冷静に考えてみれば、著者は「社会的で一般的なものである」
と言います。
成功とは、社会の基準で測ったものに過ぎず、決して自分の
物差しで測るものではありませんから、成功を得るためには
社会の基準に合わせる必要があり、社会の基準で
戦っている以上、他の人と違ってはいけないのです。



一方で、幸福というのは自分の尺度で測るものであり、各人において
オリジナルなものですから、幸福になりたい人は、他人と同じである
必要は全くありません。
多くの人が、人生の目標を達成する(成功する)ことができれば
幸せになれると思い込んでいますが、必ずしもそうではないのです。

社会的な成功と、個人的な幸福というのは、その根底から
全く別のものですから、成功しても幸福ではないと
感じている人はたくさんいるはずです。

著者は、「成功が過程であるのに対して、
幸福は状態である」と述べています。

社会において、何かを達成しなければ成功したと言えませんが、
個人レベルでは何も達成しなくても幸福でいることはできます。
このように考えれば、このまま年を重ねていくだけの単調な
人生であったとしても幸せでいることができることに
なりますので、夢中になれるものが無く、人生の目標が
見当たらないという方は、目標意識を捨てて、自分自身が
置かれている状況を見渡してみてください。

もしかしたら日々のちょっとしたところに幸福が転がって
いるかもしれません。









人生の不安を消して前に進む

人生において、不安になる局面は誰もが経験することであり、
激動の時代である現代においては、仕事だけでなく、これからの
自分の人生がどうなるかは誰にも分かりません。

せっかく就職できても、定年まで続けられる保証はどこにもないことや、
愛し合って結婚した夫婦でも離婚せず円満に暮らしていける保証なんて
どこにもありません。

皆さんが今までコツコツ積み立ててきた年金は、それを貰う頃には
跡形もなく消え去っているかもしれないし、孤独死から逃れることは
多くの人が直面している問題です。

こうしたことを考え始めると、不安がどんどん押し寄せてきますが、
著者は、「それらを不安になる必要は全くない」と言います。



ここではまず、不安と恐怖の違いについて、冷静になって
考えてみましょう。

恐怖というのは明確な対象があります。
例えば、私たちが登山中に森でクマに出くわすと恐怖を感じますよね。
恐怖を感じると、私たち人間はその場から逃げ出そうとします。
その場にぼんやりと立ち尽くしているのは非常に危険ですから、
恐怖を感じると逃げ出そうとするのは人間の生存本能です。

このように、恐怖というのは何に対して感じているかが明確なので、
クマがいなくなれば恐怖は消え去ります。
一方で、不安に対する考え方を、ドイツの哲学者キルケゴールは、
自身の著書である「不安の概念」で、「不安の対象は無である」と
述べています。


これはとてつもなく心理を突いた言葉だと思いませんか?

つまり、私たちは何か明確な対象があって不安なのではなく、
いつも何となく不安なのです。

先ほどの森のクマの例であれば、クマと直接出会ってしまうのが恐怖で、
クマを見ていないにも拘らず、いつクマが出てきてしまうのかと
ビクビクしているのが不安です。

このような不安を感じているとき、私たちの脳内ではどのようなことが
起こっているのでしょうか・・・・

それについて、「嫌われる勇気」で有名な心理学者のアドラーは、
次のように説明しています。
「防御をするために手を前に伸ばし、見なくていいように、
もう一方の手では目を覆う」


不安に怯えている人は、防御のために片手で自分を守りながら、
恐ろしいものを見なくて済むように、もう片方の手で
目を覆ってしまうのです。

先ほど、恐怖において私たちは生存本能から逃げることを
選択すると申し上げました。
ですが、不安においてはそうではありません。
不安な人はアドラーの言葉のように、中途半端な状態で問題の解決を
ためらい、優柔不断になってしまうのです。

これについては皆さんも心当たりがあるのではないでしょうか?
一度このような不安に囚われて、中途半端な場所で足踏みを始めて
しまうと、私たちはいよいよ人生の課題と向き合おうと
しなくなってしまいます。



では、不安に囚われてしまった人はどうすればいいのでしょうか?

