ときめきメモリアル

1 私が10代の時に「ときめきメモリアル」というゲームがリリースされた。
 今回はこのゲームにハマった高校時代の友人の話から始めたいと思う。

 「ときめきメモリアル」というのは恋愛SLG(シミュレーションゲーム)の嚆矢で、かなりヒットしたらしいから、それなりに面白かったのだろう。
 だから、彼がこのゲームにハマったとしても不思議ではない。
 問題なのは、そのハマり方である。
 
  ゲームにハマって学校をサボるのも問題だと思ったが、それよりも彼が「ときめきメモリアル」の公式の設定資料集を買い始めるようになってから、何かが変だと感じるようになった。
 ドラマCD、タペストリー・・・こういうグッズは視聴するなり、部屋に飾るなりまだ用途が分かる。
 だが、ゲームキャラクターの「等身大抱き枕」に至っては、「それをどうするのか?」という私の問いに対して、「勿体ないから飾っとく」という彼の返答を聞いて、「それではお布施と変わらないではないか!」と一喝したのを覚えている。

 私は、自分で稼いだお金で何を買おうと基本的に個人の自由だと思っている。
 だが、彼の場合、バイトで稼いだお金では足りず、食費を削ってそうしたグッズを買い漁っていた。
 彼が愚かだと言いたいのではない。
 日本の「コンテンツ産業」と呼ばれるモノは、(当時の)彼のような経済的弱者からありとあらゆる手段で小金を巻き上げて「収奪」するシステムによって成り立っている。
 今のソーシャルゲームの「ガチャ」も構造的には同じようなシステムを引き継いでいると思うが、経済的弱者に食費を切り詰めてまで課金させるシステムが、商道徳的に好ましいと言えるのだろうか?

 私の友人の場合、今は結婚して幸せに暮らしているが、もしあのまま彼が「ときめきメモリアル」以外のゲームにもハマって、人生そのものがバッドエンドになっていたら・・・と思うとゾッとする。

2 以上の話を前提にして、今のブラジリアン柔術(BJJ)における公式試合について思う事を。

 コロナ禍が明けて、公式試合も再開されたが、コロナ前後で一番大きな違いは何か?と問われれば、迷うことなく「エントリー料(=参加費)だ」と私は答える。
 連盟の場合・・・大会のランクによって若干の違いはあるが・・・最終申込期限で約1万2千円である。
 1万2千円あれば、私は試合に出るより、道場の若い子と焼肉でも食べに行くだろう。

 ギのレギュレーションも厳しくなって、一昔前のギは使えないし、帯もほつれていたらアウトである。
 ノーギの場合、帯の色に合わせて、ラッシュガード(トップス)を揃えなくてはならない。
 要は、会場にある物販スペースで買え!という事なのだが、既にエントリー料を払って会場迄来ている人が、「そんなふざけた話はあるか!」と言って試合をキャンセルする事はまず考えられないから、しぶしぶ物販スペースで欲しくもないギやラッシュガードを買わされる羽目になるのである。
 1万円で試合に出られると思っていたのに、試合に出るのにもう1万(あるいは2万)払え!と会場で言われたら、普通の人は二度と試合に出たいとは思わなくなるのではないだろうか?

 競技柔術に打ち込んでいる人は、毎月ないし二月に一度は試合に出るだろう。
 その試合の全てが居住地の近くで開催されればいいが、「全日本」とか「アジア」とかいう冠の付いた大会に出るとなると、どうしても泊まり掛けの遠征となり1回に5万円以上使わざるを得ない。
 今はエントリー料以外にかかるそうした諸費用を合わせると、公式試合に出るだけでも相当のお金が掛かる。
 試合に出る全ての人がお金持ちだとは考えにくいから、競技柔術にのめり込んでいる人が試合に払っている年間費用の総額は一般人の小遣いの額を大幅に超過しているはずである。

 ある柔術の先生は、昨今のそうした状況を見て、「エントリー料を金持ち基準に設定するのはおかしい」と語っていたが、私に言わせれば、エントリー料を金持ち基準に設定しているのではなく、公式試合が悪しき「コンテンツ産業」化して、取れる人から金を取れるだけ取ってやろうという発想になってしまっているという事だと感じている。

3 日本では連盟の他にもうひとつ団体があるが、コロナ前のエントリー料は3000円(オープンとのダブルエントリーで5000円)だった。
 ある地方大会を例に取ると、コロナ前後で比べると、参加者は3倍以上に増えている。
 施設の利用料金も参加者数で頭割すれば、数百円にもならない。

 それでも、エントリー料は倍である。
 審判は、選手を兼ねている(しかも、黒帯のエントリー料は無料)ので、人件費もそこまで掛かっているとは考えにくい。
 
 その団体は、連盟のような権威はないものの、エントリー料が安くて、大会の運動会的な空気が試合に出る事への(物心両面での)ハードルを下げる機能を果たしていたので、そうしたカジュアルさに団体として存在価値があると思っていたのだが、今では連盟に対抗するように2で述べたようなユニフォームを始めとする細かいレギュレーションが導入されてしまった。

 NAGA(北米グラップリング協会)が日本に乗り込んでくることは当面ないと思うが、似たようなコンセプトで、日本のグラップリング界隈の人々が一致団結し、参加費を一昔前のBJJのそれに設定して大会を開催すれば、そちらの方が盛り上がると思う。

 「昔は良かった」と懐古調で語る歳ではまだないが、公式試合のエントリー料ひとつとっても日本のBJJに関しては、あきらかにコロナ前の方が良かったと私は感じている。
 競技柔術にのめり込んでいる人も、そうでない人も、「試合に出るのにお金が掛かり過ぎる」と感じているのであれば、自分の感覚が正しいと思った方がいい。
 そのうえで、そのお金に見合った効用(名誉・満足・経験等々色々あるだろう)が得られるのか?一度自分の胸に問うて欲しい。

 競技柔術にのめり込んでいる人からあの手この手で金を巻き上げようとするBJJ村の現状は、かつて私が見た「ときめきメモリアル」の収奪システムとダブって見える。
 
 
 
 
 

 

この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?