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花びらの行方…

※妊娠、流産、死産に関係するデリケートでセンシティブな内容です。
現在これらの、あるいはこれらに類するお悩みがある方がお読みになると、心の負担になるかもしれません。
少しでも躊躇があるときは、フラッシュバック等の可能性がある方は、どうか読み進められませんように。
くれぐれも無理をなさらないでくださいね。

今年もまた桜の季節がやってきた。
「暖冬だから早く咲くはず」と言っていたけれど、予報に反して寒い日も多く、東京は4月上旬になってようやく本格的な開花の兆し。
うちの店でも
「いつ咲くのかしら、蕾を毎日確認しちゃうわ」
「お花見のお天気が気になってね」
そんな会話が多くなり、開花を待ち望むわくわくした雰囲気に溢れている。

店の近くの大学には桜が沢山植えられていて、近所の人達は開花するや否や構内に入って見物するのが恒例行事。
大学職員の方々が寛大なのか、一般の人も広い敷地内を散歩できるだけでなく、シートをひいてお弁当を広げられるスペースもあるそうで
「本当にいい大学。優しくて思いやりのある人達ばかりだわ。優秀だしね」
と突然に大学の株が上がり出すのも毎年のこと。
普段は
「何やってんだかねえ…難しくて分かんねえけど、税金使ってんだから俺達にも還元しろよなあ?」
なんて言われたりもしているのだが…(笑)。

桜見物の人でにぎわうので、その時期は店も忙しい。
店が忙しいということは営業時間外も仕込みや片付けに追われるわけで、私達に桜見物に行く時間は無い。
バイク通勤する時、ちらりと見上げるくらいだ。木の近くをさーーっと通り過ぎ、花を見上げる。
今は三分咲きかな?
五分になった?
満開…は一瞬で、すぐに散り始めて…

毎年そんな忙(せわ)しないふれあいだけれど、年に一度の花々は儚くも美しい。
たまに小さな花びらが飛んでくると、心がふっと温まる。
私はそれで十分満たされるし、むしろそれくらいでいいと思っている。

15年前、私達は結婚してすぐに子供を授かった。
だが、だが私のお腹にいた双子ちゃんはすぐに天国に旅立ってしまった。
いわゆる繋留流産だった。
流産が判明したのが春、桜の頃。
手術をすることになり、その日は快晴だけれど風が強かった。病院の前の通りにも、近くの公園にも桜が咲いていたから、空一面に花びらが舞い、太陽に照らされてキラキラと輝いていた。
ストレッチャーで運ばれながら、大きな窓から光る薄桃色の嵐を眺めていたのをよく覚えている。

沢山の花びらが散り散りになって飛んでいく…。
さっきまで同じ1つの花を作っていた、一緒にいたお隣さんとも、もう会えないのだ…。
こんなに強く風が吹いて、こんなに沢山の花びらがあったら、会いたい花びらに会うなんて絶対無理だ…。
一度別れたら、もう会えないんだ…。

手術が終わり、それからしばらく、数年間、当然のように、私は桜が見られなくなった。
毎年、毎年、春には心を無にして、何も感じないように…そうでないと涙が止まらなくなってしまうから。

私が妊娠したのは30代も半ば、世にいう高齢妊娠だったから、
「仕方ないよ」
とはよく言われた。それはそうだけれど、40代でも出産している人もいるじゃない…。
「年とってからの子育ては大変よ。第一あなたは体が丈夫でもないんだし」
これもよく言われたが、「体が弱いから妊娠を維持できなかった」と言われているようで(別にそう言われているわけではないけれど、こういう時は自分を責めてしまうのだ…)、辛くなった。
「大きくなってから死なれるより、よほどいいわよ」
実際そうかもしれないが、流産した人に言うことではないだろう。
ただこのあと数年して私は蕎麦屋の女将になり、世の中にはいろいろな形で子供を失っている方がいることを知る。病気だったり事故だったり…。
成長した子供を亡くす哀しみの深さには想像を絶するものがあった。ただ、この時の私は目の前の自分の事で心が一杯で、悲しみの濁流に飲み込まれていて、想像力が至らなかった。

