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あたりまえのことが、あたりまえにできなくなる日

今までできていたことが、朝起きたら突然できなくなった。
そんなことなかなかないと思う。
でも私はそうなってしまった。
布団から起き上がっているのに、部屋から出られない。
ただじっと、スマホを眺めて時間が経つのを見ているだけ。
罪悪感とかそういうことも考えられない、無気力というのはこれなのかなという感覚。
友人と連絡を取っても正直、どうでもいいとさえ感じる。
過去に同じようなことが起きたなと思い当たる節も何度かあったのでたぶん数日経てばまた変わる、とも思ったが、今回の感覚は今までのものとも違う。いよいよダメになったのかと思い、自分を見つめなおす機会になるのではと、清水の舞台から飛び降りる気持ちで門を叩いた心療内科。メンタルクリニックというやつだ。

深刻な状況になっている人にしてみれば、もしかしたら「そんなことで行くのかよ!」とお怒りになるかもしれない。でも自分の中では今まで感じたことのない深刻さで、その度合いは人によって異なるので仕方ない。
幸か不幸か、自分の身の回りにはそういうところにお世話になっている人が何人かいて、誤解を招くような言い方になるかもしれないけれど、その人たちを尺度に今回の来院を決めた。重度になってはまずいという自分がいて、抵抗感はあったが、そんなこと言ってる場合じゃないという冷静な判断ができるうちに対処しようと思えたのだ。

診察については割愛するが(ニーズがあるなら書くけど)結果、行ってよかったなと思う。
自分のことを全く知らない人に色々話すのは先述の通り抵抗感はあるものの、後腐れなく話すことができるというのも事実。診断は軽度の抑うつではないかとの判断だった。早いうちに対処ができるようなお話だった。
薬を処方され、来週また来院することになった。薬があるというだけでなんだか安心になる。飲まなくても大丈夫かも、という根拠のない自信も出たりする(言われた通り飲むけど)

帰りに渡された初診の人に向けたメッセージの紙に
「マイナスなことを考えてもいいと考える」
とあった。
気持ちが落ちてしまうと人は「もっと強くないと」「マイナスなことを考えるのはよくない」という傾向に陥るらしい。奮起しようと無理をするということか。大いに心当たりがあった。
だから決めた時間だけ、例えば1日10分だけとか「マイナスなことを積極的に考えてもいい時間を作る」というのを実行するといいらしい。
たまたま読んでいた「ゼロ秒思考」という本に通じるものがあった。考えを整理するには1枚1分、1日10枚メモを書いて、無意識に脳内を整理させるというもの。つまり10分でいい。あたりまえのことでも何でもいいから、とにかくひとつのテーマを掘り下げて4~6行のメモを書くという。考察でも、感想でも、仮説でもなんでもいい。

割とあたりまえに思うことができなくなる時は、できなくなっていることにすら気づかないのかもしれない。
私の事象は末期の方かもしれないが、渡された紙にあったその他のメッセージにも、今更なことのはずなのに、改めて気づかされることがあった。

自分の体は自分でしか守ることができない。
やりたいことはたくさんあるし、そうそう簡単にくたばれない事情もある。
これは私の体が出した、ヘルプサインだったのかもしれないと思って、感謝しよう。

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