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【読書セラピー】『世界は贈与でできている——資本主義の「すきま」を埋める倫理学』

本書の結論は

誰かから受けた恩を
直接その人に返すのではなく
別の人に送ること。


「ギブアンドテイク」や
「ウィン・ウィンの関係」では
資本主義の「すきま」は埋まらない。

『贈与』を送ることで
すがすがしい気持ちと

この世界の温かさを
知ることができるのです。



こんにちは
読書セラピストのタルイです。

突然ですが、
「お金で買えないもの」って
何でしょうか?


「本物の愛」

えぇたしかに。
どこにも売ってません。
どこにあるかも知りませんけど。


「人の心」

その通りですね。
お金もらっても
嫌いな人とは一緒にいたくありません。


「思い出」

確かにそうだ。
あの時の幸せの感情は
売っていたら買いたいくらい


他にも、
「時間」「経験」「努力」
「生まれ持った才能」
「幸せを感じる気持ち」

などなど…


確かに世の中には
お金で買えない価値のあるものは
たくさんありますね。



さて、
今回お伝えしたいことは

「お金で買えるものは
 マスターカードで」

ではありません。


哲学者の近内悠太さんが書いた

「世界は贈与でできている」です。


本書ではお金で買えないものに
「贈与」を挙げているのです。

…贈与はお金で買えない?
私はまず最初に
ここに違和感を覚えました。

だって贈与って
「プレゼント」のことですよね?


それこそマスターカードで
買えちゃいます。


しかしこれは
私の思い違いだったのです。


プレゼントは「贈与」でもあり
「交換」でもあるのです。


単行本のリンクはこちらです。


最初に紹介しておくと

本書は私が今年読んだ本の中で
一番面白かった本です。


ちなみに本書は、
第29回山本七平賞・奨励賞を受賞し、
多くの読者から高い評価を得ています。




本書の内容を一言でいうと
資本主義社会における
贈与の原理の意味と価値を
探求する本です。



さらに本書によると

無償の贈与は存在しない

「贈与は受け取ることなく
 勝手に開始することはできない」

「贈与は、贈与だと
 気づかれてはいけない」


と、このように贈与には

いくつかの謎ルールが
存在するのです。




さてさて
この謎だらけの『贈与』を
理解することで


私たちは何ができるように
なるのでしょうか?


贈与には、
人間の本質的な欲求である

「生きる意味」
「大切な人とのつながり」

満たすことができるというのです。

そして、
それが現代の
「資本主義のすきま」
埋めるものだとも書いてあるのです。


いかがですか?
ご興味が湧いてきたでしょうか?

ここから贈与の疑問を
解消していきましょう。


◆贈与と交換の違いは何なのか?

贈与と交換の違いは何でしょうか?

近内悠太さんによると、

贈与は相手に喜びや親しみを
与えることを目的として、
返礼や対価を求めない行為です。


交換は自分に欲しいものや
必要なものを得ることを目的とし、
返礼や対価を期待する行為です。


私たちの社会は

商品の売買
雇用における賃金の支払い
結婚における夫婦の役割分担

など、
交換の論理に支配されています。


プレゼントは
誰かからプレゼントとして
手渡せれた瞬間に
モノがモノでなくなります。


誰かから贈られた瞬間に
この世界でたった一つしかない
特別な存在に変貌します。


しかし、
贈与は単純なものではありません。

贈与には、贈与者と受取人の間に
あるルールや条件があります。

それらを無視すると、贈与は失敗したり、逆効果になったりします。


◆無償の贈与は存在しない

親は愛という形で
子に贈与をします。

もちろん親は

「老後は子供に面倒を見てもらおう」

と、未来の返礼を期待して
育ててるわけではありません。



たしかに一部では
育てた見返りとして
子供の自由を束縛する
毒親も存在しますが…


基本は、
見返りを求めない一方的な贈与です。


無償の愛とも言いますよね。


しかし近内さんは、

この「無償の愛」という表現には
誤解が含まれている
と指摘しています。


親が子を育てるのは、
たしかに見返りを求めない愛ですが、

それは無から生まれた愛では
ないのです!


⚫️親が「孫の顔が見たくなる」理由


親も、その親から愛されて育ちました。


その愛が
親に”負い目”を感じさせ、
子に愛を渡すことで返そうとします。


しかし、
我が子に愛を渡すだけでは、
親は不安になります。

自分の愛は正しいのか?
子は幸せになれるのか?
と疑問に思います。

親としては
我が子が自分と同じように

他者を愛することが
できるようになるまで、
安心できません。

この概念が親に
「孫が見たい」と言わせるのです。


孫の顔を見て
初めて子育てのプレッシャーから
解放されるそうなのです。



◆「贈与は受け取ることなく開始することができない」

近内さんによれば、
贈与を成功させるためには

まず自分自身が誰かから
善行を受ける経験が必要であり

その善行を他の人に返すことが
重要です。

映画『ペイ・フォワード 可能の王国』
(原題:Pay it forward)の
あらすじを通じて、
贈与についての考え方を探りましょう。

中学生のトレバーは、困難な家庭環境で育ちます。

社会科の課題で提案された「ペイ・フォワード」の考えに基づき、3人に親切を行います。
ホームレスのジュリー、いじめられっ子のアダム、顔に火傷を負ったシモネット先生にそれぞれ助けの手を差し伸べます。