「子供って、いたらいたで本当に大変なの。いない人にはいる人の気持ちは分からないし、いる人にはいない人の気持ちは分からないわね」
これは本当にそうだ。今もそう思う。
そして流産してその後に授かる人もいるし、うちのように流産して、結果的に子供がいない人もいる(私はこの後にもう一度流産している)。
それぞれの人生があり、それぞれの道がある。
そして似たような道を歩いているように見えても、道をどう歩くか、どう味わうかは、その人ごとに大きく違う。

他にも励ましともアドバイスとも、時にはお叱りとも思える言葉を頂いた。こちらもいちおう記録として書いておくけれど…
「若いうちに結婚しないから…」
「あなたが冷え性だからいけないのよ」
「子育てしないと一人前になれないわ、次は頑張りなさい」
「むかしは生まれ過ぎて困ったくらいなのに」
どれもそれほど親しい人でもない方から言われたことだし、当時もあまり気にしなかったが、鮮明に覚えているということはやはりショックではあったのだろう。
もちろん彼女ら、彼らにとっては率直な感想で、自分達も言われてきたことを話しているだけ、なのかもしれない…。
ただ、私は今でこそ心が落ち着いているので改めて書き留めることも出来るけれど、どうか当事者、経験者の方にはこういうことは言わないで欲しいと思う 。
たとえ親切心からであれ(冷え性をなおしなさい…とか)、「逆縁(子供に先立たれること)ほど辛いことはない」という言葉もある通り、流産や死産した人達は本当に、無茶苦茶に、ちょっとどうかと思うほどに辛い。悲しい。
それに、責めるところが無いだけに、自分を責めている。
理屈ではなく思ってしまうのだ
「どうして無事に産んであげられなかったのだろう」
と…。

先ほども書いたけれど、私はその後も一度流産し、その時も心がぽっきりと折れた。
慣れる事なんてないのだ。
心が折れたというか複雑骨折したというか、いやむしろ心を支える骨そのものが砕け散ってなくなってしまい、よりどころを失った精神が彷徨い出す不安定な状態になった。
心がどこかに消え入りそうなのに体があることが重苦しく、肉体があることが果てしなく面倒くさく、生きている理由が分からなくなった。
二度目にもいろいろな人からいろいろなことを言われたけれど、その時はもう言葉が全然入ってこない。
私は比較的物事を細かく覚えている方だと思うけれど(思い込みかもしれないが…)、にも関わらず、この時は記憶がかなりあいまいだ。

後から考えれば、ホルモンバランスが激しく乱れていたせいもあるのだろう。人生の中で一番、自分が「要らないもの」に思えた。
私は誰からも愛される、未来を創る赤ちゃんを授かることが出来ない。そんな赤ちゃんからから全力で必要とされるお母さんになれない。
これはもう、生きていても仕方ないのでは…。
今振り返ると「あらあら、思考が飛躍してますよ」と思うけれど、当時は悲しみで頭も心もいっぱいだ。
暴走する孤独な思考は、自分で自分にナイフを突き刺し続ける。
血まみれになっているのは自覚していたが、だからと言って心の自傷行為は止まらなかった。
体は生きているけれど、心は瀕死…そんな状態が続いた。

とはいえ、それでも、私は心のどこかで、心の奥の奥の片隅で
「きっと回復できる。時間がかかってもいい、回復しなくては」
とも思っていた。
そう思うと即座に
「赤ちゃんを死なせたのに、自分だけ元気になろうとしているの?」
という冷たい声が聞こえてくるのだが(こういう、自分を責める自分の声はしばらく聞こえ続けた)、それでも私は闇雲に立ち上がろうともしていた。
理由は分からないけれど…でも自分が「また生きていこう」思えるタイプだったのは、幸運だったと思う。
そして今だから分かる。
現在誰を恨むこともなく、もちろん自分の運命を呪うこともなく、赤ちゃんは残念だったけれど仕方ないな…と思えるのは、この「理由は分からないけれどちょっと前向き」な性格の他にも、いくつかのラッキーが重なったからだった。
幸運を自慢したいからではなく、当時私がたまたま手にした僥倖は今後どなたかの、何かのお役に立つかもしれないからこれも書き残しておこう。