・・・・・・・・

・・・・

不安に囚われた場合、私たちは自分自身が置かれている現実を
どうすることもできないほど困難なものではないと
認識する必要があります。

人生においては、やってみなければ分からないことが
本当にたくさんありますから、どうやっても無理だと思って
取り組んでみたものが、いざやってみると何とかなるということは
多々あります。

不安を解消するために行動するというのは、最終的に良い結果が
出なかったとしても、皆さんの人生に良い影響を残します。
なぜならば、例え結果が出なくとも行動した過程というのは
心の中に蓄積されていくからです。
そして、その蓄積を糧に何度でも再挑戦すれば良いのです。

また、これから何が起こるか分からないという不安をお持ちの方は、
「人生では何が起こるか分からないからこそ面白いのだ」と
考えることもできます。
全てが自分の予想通りになったら、つまらなさ過ぎると思いませんか。
どんでん返しのある小説は、結末を知らないからこそ面白いのです。

ですので、不安に囚われている人は、まずは何でもいいから行動して、
何が起こるか分からないことを楽しむぐらいの気持ちを持ちましょう。







最強の浪費術

皆さんの中に、お金の問題で悩んでいる人はいますか?

私たちにとって、お金は常に悩みのタネとなっているので、将来のために
生活費を切り詰めてまで貯金をしようとします。
ですが、我慢をしてまで貯金するというのは、行きたいところにも
行けないし、食べたいものも食べられませんから、
決して楽しいことではありません。

そのように、無理な我慢を続けていると心に余裕がなくなってしまい、
幸福な人生であるとは思えません。
著者は、「倹約することばかりを考えて楽しめないくらいならば、
貯金する意味なんて無い!」と言います。
まず、貯金することが何のためなのかを考え直してみる必要が
あるでしょう。

皆さんが今からコツコツと貯金をしているのは、将来幸福になるため
だと思いますが、どんなに健康な人であっても、急に大きな病気に
罹ってしまうことがありますし、どれほど良い会社に勤めていても、
会社が倒産して仕事を失うというのは、誰にでも起きる可能性があります。

そのような、緊急時に備えて貯金をしておくことは、確かに必要だと
思いますが、その貯金のために普段の生活を切り詰め過ぎてしまい、
日々の生活がつまらないものとなってしまうのであれば、
いったい何のための貯金なのか分からなくなってしまいます。



ここで、重要な真実をお伝えします・・・・

人間は、今しか幸福になることができないのです



過去を振り返って、かつては幸福だっと思える記憶はたくさんあると
思いますが、そのような日々が現在も続いているのであれば、
それは過去の幸福ではなく、今現在の幸福です。

もし、今現在が幸福でなかったとしたら、過去を振り返っても、
あの頃は良かったなと悲しくなるだけでしょう。
過去を振り返って幸福を感じることができるということは、
今現在も幸福であるという証です。

他方で、未来はどうなるか分かりませんが、未来を想像して
幸福な姿を想像できるのは、今の状況が幸福であるということを
意味します。
つまり、今現在が幸福でも不幸でも、将来幸福になる保証は
どこにもないという訳です。


このように考えてみれば、今現在の幸福を我慢して、お金を一生懸命貯めた
ところで、将来的に幸福になれるかどうかは分からないという結論にも
納得していただけるでしょうか。

長い人生におけるどの段階も、将来のための準備期間ではなく、
今この瞬間こそが本番ですから、未来のために今の生活を
切り詰めるというのは、本来の生き方ではないのです。

倹約と貯金の事ばかり考えている人は、目の前にある自分自身の
幸福に気づき、今この瞬間を楽しんでいただきたいと思います。







他人にイライラしてしまう時の対処法

日々の生活において、対人関係の問題というのは私たちにとって
相当なストレスになってしまうものです。
人から嫌われるのを恐れるあまり、自分自身の人生を生きられて
いないと感じている人もいるかもしれません。

このような対人関係のストレスから、人に接することで、
すぐにイライラしてしまうという方もいるでしょう。
イライラすれば、心だけでなく体までもが不健康になってしまいます。

どうしたらこのような不快な感情と距離を置いて、心穏やかに
生きていくことができるのでしょうか?

