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文:村上由鶴

Jack Davison: Photographs

写真家には、さまざまなタイプがあります。たとえば、決定的瞬間を発掘するように、絶好のフレーミングで眼の前のできごとをおさえる、写真的運動神経に優れた「早い」写真家。一方で、実験を繰り返すように特定のモチーフを偏執的に見つめる「遅い」写真家もいます。

さて、ジャック・デイヴィソンの仕事を見ると、ポートレートやファッションなど、顔や身体のわずかな動きをすくい取った写真やスナップが印象的で、とにかく嗅覚に優れている。運動神経がよさそうです。 しかし、一方で、写真集『PHOTOGRAPHS』には目、手足といった身体のパーツ、さらに、モザイク(のように見えるモチーフ)や、イメージを分断する線が繰り返し登場します。それらは彼の執着の対象であり、その取り組み方を見ると「運動」の状態とはかけ離れた丁寧さや遅さを感じもします。

ところで、ディヴィソンは、好きな写真家にウォーカー・エヴァンスアウグス ト・ザンダー、そしてマン・レイなどをあげています。彼の作品は、いわゆる近代の写真の正統であるエヴァンスやザンダーらの静謐なポートレートにマン・ レイのダダイズム的実験の精神が挿入されたスタイルと言えるでしょう。さらに彼が名前をあげたヴィヴィアン・マイヤーリー・ミラーのような、優れたスナップを撮影する反射神経も加えて、一人で何役かを演じながら 1 枚の写真に写真の歴史へのリンクを張り巡らせています。優等生的でありながらマッドサイエンティスト。でも運動もできますって感じ。ちょっとイケすぎていけすかない。写真史上に輝く写真家たちのテイストを彼の内部で交配されたグラフィカルなイメージは、写真的喜びと知的好奇心を刺激する現代的な正統なのかもしれません。

村上 由鶴(むらかみ ゆづ)
1991年生まれ。日本大学芸術学部写真学科助手。
日本大学芸術学部写真学科卒業後、東京工業大学大学院社会理工学研究科にて写真・美学・現代アートを研究。写真雑誌「FOUR-D」などに執筆。幻冬舎plusにて「現代アートは本当にわからないのか?」が連載中。



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