幸いの1つは夫の祖母(母方)がお産婆さんだったこと。
彼女は私が結婚した時はすでに他界されていて面識はなかったけれど、今でも親戚中で尊敬されている女性だ。静岡の下田で多くの妊婦さんを支え、出産に立ち会った。沢山の出産の実例を知っている人で、彼女の仕事ぶりや話していたことを娘である義母はよく覚えていた。
だから私が流産を告げると、義母は驚いたし悲しんだけれど、その後に
「母はよく言っていたわ。流産は、どんなに気を付けていても起こる。その人(妊婦)が悪いわけじゃない」
「原因は男にあるかもしれないよ」
さらりとそう言うと、しばらくはしっかり体を休めなさい、と言ってくれた。
こんな時に自分の息子に原因があるかもと口に出せるなんて…彼女の優しさに唖然として返事もできなかった。そして会ったことも無い、夫の祖母に心から感謝した。
義父が、当時私達が飼っていた犬の散歩を寝ている私の替わりにしてくれたのも、本当に有難かった。

また私は医療系のライターをしていたので、医師や看護師の知人が何人かいた。
精神科の医師が
「流産を甘く見てはいけないよ。僕のところには流産がきっかけで夫婦そろって重いうつ病になった人もいる。そのくらい辛いことなんだ」
と言ってくれた。
看護師さんは「公正世界仮説」という言葉を教えてくれた。心理学の用語で、「世界は公正であり、起きる出来事には原因がある」という考え方で、良いことをしたら良いことが起こる、因果応報、と近い発想かもしれない。
「これね、嘘なの」
人間が成長する過程では、ある程度この考え方は必要だという。はじめから世界は理不尽で、良いことをしても次の瞬間死ぬかもしれないし、親切にしても裏切られるかかもしれないし、一生懸命勉強してもそれを活かす機会はないかもしれない…なんて言ったら、人間は心の屋台骨を失ってしまう。だから幼いころは「やれば、できる」「頑張れば、報われる」と思うのは悪いことではない。
けれど、大きくなるにつれ、誰でも世界の実情が見えてくる。
善人が善良に暮らしていても、突然戦争に巻き込まれて無惨に殺されることがある。信用して貸したお金を持ち逃げされることもある。一生懸命勉強しても、突然重い病にかかってしまったりする…。
つまり世界は全然公正ではない(ものすごく長期的に観測したり、宗教的な視点を持てばまた違うかもしれないけれど、とりあえず現実的な数年~数十年くらいのお話)。
けれども人生であまり理不尽な目に遭ってこなかった人は(それはそれで幸運なのだが…)、成長期に教えられたこの「世界は公正である、結果にはそれ相応の原因がある、という仮説」を人生の真実として捉えてしまうことがある。
それが「流産したのはあなた(妊婦)が…だからだ」という発想につながる。栄養に気を付けていなかったから、ストレスを貯めていたから、周囲に感謝が足りなかったから…。
看護師さんはは飄々と
「そういうの、全部嘘。あなたが心配だから慰めているんじゃなくて、沢山の患者さんに接していてそう思うの。
〇〇だから流産した、の〇〇には、何でも当てはめられるしね。
あとこのタイミングで何か売りつけてくる人がいたら、その人は切っていいと思うわ!」

そして「夢分析」。これもまた医療の取材で出会ったものだが、随分と心の支えになった。
「夢分析」については詳細に語ると長くなるのでまた別の機会に記すことにするけれど、夢を通じて自分を知る方法を知っていたお陰で、私は悲しみの底でのたうち回りながらもどこか冷静でいられたと思う。
とてもざっくりと言うと、夢は心を可視化したものだ。普段は見えない自分の本心が分かると(それはそれでショックな場合もあるが)、進むべき道が見えてくる。それは普段の意識とは異なることもあるけれど、よくよく考えると夢が示すことは肚に落ちることが多い。
枕元にノートを置いて夢の記録をつけることも、私を助けてくれた。