・・・・・・・

・・・・

他人にイライラしてしまう人はまず、他人を変えることは
できないという事実を再認識することが大切です。

他人は自分のお母さんではありませんから、私がイライラしないように
行動してくださいとお願いすることはできません。
イライラしているということは、つまり怒っているということですが、
怒りの感情を相手が分かったところで、自分が思うように
相手を変えることはできないため、さらにイライラが募って
しまうのです。

ですから、イライラしてしまうという人は、怒りを表現しても
他人は変わらないということを理解する必要があるでしょう。

皆さんが人に怒られた時のことを考えてみてください、
怒られるときには確かに怖くて、一時的には自分の行動を省みる
こともあるでしょう。
ですが、一方的に怒られて行動を変えたとしても、心まで変えることは
不可能ですから、その行動は身に付いておらず、多少なりとも
反発の感情が隠れているものです。

このように考えれば、あなたが怒ったとしても、相手は変化しないと
いうことが分かるでしょう。
怒ったり、イライラすることで相手の行動を止めさせられたとしても、
それは怒られているのが怖いから止めたのであり、決して自らが
納得して止めたのではありませんから、他人はまた同じことを
繰り返してしまうのです。



心理学者のアドラーは、「怒りは人と人とを引き離す感情である」と
述べています。

怒った人と、怒られた人の間には、心理的な距離ができますので、
たとえ怒っている人の言い分が正しかったとしても、怒られた相手は
それに反発して受け入れることができないのです。

このような理由から、怒れば怒るほど相手を変えることは
どんどん難しくなってしまい、関係がこじれてしまうということが
分かるでしょう。

ですから、皆さんがイライラした時には、そのイライラによって他人を
変えようとするのではなく、一度立ち止まって自分自身を見つめ、
イライラしている自分自身を変える必要があるのです。

怒りによって相手の行動を正せないとしたら、イライラを消すためには
相手の行動を見ないようにするしかありません。
他者と距離を取ることで、変わらない相手を変えようと期待して、
無駄な努力をすることもなくなります。

そうなれば、他人にいちいちイライラせず、もっと自分自身の人生を
生きることができるようになります。






純愛の秘訣

人生においては多くの人が直面する問題である、パートナーとの
関係について述べていきたいと思います。

出会った当初は何年経ってもこの人と一緒に居たいと思っていたのに、
長年の付き合いになることで、相手への思いやりや感謝の気持ちが
薄れてしまうことはありませんか?
むしろ、一日でも早く別れてしまいたいと思っているカップルも
少なくないかもしれません・・・・

いつまでも互いを思いやれるような、良好な関係を築くには
一体どうしたらいいのでしょうか。

いつまでもパートナーと仲良くしていたいなら、2人の関係に
慣れてはいけないと著者は述べています。
知り合って間もない頃は、相手と一緒に過ごすだけで喜びが沸き上がって
いたと思いますが、長く一緒に生活していると、互いに相手に慣れて
しまい、言葉遣いが雑になったり、相手に対する甘えが生じてしまいます。
出会った頃には気にならなかった些細なことで、喧嘩をすることも
増えてしまうでしょう。



このような、相手に対する甘えを払拭するためには、とにかく
慣れないようにするということが鉄則です。
私たち人間は刻々と変化する生き物ですが、目の前の人を昨日と同じ人だと
思っていると、相手の変化に気づくことができません。

