想定外

1 年末年始に図書館で山本七平の本を5冊借りて読んだが、山本が綴る戦地(と、それに続く)抑留体験があまりにも凄惨すぎて、これを読書感想文としてまとめるのを断念せざるを得なかった。
 その意味で、「人間は自分の経験した事実の延長でしか想像できない」という彼の言葉は正しいと思う。今回は「柔術とはセルフディフェンスである」と考えて来た私が「セルフディフェンス」というものをどれだけ甘く考えていたか?という事について、自省する内容となっている。

 このポッドキャストの中で、ジョン・ダナハーは「ストリートファイトにおけるベストな格闘技は何か?」というレックス・フリードマンの問いに対して、大要次のように答えている。

 「もっぱら型稽古だけの護身術は、スパーリングをして実際にその有効性を確かめる機会がないので、ストリートファイトには役に立たない。ストリートファイトに役立つか否か?という観点から、型稽古だけの護身術とコンバットスポーツ(柔術だけでなく、柔道や空手、テコンドーであってもよい)を比べるならば、絶対にコンバットスポーツの方が上である。」
 「ただし、コンバット・スポーツをストリートファイトで使おうと思ったら、それをストリートファイトに適応させるように作り変えなくてはならない。(コンバット・スポーツがそのままではストリートファイトで使えない例として)1980年代にマイク・タイソンがミッチー・グリーンと喧嘩した時に、タイソンはパンチ一発で拳を傷めてそれ以上戦えなくなった。コンバットスポーツもルールに守られているという事を忘れてはならない。」

 私も以前古流柔術を稽古していたが、その稽古の中で習得した型がストリートファイトで役に立つとは思えなかった。
 型の中に「目突き」や「金的」も含まれており、実際にそれらも稽古したのだが、普通の人は自分がそれをされた時の事を想像して「目突き」や「金的」の稽古を嫌がる。私も最初はそうだったが、繰り返し稽古して何とか「寸止め」の「目突き」や「金的」を覚えたものの、動かない的(まと)に「目突き」や「金的」を当てる事は出来ても、実際のストリートファイトで動く敵に対して当てられる気がしなかった。
 ストリートファイトで「目突き」や「金的」の有効性を説く人は、それが実際に命中した時の効果だけを考えているのだろうが、私の経験を踏まえて言うならば、普通の人は練習して「目突き」や「金的」に対する心理的抵抗を克服しない限り、命のやり取りをする極限状態で「目突き」や「金的」を使うという選択肢すら出てこないと思う。

2 ジョン・ダナハーは彼の各種教則の中で時折「セルフディフェンス」状況に置かれた場合どうするか?という話をしている。ただ、それらの話は「あるテクニックがセルフディフェンス状況で有効か否か?」という点に関するものではあっても、ダナハーの「セルフディフェンス」観について語るものではない。
 
 ダナハーの教則をいくつか見てきたが、彼がかなりまとまった時間を割いて「セルフディフェンス」について触れているのが、「Feet To Floor」vol.1である。
 この中に「セルフディフェンスにおけるテイクダウン」という章があり、ここから約3時間近く「テイクダウン」の話を通じて、彼の「セルフディフェンス」観が詳しく述べられている。
 ダナハーはニュージーランドからコロンビア大学の修士課程に入学した後、ヘンゾ・グレイシーの下で柔術の稽古を始めたのだが、その傍らナイトクラブでバウンサー(用心棒)をやっていた。そして、この時の体験が彼の「セルフディフェンス」観に強く影響を与えており、彼の話を聞いて、私の想像力が如何に貧困で、実際にストリートファイトを経験したことのない者の書生論に過ぎないか、という事を思い知らされたのである。

 いくつかのエピソードを紹介しよう。
 まず、床がコンクリート(アスファルト)だと、膝付きのタックルは出来ない。相手を倒す前に自分が膝を怪我して動けなくなる。この程度であれば、私でもまだ想像できる。
 冬のニューヨークは、夜の戸外は零下20度になるので、路上が凍って足元が滑る。だから、大外刈りや払い腰のような片足立ちで掛ける技を使おうとすれば、自分が転んで相手に上を取られてしまう。
 そして、ダナハーのバウンサー仲間で無敵だった男は、「何一つ格闘技を学んだ経験もなく、普段からビールばかり飲んで全くトレーニングをしていなかった」が、「いざストリートファイトになると、クリンチから相手を倒して、サッカーキックと踏み付けだけで勝ち続けていた」。

3 ダナハーはそうしたエピソードを紹介した後で、「柔術の考え方、すなわち、相手をテイクダウンし、パスガードして、よいポジションを確保して、サブミットして仕留めるというプロセスは、1対1の状況であれば有効だが、これが1対多、あるいは相手が銃やナイフのような武器を持っている時には有効ではない」。として、「セルフディフェンス」状況においてスポーツ柔術はそのままでは役に立たず、「柔術の有効性と限界を知る事が重要だ」と語っている。
 
 「1対多の場合を考えてみよう。1人の相手を倒して、マウントやバックを取って仕留めるまでに柔術では少なくとも20~30秒は時間が掛かる。仮にマウントを取ったとしても、相手の仲間が横からサッカーキックや私の頭を掴んで膝蹴りをしてきたらどうだろう?とてもではないが、柔術の考え方では1対多を相手にするには時間が足りない。」
 「そうであるならば、相手をテイクダウンして、そのままその顔面にサッカーキックや踏み付けを入れてしまえば5秒で済むし、すぐに他の敵に対峙する事が出来る」
 「セルフディフェンス状況においては、絶対に自分が下になってはならない。セルフディフェンスに柔術を活かすとすれば、相手をテイクダウンしても、自分は立っているというSVG(Standing VS Ground)ポジションを取る必要があり、セルフディフェンス状況においてはスポーツ柔術において有利とされる5つのポジション(サイドコントロール・ノースサウス・ニーオンベリー・マウント・バック)以外に、SVGポジションという6つ目のポジションがある事を知っておく必要がある。」

 そして、SVGポジションで有効なテクニックとして、「サッカーキック」「踏み付け」「相手の頭を掴んでの膝蹴り」の3つを挙げている。

 ダナハーは勿論「ケンカ必勝術」を解説しているわけではなく、「これまでの話は、法の保護が及ばない場合、文字通り命を賭けて「サバイブ」する必要がある極限状態を扱ったものである。こうしたテクニックを使えば、逮捕されて刑務所に送られる事を覚悟しなくてはならないし、普段からこういう練習をすべきだと勧める意図は毛頭ない。ただ、もし不運にしてそうした状況に巻き込まれた場合、スポーツ柔術がそのままでは役に立たないこと。そして、その際にどう対処すべきかの知識を伝えただけである」と。

 4 「型稽古」は、技の理合を理解し、日常生活とは異なる武術特有の身体運用を身に着けるメソッドとして非常に優れていると私は確信している。また、先にも述べたように私は「型稽古」を通して、逆にそれが「ストリートファイト」には役に立たないだろうという事にも薄々気付いていたので、己の稽古している武術の限界を知るという意味でも「型稽古」を続ける意味はあると考えている。
 ただ、それにしてもダナハーの話は衝撃的過ぎた。「人間は自分の経験した事実の延長でしか想像できない」という山本七平の言葉の正しさを思い知ったという事を感想文の代わりとして記事にまとめてみた次第である。
 ちなみに、ダナハーはバウンサーを経験して、今日まで生き延びていられるのは、「自分の技術が高かったからではなく、たまたま運が良かったからに過ぎない」と語っている。

 


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