とはいえ、いろいろなものに助けて貰いながらも心の落ち込みは激しく、心療内科にも行ったし、夫婦でカウンセリングにかかったこともあった(心療内科に付属しているところ)。
長期間ではなかったけれど。
時には信頼できる機関に頼る、というのも大事だと思う。
知人にはアロマセラピーなどの補完・代替療法に詳しい方もいたので、その人達からも随分助けて頂いた。

これらの力を借りて、数週間はずっと寝込み、俯いてばかりだったけれど、私は少しずつ前を向けるようになった。
ただ、しばらく辛かったのはお風呂に入ること。
赤ちゃんはもうお腹にいないし、手術も済んでいるけれど、体から出る妊娠を維持するためのホルモンはすぐには止まらない…。
聞いてはいたけれど、本当にそうなのだ。
風呂場の鏡に映る自分の体形は土偶のそれで、「ああ、体はまだ赤ちゃんがいるんだと思っているんだ…」とすごく切なく、鏡を見る度に涙が噴出してしまう。
あのね、残念だけど、あの子達はもういないんだよ。少しずつ、通常モードに戻ろう…。
毎日そう話しかけて、ゆっくりゆっくり、私の体と、そして心はもとに戻っていった。

かなり回復してきた時、私は思い切って夫に
「不妊治療をしますか?」
と聞いてみた。
このタイミングで聞いておかないと、あとで良くないと思ったのだ。
ちなみに、この頃はまだ不妊治療に助成がなく、内容にもよるけれど基本的に費用は高額だった。
とはいえ彼は長男だし、他に男兄弟はいないし、お墓のこともあるし…。
夫は少し考えていたけれど、
「しなくていいと思う。子供ができたら可愛がる、できなければ二人で楽しく暮らす、それでいいよ」
私は彼が、妊娠が判明して「双子の男の子らしい」と言われたときにウルトラマンのDVDを用意していたのを知っていたし、なんだかんだいって彼の両親は孫を楽しみにしていたし、私の両親も子供が好きだし、たとえ治療が辛くても赤ちゃんを授かれるなら挑戦した方がいいのかな…という気持ちだった。
でも夫は大きく首を横に振った。
「墓の制度なんて明治あたりからの新しいものだし、供養する気持ちがあるなら散骨でもいいと思ってる」
そして、さっぱりした顔で、
「そもそも子供が欲しくて結婚したわけじゃない。君とコミュニケーションするのが楽しかったからだ。不妊治療しても授かるとは限らないし、それより一緒にあちこち出かけたい」
そうですか…そう思ってくれていたんですね…。
私も一時は「母親になれないなら、私の存在意義は?」とまで思い詰めていたけれど、この時は少し冷静になっていた。
「そうだね、それでいいのかもしれないね…」

私の母の時代は「三年子無きは去る」という言葉がまだ生きていた(結婚して3年経っても子供が出来なかったら、女性は離縁される)。
彼女は男の子に恵まれなくて(私は三人姉妹)、離縁にはならなかったけれど、なんとか男の子に恵まれるようにと
「舅に鯉の生き血を飲まされたのよ…あれは本当に嫌だった…」
と語っていた。このことは何年経っても時折口にしていて、本当に、心から嫌だったのだろうと思う。
私は鯉の生き血どころか、舅に犬の散歩までさせているのだ。
何というか…

「分かった。どうもありがとう」
夫に向かって言ったけれど、夫をこういう風に育ててくれた人達みんなにも感謝した。
そして新しい女性の生き方を切り拓き、サポートし、選択肢を増やし、少しずつ少しずつ空気を変えてくれた人達にも…。