ですから、目の前の人を初めて会う人だと思うことで、今日は昨日の
繰り返しではなく、明日は今日の延長ではないと
考えることができるでしょう。

相手の良いところに気づけるようになれば、相手を大切に思えるように
なり、何かをしてあげたいと思うようになります。
一度生まれた愛は恒久的に存在し続けるわけではありませんから、
誰かを愛したらそれで終わりではなく、愛を更新していく
努力が不可欠なのです。

相手が自分に何をしてくれるかを考えるのではなく、自分が相手に
何をしてあげられるかを考えてみましょう。







独身こそが幸福への近道

最後に、何年経っても愛し合うパートナーが見つからないという方への
メッセージを付け加えておきましょう。

愛するパートナーと一緒に生きていくということは、それはそれで
素晴らしいことではありますが、それと比較にならないぐらい
自分一人で生きていくということも素晴らしいことです。
なぜならば、自分一人で生きていくということは、自分自身の事を
生涯の伴侶のように愛するということだからです。

ですが、なかには自分一人で生きているにも関わらず、自分のことを
好きになれないという方もいらっしゃるのではないでしょうか・・・・

どうしても自分の嫌いなところばかりが気になってしまう人は、
自分の事を心から肯定することができません。
周りと自分を比べる度に、自分はなんてダメな人間なんだと
落ち込んでしまう人は、自分自身の理想像から引き算をして
自分を評価しています。

心理学者のアドラーは、「自分に価値があると思う時にだけ、
勇気を持つことができる」と述べています。

自分には価値があると思っている人は、どんなことにも果敢に
取り組むことができますが、自分は何をやっても駄目だと
思い込んでいる人は、仕事も恋愛も勉強も、
何にも取り組むことができません。

行動しなければ結果は出ず、結果が出なければ
自己肯定感は上がりません。



著者は、「自分を好きになることができないのは、自分自身に価値が
ないからではなく、勇気を持つのが面倒くさいから、無価値な存在だと
思っておこうと怠けてしまっているだけだ」と言います。

なぜ、勇気を持つことが面倒なのかというと、結果が出るのが
怖いからに他なりません。
あなたが勇気をもって挑戦すれば、必ず結果が伴います。
時には、失敗という辛い現実を突きつけられてしまうことも
あるでしょう。

ですが、勇気をもって挑戦しなければ失敗することもありませんので、
最初から自分には価値が無いと決めつけてしまえば、
案外楽に生きていくことができるのです。

楽な生き方に染まってしまっている人は、どうしたら行動への勇気を持ち、
自分自身を好きになることができるのでしょうか?

・・・・・・・

・・・・

自分が嫌いな人にとって大切なのは、他者からの評価と、自分自身の
価値というのは全く別物であることを知ることです。
先ほども書きましたが、「社会的な成功」と「個人的な幸福」は
全くの別物ですので、社会的な成功を得なくとも、
個人的な幸福を得ることができます。

そして、人生の本当の目的というのは、個人的な幸福を得ることですから、
幸福になるために他者からの評価はそもそも必要ありません。



とはいえ、私たちは社会的な動物ですから、個人的な幸福に浸っている
だけでは、自分に価値があると思うことはなかなか難しいかもしれません。
心理学者のアドラーは、「自分に価値があると思えるのは、自分の行動が
共同体にとって有益であるときだけだ」と述べています。

つまり、自分が他者に貢献していると感じられるときに、私たちは
自分の価値を感じることができ、自分を好きになることができるのです。
そして、自分の価値を見出すための他者への貢献は、必ずしも
大変で難しいことだけではありません。

たとえば、電車やバスで人に席を譲るだけでも、私たちは他者に貢献
することができますので、自分のことが嫌いな人は、ほんの少しでも
社会に貢献できることを始めてみてください。

それだけで自分自身を愛することができるようになり、一人でも
有益な時間を過ごしながら、人生を謳歌できるでしょう。


終わり











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