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「みんなそうだよ」という呪い

 うつ、不安障害、ADHD、あるいは認知症などなどで苦しんでいる人たちに「みんなそうだよ」と言って励ます風潮がなくなればいいな、と思う。

 善意で励ましてくれているのだというのはわかっている。でも言われたら苦しいじゃんね。「みんなそう」なら、みんなができていることができない私は落ちこぼれなんだと思うから。


 うつで朝起き上がることができなくて苦しんでいる人に、「みんなそうだよ。朝はつらいよね」と言って励ます。ありがちなことだと思う。でもそれは、うつの症状を軽く考えることだ。

 うつというのは、やろうと思っても本当にできない状態を指す。だから「朝はつらいなあ」と思いながらも毎日起き上がることのできている人たちとはやはり違う。それなのに「みんな一緒だよ、みんな朝はつらいんだよ」と言われると、うつの人は「それでもみんなは起き上がれている。どうして私はできないんだろう」と追いつめられてしまうのだ。


 不安障害も同じだ。たとえば、社交不安障害でどうしても人と話すことができずに苦しんでいる人に、「みんな人と話すのは緊張するものだよ」と言ったとする。すると言われたほうは「みんなはそれでも耐えて人と接しているのに、私は逃げている。私は甘えてるんだ」と思い込んでしまう。

 私はずっとこれだった。人が怖くて就職できなくて、それでも「人がこわいのはあなただけじゃないよ」と励まされる。みんなはそれでもちゃんと就職しているじゃないか。それじゃあ就職できなかった私は、とびきりのできそこないということだ。


 ADHDでもそうだろう。近年ADHDという言葉がわっと広まって、みんなが「私もADHDなのかもしれない」と思う世の中になってきた。そもそもこの社会が設定する「まともな人間」というのはあまりにハードルが高すぎて、それに少しでも当てはまらないところがあると「自分は落ちこぼれかも」と思ってしまうのだ。そこへADHDという言葉が現れたから、「そうか、自分はADHDの傾向があるんだ」と思うことでふっと楽になる。そうやってADHDの傾向があると自認する人は、とても多い気がする。

 楽になること自体は構わないと思う。けれど本来、ADHDというのは発達障害のひとつだ。発達障害で苦しんでいる人に、「私も集中力がないんだよ」とか「私も片づけが苦手だよ」とか言って寄り添おうとするのは、あまり優しいやり方ではない。「みんな集中力が続かないと言いながら、仕事はちゃんとこなしている。それじゃあ仕事でたくさんミスをしている私は、努力が足りないんだ」そんなふうに相手を追いつめてしまうことになりかねないから。

 

 うつや不安障害やADHDは、その症状によって「日常生活が妨げられている」病気・障害だ。だから不自由なく日常生活を送ることができている人とは、どうしたって違う。それなのに「みんなそうだよ」と慰められると、「みんな同じなのに自分だけが落ちこぼれている」と思ってしまう。

 「みんなそうだよ」という言葉は呪いだ。

 どうか、「みんなそうだよ」と言わないでほしい。励ましの言葉だとしても、それは相手を追いつめるだけだから。


 もしみなさんのまわりに、これらの病気で悩んでいる人がいれば、「みんなそうだよ」と言う代わりに「苦しいのは病気(障害)のせいで、あなたのせいじゃないよ」と言ってあげてほしい。

 さっきも言ったようにうつや不安障害やADHDは「みんなとは違う」あるいは「みんなよりも深刻な」症状で悩んでいる人たちだ。だけどそれはその人の性格や気質のせいじゃない。病気や障害のせいだ。

 風邪で咳が止まらないのはウイルスのせい。みんなそれはわかるのに、うつで悩んでいる人たちに対しては「あなたが甘えているだけなのでは?」と思ってしまいがちだ。

 そして、それは一番当事者が感じていることだと思う。「自分は甘えているだけなのかもしれない」「こんなこともできない自分は駄目なやつだ」と自分を追いつめてしまう。だけど「できない」のはきっとあなたのせいなのではなくて、病気のせいなのだ。

 だから当事者に代わって、どうか周りの人が「あなたのせいじゃないよ」「病気のせいだよ」と言ってあげてほしい。


 「みんなそうだよ」という言葉や、「あなたが甘えてるだけなんじゃないの」という言葉で傷つく人が減ったらいい。そう願っている。

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