小鬼と駆ける者 −その6
「どうするんです。おれたちゃどうなるんです」マスケスが取り乱す。
「警戒は怠るな。やつら今は目くらましを使って気配を消しているが、まだすぐそこにいる」ソレルは緩んだ弓弦を張り直す。
「でも、ここにいて、夜になっちまったら」ゴゴルも冷静さを失っている。
まずいことはまずいぞ。ソレルは考える。皆すっかり怖じけずいている。小鬼どもめ。そういう意味ではあの雄叫びは充分に効果があったといえる。
「なんだって、あの鍋ヤロウを殺さなかったんだ。どうみてもあいつが頭目じゃないのかよ」ブウルウも狼狽を隠さない。
「うむ。わたしもはじめはそう思った。だがあの場面でヤツを射殺したら、司令を失った小鬼どもは逆上し、襲いかかってきただろう。そうなれば、わたしはともかく、あなたたちに、なす術はないだろう?」
「ゴブリンどもに、なぶり殺されてたってわけか」
「だが、間違っていた。あいつは頭目ではない。かなり影響力のあるゴブリンには違いないだろうが、ヤツは違う。だとすれば、先にヤツを殺していればよかった」
「へっ、天下のストライダ様も間違うことがあるってことか!?」
そう悪態を吐くブウムウに、ソレルは逆に感心する。ほう。この男は見た目よりもずっと落ち着いている。要するに最も覚悟を決めて付いてきたのは、この男だったということだろう。
どのくらい刻は経っただろう。小鬼どもはやはり日没を待つようだ。時々、統制から外れた小鬼が飛び出してきたが、すぐさまソレルの矢によって射殺されていった。
ソレルは残りの矢を数える。
「矢はあと十五本」
「それが終われば、いよいよ肉弾戦ってわけか」ブウムウが答える。
「なぁ、本当に来るのか? やつら、もう巣に逃げ帰ったんじゃないのか!?」マスケスが希望を口にするが誰も何も答えない。そんな可能性は皆無だと承知しているからだ。
「巣からさらに援軍が来るということも?」ゴゴルが訊く。
「いや、それはないだろう。あれほどの数で群れる小鬼すら、かなり珍しい、ほとんど前例が無いほどだ。これ以上の数がいるとすれば、それこそ大戦以降、初めてのことになるだろう。だがヤツらは、日没には必ず総力戦を仕掛けてくる」
「ベラゴアルド大戦」マスケスがゴクリと唾を飲む。
「本当にあったのかよ、」まるで御伽噺じゃねえか。息を漏らすブウムウ。
ソレルは少し後悔する。ベラゴアルド大戦、ドラゴン大戦、神々と供に戦った英雄たちや、武装した魔物たちが跋扈した神話の時代。伝説となった古代の戦いを例えに出したのは、三人を安心させるためのことだったのだが、逆効果だったようだ。
「それで?策はあるのですか」ゴゴルは平静を装ってはいるが、かなり疲弊しているようだ。
「ある。あるにはあるが、結局は、あなたたちは自分の身は自分で守るしかない」
しばしの沈黙。それからブウムウだけが口を開く。
「へっ! はなっからそのつもりだよ、ストライダ」
◇
その頃、ブウルは村の若者たちを手伝っていた。
小鬼の死骸を焼くために、水車小屋から運び出す。「すげぇ臭いだな、」ぶつくさ言いながら若者たちは作業を進める。皆、小鬼を見るのは初めての様子で、動かなくなった怪物の長い耳や四本の指を弄ぶようにこねくり回し、卑猥な冗談で笑い合っている。
小屋の後片付けがブウルの仕事だった。仕事が終わり外に出ると、皆は火を眺めていた。
「大丈夫だって、なんの問題もねえさ」
若者たちが話し込んでいるのをブウルは何となく立ち聞いていた。
「ラワルやナビルたちにも声をかけておいたからな」「みんなでいけば、なんとかなるだろ」
そこでブウルは直感的に茂みに隠れる。
「それにしても本当なのか?」「ゴブリンの財宝のことか?」「伝説じゃないのか?」「いや、あるに違いない」「あのストライダ、長とろくに報酬の交渉なんてしてなかっただろ? そりゃ、ゴブリンの巣に、隠された財宝があるからなんだよ」
