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心配なことがあると不眠になる、お腹に来る、そもそもメンタル弱すぎなんだよな

ここのところ、ほぼ毎日投稿できていましたが、家のことで心配なことがあってできませんでした。
心配なことは家のことなので、誰かと共有できるものでもないし、誰かと共有したとしても同じ思いで共有は絶対にできないものだから、結局は一人で抱えているのと同じことなんですよね。

膠原病(皮膚筋炎)の病気の減薬が原因で精神不安になっているとも言えますが、私はずっと昔から、心配なことに耐えるメンタルが弱かったように思います。
その結果、すぐに体にも出てしまって、胃がキリキリと痛んだり、お腹が痛くなったり、不眠になったりします。

何でこんなに自分はメンタル(体)が弱いのだろうと思います。
悩み事があると、頭がそればかりになってしまいます。
気をそらすということが上手にできません。
考えているうちに胃が痛くなり、お腹が痛くなり、眠いのに眠れなくなってしまうのです。

私は若い頃は割と快活だったので、そんな風に繊細な人間に見られることがあまりありませんでした。
だから親しくなって私のこの一面を見ると、結構ビックリされます。
ビックリされるだけでなく、時にバカにされたり舐められたり迷惑がられたりしたこともあります。

そんなことが続いて、だんだんと私は人が怖くなりました。
人が怖い
なんて言うと、
弱い自分を見せる相手を見極めた方がいい、見極めないからそういう目にあうんだよ
とかよく世間では言われますが、
私の場合、わざわざ弱い自分を見せたからバカにされたり舐められたり迷惑がられたりすることばかりじゃありませんでした。
何も言わなくてもただ存在するだけで、弱さが駄々洩れしてしまっているタイプだったんだと思います。

だからわざわざ弱い自分を見せたつもりもない人達から、随分と軽んじられた扱いを受けてきました。
変な言い方ですが、明らかに私より見た目は気弱そうに見える人達からも、ひどい裏切りや搾取をされたことがあります。
人は見かけによらないと言いますが、本当にそうだと思います。

人生半分以上生きていて、それなりに人の判断が付く年齢だと思っていたのですが、ここ近年、明らかに私より気弱に周りに思われていた人達から、相談されて、親身になった結果、手痛い目にあいました。
私は人を信用しすぎるのだと思いました。
なぜそうなるのか?自分を信用できていないからなのだと思いました。

自分を信用できないから、人を信用する、人を信用すれば相手からも信用されるだろう、そういう流れを踏んでようやく、自分を信用できるように思っていたのかもしれません。
でも現実には、そんな風な人の信じ方は間違っていました。

まずは自分を信じる、それは言い方を変えれば自分を許すことだったのだと思います。
私はずっと自分を信じるという意味がよくわからなかったのです。
自分を信じる、そんな言葉を聞くと、まるで強い信念を持って、たくましく生きていく人のように感じられていました。
だから私は自分を信じられなかったのだと思います。

自分を許す、そういう解釈に変えてみれば、今からでも私は自分を信じることができるのでしょうね。


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