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エッセイ:努力したところで『幸せな家族」は手に入らない

最近、知人が家庭の不満を漏らしていた。
どうやら、結婚してから奥さんの態度が素っ気なくなり、自分の居場所が無くなってしまったかのように感じているのだと言う。

彼の場合、難関資格を複数所持している為、かなりの収入があるのだが。それを奥さんに管理されてしまい窮屈な思いをしているようだった。

その奥さんの話を聞いていると、かなり遊んで来たような雰囲気があり、女性慣れしていない彼はコロリと落ちてしまったのでしょうね。

僕は昔から結婚願望がビックリするくらい無いし。「逆玉の輿」以外は求めていなかった。

彼に限らず、「結婚生活の末路」みたいな話をTVドラマ等で見聞きしていたし。実際にその程度の繋がりしか結べないことも分かってしまっていたから、敢えて大変な道を選ぼうという気にはなれなかった。
人間は「答え」を与えられてしまうとリスクを回避出来る代わりに、夢を抱けなくなるのでしょうか。

責任を取らない僕が「正解」なのか「駄目」なのかは分からない。

ただ一つ言えるのは、アニメに出て来るような『幸せな家族」というのは手に入らないということ。
そして、「トロフィーワイフ」なんて手に入れても、労力に見合わない重荷を背負わされる。

昔、NHKか何かでクモやカマキリの生態を紹介した番組を思い出す。卵を産む為に、用済みになったオスがメスに捕食されてしまうような、そんな食物連鎖。「遺伝子は自分の子孫を残すことのみを考える」と生物学者のリチャード・ドーキンスは話したらしいが、実際その通りなのかもしれない。

彼の家族構成はアニメのクレヨンしんちゃんみたいに、男の子と女の子が一人ずついるらしいのだが、母親としては将来的に「捕食者」と「餌」になる者を育てる感覚ってどんなものなんだろう。

休日はイオンモールで娯楽に興じたり、札束で繋がっただけの信頼関係を「絆」と思い込んだり、SNSで幸せっぽい一場面を投稿するだけの日々。

正直言って僕はごめんだなぁ……と思った。

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