そんな話をしている。財宝? ブウルには何のことだがまるでわからない。
「このままいけば、あのストライダはどうせおれたちの村からたっぷりふんだくっていくんだ」
「その上、財宝を独り占めされたんじゃ、割に合わないぜ」
他の若者たちも集まってくる。
「なあ、本当に追いかけることなんてできるのか?」
「ゴゴルのおっさんがちゃんと標しをつけていればな。」
「ゴブリンに襲われたらどうする?」
「それを退治に向かっている連中の後を追うんだ。それほどの危険はないさ」
村の若者たちもぞくぞくと集まってくる。十人はいる。数人の男が武器になるような農具や手斧を持っている。若者たちは辺りを見渡すと、急に小声になる。
「ストライダはどうするんだ?」
「これだけいればなんとかなるだろう」
若者たちは大人たちに目撃されないよう、警戒しながら森へ入っていく。
大変だ。
ブウルは茂みから飛び出すと、一心不乱に長のもとへ走り出す。
大変だ。あいつら確かに言っていた。(これだけいればなんとかなる)走りながら頭の中で繰り返す。(いざとなればよそ者は殺しちまってもかまわねぇさ)確かにそう言っていた。
長の所へ辿り行き、息も絶え絶えに先ほど聞いてきた事を報告する。告げ口をするみたいでなんとなく気持ちは咎めたが、絶対に正しいことをしているという自信はあった。
ただ、長が信じてくれるかどうは心配だった。長はブウルが慌てた様子で話すのを落ち着かせ、ゆっくりと頷き平静さを装ってはいるが、全てを聞き終わると、明らかに顔は青ざめている。
「なんということだ、」悄然と呟き、それから側にいた大人達に向かい、「森に入る支度を、すぐに連れ戻すぞ!」そう叫ぶ。
「ぼくも行く!」ブウルは思わずそう叫んでいる。
長は彼の肩を抱き、「心配するな」優しい声でそう諭す。
「お前の父親も大丈夫だ。きっとストライダ殿が守ってくれている」
「これを見てっ」
ブウルは咄嗟に守りの咒具を見せる。
「これは?」
「ソレルにもらった。これさえあれば、ぼくはゴブリンから身を守れるんだ」
「それでは、わしらにそれを貸してもらえぬか?」長はあまり信じていない様子でそう言う。
「違うんだ。これはぼくだけが使えるんだ。」
長は怪訝な顔をする。ブウルはさらに必死になる。
「ぼくは魔法の素質があるんだ。ソレルがそう言ってたんだ」
「ほう。だが、ブゥよ、あまり心配するな」明らかに子どもの言うことを信じてはいない様子。
「お前の父親は必ず…」そこまで言い、長は目を見開く。ブウルの手に持つ物が、青白く光っているからだ。
「ブゥ、一体これは?」長が咒具を受け取る。すると瞬く間に光は消えてしまう。吃驚しつつ子どもの掌に戻すと、それは再び輝きはじめる。
そんなことを何度か試した後で、長は脂汗を拭い、低い声で言う。
「それではブゥ、同行を願おう」
◇
ついにストライダの矢は尽きてしまう。もうすぐ陽も落ちる。二人の男たちは覚悟を決めていた。
マスケスだけが落ち着きなく震えている。正気を保つのがやっとのようだ。ソレルはそう判断する。だが他の二人は何とかなるかもしれん。いや、上手くいけばきっと三人とも生き残れるに違いない。
ゴゴルとブウムウの掌には、赤い石が握られている。
二人は互いに、教えられた策を何度も反芻している。
(これは早火、ストライダの奥の手だ。)半刻ほど前、ソレルはそう伝えた。
(これを二人に託そう。おそらく奴らは陽が落ちたらすぐに、一斉攻撃を仕掛けてくるだろう)
森を染め落ちていく光線が、マスケスには最後の希望のように感じる。彼には心残りがひとつだけあった。女房がまだ生きているかもしれないという望みだ。それと同時に、自分がここで死んで、もし死者の国に家族がいなかったら…、彼はそれを考えただけでも気が狂いそうになるのだ。
「さあ、背中合わせに円になれ。お互いの背後を守るんだ」
「いよいよ、か?」
ブウムウは笑い出しそうになる。覚悟を決めると、なぜだか妙な可笑しさがこみあげてくる。
