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どんなにか細い命であろうとも、懸命に生きようとする父は、身をもって生命というものを教えてくれているのだろう。

珍しくスマホからの投稿です。
父の面会とソーシャルワーカーさんとの話を終えてきました。
まだ母と一緒です。
帰りが遅くなりそうなので、今の気持ちを取り急ぎ、投稿しようと思いました。

他記事に頂いているコメント返信より先の投稿になってしまいましたが、ご理解頂けましたらと思います。

父は先週より一般病棟に移ったものの、機能的回復はなされてはいませんでした。
人工呼吸器もはずれ、心臓も正常、腎臓も透析が要らない状態にまでなったものの、大量の痰が原因で水を飲むこともままなりません。
ゼリーも試しているようですが、本人がほとんど拒否をしているようです。

喉の機能が低下しているからだと言われました。
父の病院は急性期病院なので、このまま回復の見込みが薄ければ、リハビリ専用病院、もしくは施設に入所することになりそうです。

若干の意識障害もありました。
頭はしっかりしてたので、一時的な状態の可能性もありますが、まだわかりません。

母と遅い昼ご飯を食べながら、同じ思いを話しました。
父は、か細い命を懸命に生きながら、私達に覚悟の時間を与えてくれているのだと。
その時間を通して、生命の尊さを学ばせてくれようとしているのだと。

どんなに寝たきりでも、父は生きている。
元気か?と気遣う父。
寝たきりで、あちこち痛いとぼやく父。
看護師さんから痰吸引してもらい、取れた?と聞かれ、取れたと答える父。
帰るよと伝えると、帰るのか?とたずねる父。

父は生きている。
悲しんでる場合じゃない。
悲しいけど、まだまだ、父と共に、母も私も生きるのだ。
父は今、この瞬間を、生きているのだから。

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