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『顔』日本の名随筆 40 市川崑編 人の顔ほど面白いものはない

作品社による「日本の名随筆」シリーズ。
テーマごとに、随筆の名手たちによる珠玉の作品が収録され、第一期に100冊、さらに第二期に100冊が刊行されている。

どの文章も短いものが多く、大抵は2,3ページほど。
各巻の編者によって当たり外れもあるが、テーマに応じた調べごとに活用するのもよし、優れた書き手の名文を気軽に楽しむもよし、という好シリーズである。

シリーズ第40弾のテーマは『顔』。

徹底的にこだわり抜いた映像表現で知られ、幾多の名優、名女優たちをフィルムに収めてきた映画監督、市川崑が編者を務める。

この巻は、シリーズ屈指の面白さを誇る。
収められたエッセイの中からいくつかを抜粋し、紹介していこう。



石井鶴三 顔


石井鶴三は彫刻家・画家。
中里介山「大菩薩峠」、吉川英治「宮本武蔵」など新聞紙上に連載された小説の挿絵でも人気を博した。

ここで石井は彫刻家としての視点から、人の顔の美しさについて語っている。
彼に言わせれば、人の顔は巧みを極めた、不思議な技法でつくられた建築の如きものだという。

石井は人の顔の美醜については語らない。
彼にしてみれば、世の中の人間のどの顔も、人知を超えた力で生み出された一つの「芸術」なのである。

考えて見ると私は人の顔を見る事が余程好きのようです。以前、私は長らく苦しい境遇に置かれていました。殆ど慰めのない生活でした。その中にあって、唯一つの慰めは人の顔を見る事でした。電車の中で向側にいる人々の顔を見ているとすべてを忘れる事が出来ました。電車賃のない時は、麹町の勤先かた本郷の自宅まで、空腹と疲労のからだをひきずって歩いて帰る事さえ屢々ありました。その折さえ途上に出会う沢山の人々の顔が見られるので、どんなに苦痛をやわらげられたでしょう。

14頁

当時石井は人生に行き詰り、かなりの苦境に立たされていたという。

気分が悄気げたとき、ふつうの人間ならば、好きなアーティストの曲を聴いたり、爽快な映画を観ることで気分を和らげたりするだろう。
だがそれ以上に、石井にとっては「人の顔」こそが癒しとなり、自分を奮い立たせる糧となったのである。

幾多の顔相を凝っと見つめ、写し取ってきた画家、彫刻家である石井の言葉は、大変に含蓄の深い。

人間の顔は、親から受け継いだ天賦のものでもあり、自身が生き抜いていく上で刻み込まれた彫像でもある。
「顔」という誰もが持っているその価値を、石井は気づかせてくれる。

人間が一生の苦心でつくられたその顔は、その人の死と共にどこへ行くのですか。私は友人知人の死面をいくつか石膏にとったことがあります。死面はぬけがらです。その人の顔はその人の死と共に何処かへ行ってしまうのです。思うと全く神秘です。

15頁
石井鶴三による絵画
「伊野孝行のブログ」 [http://www.inocchi.net/blog/2101.html] より


三島由紀夫 〈美容整形〉この神をも怖れぬもの


筆者の三島由紀夫については説明不要だろう。
三島は『金閣寺』、『豊饒の海』など美麗な文体で知られるが、『平凡パンチ』や『週刊プレイボーイ』など通俗的な雑誌へも積極的に寄稿するなど同時代のトレンドにも盛んに関与しようとしていた。

ここで三島は、当時有名だった美容外科の院長と対談したときのことを語っている。

この美容外科は日本の美容整形の先駆けとなった病院で、国内のみならず世界各国から患者が押し寄せ、一日に2ー300人もの人が来院するという。

だが対談を進めていても、三島には美容整形によって得た容貌は、やはり紛い物だという感覚が拭えない。

看護婦も、受付の女性も、みな一様に色気と美しさのある顔をしているが、そこには妙にひんやりとした無機的な感じもまた漂っているのである。
院長にそれとなく聞いてみると、看護婦をはじめ職員は皆、やはり美容整形の施術を受けているのだという。年齢の割に若々しい容貌の院長も、もちろん例外ではない。

