モノは言いよう

 もし私が「全日本マスター2位・アジア選手権2位・ワールドマスター3位」という実績を持っているとしたら、貴方はどう思うだろうか?
 さらに、「〇帯になってから、銀メダル5つ。金メダルが遠い・・・」という内容で試合の奮闘記を書けば、かなりの閲覧者を獲得できるかもしれない。

 だが、〇帯に昇格してから出場した試合は全てワンマッチ(もしくは3人巴戦)のみで、試合には一度も勝ったことがない、というのが冒頭に掲げた戦績の実態だと知れば、ほとんどの読者は私の実績と実態の落差に愕然とするだろう(残念ながら、これらの戦績は私のモノではない)。

 「人は見た目が8割」と言うが、容姿等の外見だけでなく、肩書についても同じ事が当てはまるらしい。
 肩書に「全日本」とか「ワールド」と付くと、いかにも凄い偉業を成し遂げたように聞こえるが、BJJ(ブラジリアン柔術)においては、年齢や階級のカテゴリーによっては、ワンマッチ決勝や3人巴戦という時があるので、1回も勝てなくても「全日本2位」とか「世界3位」という実態の全く伴わない仰々しいタイトルを手にする事も不可能ではないのである。

 私がそうだったから、皆そうであるという事にはならないが、今BJJを練習している人の多くは、BJJを始める前は「試合」の存在すら知らなかったと思う。
 これが柔道のようにメジャーなスポーツ格闘技であれば、「全日本(世界)選手権」が行われている様をメディアで目にすることもあろうが、それ以外の各種武術において「試合」が行われているか否かについて、門外漢は知る由もないのが普通である。

 BJJを始めて間もない人、とりわけ、試合の存在を知ったばかりの人に対して、「全日本2位」「ワールド3位」という実績を誇示する人がいたら、よくよく注意した方がいい。
 BJJを始めて間もない人が「全日本2位」というワードとそれを証しする「銀メダル」を見せられると、そのメダルを提示した人間に魅せられてしまう事がある。
 少なくとも私は、32人トーナメントで2回勝った(が、メダルに手が届かなかった)人と、ワンマッチ決勝で破れて「銀メダル」の人とを比べれば、前者の方が明らかに価値があると思うのだが、どうも「メダル」という目に見える形の方に惹かれてしまう人が一定数いるようだ。
 他者を評価する際して「見た目」が「中身」よりも優先されているという現実は容姿に限った話ではないのである。

 帯が上がれば上がるほど試合に勝つのが難しくなるので、試合に出るのを止めてしまうのは仕方がない。試合に勝つ困難さをPEDで乗り越えようとするよりよほど健全である。
 だが、中には帯が上がると、年齢×階級の無数のカテゴリーの中から「自分が勝てそうな試合にだけ出る」という人もいる。こういう人は、冒頭でも触れたようにワンマッチや3人巴戦にしか出ないので、1勝も出来なかったとしても、試合後にはしっかりメダルを獲得して帰ってくるのである。
 こういう人を見ていると、10年程前に「日本のベートーベン」と呼ばれた人物を思い出してしまう。
 彼は聴覚障害(と被爆2世)という障害をウリにしたセルフプロデュースで(一時的に)大成功したわけだが、ワンマッチや巴戦を選んでメダルを獲得し続ける人を見ていると、彼は柔術が強くなりたいのではなく、柔術を使って有名になりたいのだとしか私には思えない。

 「人は見た目が8割」が真実だとしても、他人の見た目に騙されないためには自分の「中身」を磨く必要がある。そして、我々自身が現に生きている世界は「中身の2割」の方がメインになる。
 8割の「見た目」のセルフプロデュースに精を出す暇があったら、2割の「中身」を充実させる方が私の性には合っている。
 プロ柔術家を目指すのであれば話は別だが、それ以外の柔術実践者は週に1.5回の練習で十分でだろう。その代わり、一度「やる」と決めたら、それをたゆまず続ける事である。
 その積み重ねが、見せかけの「全日本2位」や「ワールド3位」よりも価値あるものを我々の人生に必ずもたらしてくれると私は信じている。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?