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カッコ悪い私

普段、どんなにカッコいいことを言っていたとしても、想定もしていなかったことが立て続けに起こり、私はカッコ悪い自分しか出せなくなってしまった。

持病たくさんあるとはいえ、年末の検査で主治医からお墨付きをもらったばかりの父が、正月早々、救急車で運ばれ、緊急入院。
いつもの心不全(肺に水が溜まった状態)との話から一転、誤嚥性肺炎、人工呼吸器と、話がどんどん、思ってもいなかった方に進んでしまった。

母はもう、完全に思考が付いていってない。
私は思考は付いていってたのだが、一人になった時に来た。
思考が付いていかない、現実を受け入れられない、考えたくない。
完全に現実逃避となった。
しかし、現実は容赦なく襲ってくる。
母との会話(喧嘩)だ。

母は病院から帰ってきてからは、そこそこ気丈にしていたが、いつも以上に地雷がたくさんある状態になっていた。
私が何か言うと、過剰反応、被害妄想、暴言の嵐になってしまった。
私自身も余裕がないから、もう、そんな母をなだめる元気もなく、応戦状態に入ってしまう。

情けなかった、カッコ悪かった。
父が、人工呼吸器というものに助けられながらでないと呼吸ができなくなってしまっているというのに。
私は、母は、何をやっているのだ?
父は、危篤状態だ。
生還したとしても、もう以前の父には戻れない可能性が濃厚だ。
主治医からは、怖い話ばかりを聞かされた。
ここには書けない、書いたらあまりにも今の私には辛いからだ。

でも、受け止めなければならない、それが今の私にできることだから。
昨日、病院からの帰り道、車の中で思った。
私は、これからは、人の為に生きていきたい、困っている人の為に生きていきたい、そう思った。
そんな大それた話ではなくて、困ってる人に気付ける人でありたい、力になってあげられる人でありたい、そう思ったのだ。
それは、何かをしてあげるという気持ちからではない、何かをしたい、それにより自分が救われると思ったからだ。

父の危篤を通して、父は私に、生きること(生と死)について教えてくれたに違いない、そう思っている。
父が悲しむので、母とも仲良くしなければなと思った。
仲良しは無理でも、仲違いだけは避けよう、そう思った。
父を失いそうになり、心底、親を亡くすということの恐怖心を感じた。
私は、親が生きているだけで、それは守られていることだったことに気付かされた。
それは父だけではない、喧嘩ばかりしている母であってもだ。

どんな関係の親でも、私にとっては、親が生きていてくれることで、私を守ってくれている存在であったのだと、多分、初めて感じた。
いつも言うが、これはあくまでも私の感覚である。
親と関係の悪い人が、私と同じ感覚になりにくいことはよくわかっている。
私の場合はレアなのだと思う。
私は、両親だけでなく、元々、人を憎み切れない。
若い頃から、ずっとそんな性分だったから、これはもう、私の個性として、自他共に認めていってもらうしかないのかなと思う。

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