しばらくして私はライター業に復帰し、2015年からは蕎麦屋の女将と物書きの兼業になり、今に至る。
相変らず未熟者だけれど、目の前にある仕事を頑張ろうと思っている(思ってはいるけれど、いろいろと至らないのはごめんなさい…)。
子供はいないけれど、姪っ子甥っ子を、そして店に来る子供達を、可愛がり心から応援している(これも中途半端だったり至らなかったりですが…)。
語学とか、読書とか、映画鑑賞とか、ライブに行くとか、旅行とか、DJとか(これは夫)、好きなことはしっかり楽しむ。そして無理しない。
決して豊かではないから働き通しだけれど、とはいえワクワクすることもやりがいも多い日々…。

そうこうしているうちに、あっという間に、私は50歳になった。
この頃は、今は、桜が咲いても悲しくて泣くことはない。
桜の花を見て当時のことをいろいろと思い返しはするけれど…むしろそれは私の心にそっと灯をともすような、道を照らしてくれる思い出ばかりだ。

夫は一度目に流産した時も、二度目も、仕事があって手術の付き添いには来られなかった。
当日の朝、玄関で
「行ってらっしゃい。今日でこの子(達)とお別れだよ」
と言うと、彼は私のお腹に手を当てて
「うちに来てくれて、ありがとう」
と言った。
短い間だったけれど、一緒にいてくれてありがとう。
私達を幸せにしてくれて、本当にありがとう。
あの時も…玄関を開けると、花びらがどっと吹き込んできた。

もっと前、彼と出会ってすぐの頃、一緒にお花見をしたこともあった。
確か夕方頃に約束していたけれど、私の取材がかなり押して、やっと会えたときにはすっかり陽が暮れていた。
「仕事が終わらなくてごめんね、夜桜になっちゃったね」
歩いて行った近所のお寺はライトアップの設備があるわけでもなく、桜はよく見えなかった…。
それまでも何回も「取材が押して遅刻(時には欠席)」を経験していた彼は
「でもまあ、とりあえず来れたから、いいよ」
と言ってくれ、
「これから何回も一緒に見られるし」
とニコニコしていた。
当時は結婚の約束をしていたわけでも、無かったけれど…。

私達は必ず別れる。
一人一人、花びらが散るように。
考えると辛いけれど、夫と私も、どちらかが先に死ぬのだろう。
ただ、私はあの手術の日に
「死んでしまったこの子達とは、もう会えない。飛び散ったら、二度と…」
と悲しんだけれど、最近は
「もしかしたらそうでもないのかも…」
と思ったりもする。

花びらは、結局、みんな同じところに行くのではないかしら?
だとしたら、また会えるのではないかしら?

あの日、快晴の空に大量の桜が舞って、まぶしい太陽に吸い込まれるようだった。
みんな、どの花びらも、ああいう輝く場所に行くのだとしたら…?
私達は必ず別れるけれど、必ず同じ場所に行くのだとしたら…?
年を取ったせいだろうか…なんだかそんな広く明るい、限りなく優しい場所が、どこかにあるような気がしてならないのだ。

今年もまた桜が咲いて、多くの人が集まるだろう。
花は輝き、笑い声が響き、樹上も樹下も大賑わいだ。
私達は相変わらず店で働き、お客様からお花見の話を伺い、その賑わいに思いを馳せる。
仕事が終わると、樹の下をバイクでブーンと通り過ぎる。
ヘルメットのすぐ近くで可憐な花が揺れ、
飛んでくる花びらの一枚一枚が、毎年毎年、愛おしさを増してくる。

(おわり)

※上記はあくまで個人の経験であり、不妊治療を否定するものではありません。また私が妊娠したのは10年以上前であり、現在は状況がかなり変わっています。どうぞご了承下さい。
ただ、当時も今も流産は全妊娠の約15パーセントは起こると言われ、辛さや悲しみを抱えている方は沢山おられます。お子さんを望む方が、赤ちゃんを授かりますように…心からお祈り申し上げます。
また同時に、赤ちゃんがいなくても人生は続くし、それはそれで味わいがある、そんなこともお伝えしたいとも思いました。
私の筆が至らないために、お気持ちを害する方がいらっしゃいませんように、と願いつつ…。

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