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ベートーヴェン交響曲第5番『運命』

 ベートーヴェン交響曲第5番『運命』。

 私が高校2年から3年になる1年間、私の所属していたオーケストラ部はこの交響曲と向き合ってきた。

 第一楽章、一音目直前は緊張感──いや、殺気が充満する。

 楽器を携えた75人が、指揮台に立つたった一人の指揮者を睨みつける。
 指揮台の上で指揮者は、たった一人で75人に殺気を返す。

 76人もの人間が眼で殺し合う空間なんて、滅多に体感できるものじゃない。
 その一人として私も指揮者を射殺すだなんて、そんな瞬間は、その後の人生で一度も訪れなかった。

 そんな狂った空間が、1日に何度も、当たり前のようにあの音楽室には存在していた。

 ベートーヴェンを襲った本物の絶望を、76人の音でここに出現させる。
 私達の奏でる音が、私達こそが、あの天才を狂わせる──『運命』。


 私達は、『運命』。
 人間なんて、簡単に壊せる。

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