そうかと思えば三島は、美容整形を肯定的に捉えようともする。美しさが金で買えるものになるならば、それは平等をもたらす革命的な事象なのだからと。

ザイン(在る)よりもシャイネン(見える)に重点が置かれる時代。健康であることよりも健康に見えることのはうが尊く、美しいことよりも美しく見えることのはうが重要な時代。……それはもしかすると、裏側から、あの「輝かしいギリシャ」へ復帰する方法かもしれない。

60頁

だが、親から与えられた肉体にメスを入れて造り変える、という自然に反する行為に対する反発は根強い。

対談のあとに院内の見学を終え、最上階から病院の屋上へと出た三島は、ネオン輝く銀座の街を見下ろし、そこに渦巻く人間の欲望の際限のなさにめまいを覚える。

私はふと、この病院全体の、どうしても拭へぬ、ある「いかがはしさ」の印象について考える。
しかし、目くそ鼻くそを笑うとはこのことだ。多分、それは、芸術といふもの、芸術といふ仕事に携はることのいかがはしさから、そんなに遠いものではなからう。

63頁

ここに吐露された三島の戸惑いは、半世紀以上が経った今も、「美容整形」という行為を前にしたときの私たちの戸惑いとなんら変わっていないように思える。

平林たい子 不美人論


平林たい子は昭和期に活躍した小説家。代表作に『かういふ女』(1947)『砂漠の花』(1957)がある。
残された写真を見ると、愛嬌のある顔立ちをしている平林は決して不美人ではないが、ここで彼女は「不美人側」に立って、昨今の容貌の美醜の扱い方について語っている。

この文章は1959年の発表。

ミス・ユニバース候補者集うのパーティーに招かれたという平林は、そこで美人と不美人を決定するのには、画一化された寸法ではかれないなにかがあるのだ、と気づかされる。

人格と美の分裂。

「美人だが品がわるい」
「美人だが頭がわるそうだ」

昨今はそんなふうに言う輩が増えた。
もし容貌だけではかれない美が存在するのだとすれば、不美人にとって、この時世に生まれたことはせめてもの慰めである。

ただ、それでも不美人が生まれて思春期をすごすまでに受け取るあらゆる体験の深刻さには凄まじいものがあると、平林は吐露する。

結局のところ美人がオール・マイティであることは昔もいまもあまり変わっていない。

たとえ実質はそうでなくとも、その中に何でもあるように見える。
美人とはそういうものだと、平林は語る。

その怨嗟は、同業の女性作家にも及ぶ。

昔、長谷川時雨女史が生きていた頃、「美人は得か損か」で同女史と議論をした。女史によれば、美人はけっして得じゃないという。私はいいえ、云々と反駁する。おしまいに、長谷川女史が世の美人の代表となり、私が世の不美人の代表となっていたのはおもしろいことだった。が、その場では言えなかったにしろ、長谷川女史があれだけの美人でなかったら、はたして長谷川時雨なるものが存在したかしら。

79頁

この文章が発表されたころには、相手の長谷川時雨は疾うに亡くなっている。

だがそれにしたって、凄い書きぶりではないか。

「あんたは、顔が良いから売れたんだ」

平林の言っているのは要するにこういうことだ。
彼女のもつ美人への恨みと対抗心が、この一節には見え隠れする。
なんとも味わい深い掌編である。

おわりに


「顔」という人間の造形がテーマ、そして市川崑が編者を務めていることもあり、本書の書き手は画家、彫刻家、写真家、俳優、映画監督など多岐にわたる。

ここに挙げたもの以外にも、外交官でもあった堀口九萬一の「東西ほくろ考」、写真家・土門拳の「僕の写したい女性」、映画監督・伊丹万作の「顔の美について」などタイトルを眺めるだけで興味をそそられる小篇がいくつも散りばめられている。

さて、この日本の名随筆40『顔』はシリーズでもピカ一の出来だが、もちろんこのシリーズには他にも優れたものが揃っている。

作品社のホームページから、「日本の名随筆」シリーズの一覧をここに掲げておく。
ぜひここから、自分の気の向いたテーマを探し出してみてほしい。


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