マスケスも震える手で斧を構える。覚悟、なんてものでもないが、それでも身体のどこかに闘志が残っているのがわかる。死にたくないというだけでも、充分戦う理由にはなるものだ。
(敵が来たら二人はわたしの背後、それぞれ違う方向にそれを投げつけるんだ。出来るだけ引きつけてから、一番先頭のヤツらに向かってだ)
おれの命もこいつ次第ってわけか。ゴゴルは早火の石を見つめ、唾を飲む。
森の奥にまだらに射し込んでいた陽の光が吸い込まれていく。代わりに至る所で影が膨らみ、蠢きはじめる。赤く丸い目玉だけが不気味に輝き、ばらばらだった輝きはさらに増し、二対づつ纏まり、迫る来る。闇夜にゴブリンどもが森を抜け進軍を始めたのがわかる。ギギ、ギギ、と蛙を潰したような音が辺り一面に反響する。それから、例の鉄を叩く音がする。小鬼の呻き声が、統制の取れた不愉快な警戒音に変わる。
「来たぞ!!」
叫び声と同時に、大地が揺れる。
やはりストライダの言ったとおりだ。やつら目くらましの咒を解いて、一気に向かってきやがる。ブウムウは自分が思ったよりも冷静だということを思い知る。
(この石はある一定の速度で風を受け、それから衝撃を与えると、ぶつかった方向に大きく爆発して火を吹く。上手くやればこれで半分以上の敵を退治できるだろう。)
彼は早火を構える。
こいつがどういう物かは知らんが、今はこいつを信じるしかねえ。
一番先頭のゴブリンを探すんだ。どれだ? あの棒切れを握っているヤロウか? それともあのチビか? 身体の大きさがそれぞれ違うので、なかなか距離が分かり難い。
(よいか、なるべく引きつけ、先頭の敵に向って、だ。先頭のゴブリンの足元を狙え。直接ぶつけなくても良い、これは十分すぎるほど威力のあるものだ)
わかってるさ、心配すんな。
だがゴゴルは端から先頭を狙うつもりはなかった。要するに引きつけられるだけ引きつければいいのだ。
(逃れたゴブリンは、あなたたちがその手斧で直接殺すしかない。後ろは気にするな。わたしがいる)
そうだ。残ったやつは叩き殺せばいい。たかが魔物だ。千年樫の根本よりも硬いというわけでもあるまい。何匹来るかは知らんが、おれがやってやる。
そうしてゴゴルは、近くに見えるゴブリンの足元めがけて、思い切り石を投げつける。
ほぼ同時となった。思惑は違えど、二人の呼吸は一致したのだ。
その瞬間、閃光が辺りを包んだ。
青い炎がほとばしり、野原を走っていく。
一面が真昼よりも明るくなる。オレンジ色の炎が辺りを染める。
ものすごい轟音が突風に運ばれるように舞い上がっていく。
「やった!」
おびただしい数のゴブリンどもが炎の中で踊り狂っている。時折、その火柱から逃れた怪物たちも、包まれた炎にもがき、ばたばたと絶命していく。
「見ろよ!やったぞ!」おもわず叫びだす。
「どうだみたか!」しかし、ブウムウはやにわに吹き飛ばされる。炎を逃れたゴブリンが腹部に飛びついて来たのだ。彼は倒れこみ、そこにもう一匹が飛びつく、取り付いたゴブリンの頭をなんとかかち割るが、次が間に合わない。ゴブリンが醜く大きな口を開ける。
ところが、魔物は彼の喉元に食いつこうとはせず、そのまま眼を見開き、その場に倒れこむ。見上げるとマスケスが血の付いた手斧を持って震えている。
「助かった」マスケスに助け起こされる。「円を、背中合わせで円を」彼はうわごとのようにソレルの指示を繰り返している。
ブウムウは立ち上がり、姿勢をととのえる。少しずつ状況が見えてくる。生き残ったやつはどれくらいだ? たったいま隣でゴゴルが叩き殺したヤツを合わせても十匹もいねえ。この炎でゴブリンどもも怖じ気づいてやがる。
「いけるぞ!」
三人は、魔物との、生まれてはじめて肉弾戦に身を投じる。
−その7へ続く−
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