しかし、ジュリーは薬物依存に陥り、アダムはいじめっ子に刺されます。シモネット先生もトレバーの策略でトラブルに巻き込まれます。

トレバーは自らのペイ・フォワードが思うようにいかないことに落胆しますが、インタビューで勇気を称え、学校でアダムを守るために立ち向かいますが刺されて死亡します。

近内さんは本書のなかで
トレバーが死んでしまう結末は

自分が何も受け取っていない状態で
贈与を始めてしまったからだ」

と指摘されています。

トリバーは
アルコール依存症の母親と
家庭内暴力を振るう父親を
持っています。

トリバーは
この両親からは
何も受け取っていないのです。


自分自身が何も受け取っていないのに、
贈与をしようとすると、

それはトリバーと同じように
ただの自己犠牲になってしまうのです。


ここがポイントです。

贈与はすでに受け取ったものに
対する返礼であるならば
それは自己犠牲にはならないのです。


◆「贈与は、贈与だと気づかれてはいけない」

鶴の恩返し

次に贈与は、
贈与だと気づかれてはいけない
ということです。

つまり、
贈与は秘密にしなければならない
ということです。

なぜならば、
贈与者が名乗ったり、
贈与の方法や理由を明かしたりすると

贈与は交換になってしまいます。


そうすると受取人は、
贈与者に返礼を
しなければならなくなります。


日本の昔話「鶴の恩返し」は、
この贈与のルールを象徴しています。


男が助けた鶴は、
女に化けて男の妻になり、
機織りをして男に布を贈与します。

しかし、
男が部屋を覗いて
鶴の正体を知ってしまうと
鶴は去ってしまいます。

鶴は、男に気づかれずに
純粋贈与を成し遂げようとしたのです。



◆〈疑問〉世界は贈与と交換でできていないか?

ここまでで贈与と交換の違いと
贈与に関するいくつかの謎ルールを
まとめてみました。

ですが疑問もあります。


本書のタイトルは
「世界は贈与でできている」

というよりは

「世界は贈与と交換でできている」

と表現したほうが
しっくりこないだろうか🤔


どうしても贈与に対する理解が
追いつかなかったのです。

しかし、
本書の中盤に書かれてある
近内さんが専攻分野である

『言語ゲーム』を知ることで
その考えが変わりました。



たしかに世界は贈与でできています。



言語ゲームとは、
20世紀の大哲学者:
ウィトゲンシュタイン
提唱しました。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン


ウィトゲンシュタインの
言語ゲームで言っていることは

言葉とはその使われる活動や
文脈によって意味が変わるもの

ということです。


言語ゲームは、
言語を使って行う
さまざまな活動のことで、

言語の意味はその活動の中での
役割によって決まります。


例えば、
「犬」という言葉の意味は、
犬の写真を見せたり、
犬の鳴き声を聞いたり、
犬と遊んだりするときにわかります。



そこで私は私の人生のなかで
贈与を受け取ったと思われる活動と
文脈を思い返してみました。

思い返してみると

私も若い時に先輩に奢ってもらった時に
お礼とお返しの意思を伝えると

「いつか自分に後輩ができたら
そいつに奢ってやれ」

と言われました。


子供のころに
親に迷惑をかけた時に

「お前と親になった時に
 いつかわかるよ」


とも言われました。


かなり後になり
これらは日本語で
「恩送り」と呼ばれる活動で
あると知りました。


誰かから受けた恩は
直接その人に返すのではなく
別の人に送ること


英語では
「ペイ・イット・フォワード」
と言うそうです。

たしかに私は人生で
多くの恩を受けておりました。


ただ交換を主体とする
現代社会において
その恩を忘れてました。



私だけではありません。

人間は受けた恩を
そのままその場で返すことは
できないようになっています。


全ての人間は「早産」
未熟児として生まれてきます。

なぜなら
母親の胎内で脳が大きくなりすぎると
産道が通れなくなるからです。


つまり人間は生まれながらにして
周りの大人の保護や
教育を与えられなくては
生きていけない

”負い目”を背負わされるのです。



生きているということは
誰かに借りをつくること

生きていくということは
その借りを返していくこと

誰かに借りたら 誰かに返そう

誰かにそうしてもらったように
誰かにそうしてあげよう

「生きているということは」より

これは故:永六輔さんが作詞し
中村八大さんが作曲した歌
「生きているということは」
という歌詞の言葉です。

私はこの歌詞が
贈与の言語ルールそのものだと
感じました。




◆〈まとめ〉贈与の宛先から逆向きに返ってくるもの

私たちは、仕事や人生に対して、

何のためにやっているのか?

どんな価値があるのか?


という疑問を抱くことがあります。

それは、
私たちが「交換」の考え方に
とらわれているからだったのです。

交換とは、
相手と何かを与えたり
もらったりするときに
常に等価なものを求めます。


例えば、

仕事では給料評価

人間関係では感謝承認などです。


しかし、
交換の中からは、
仕事や人生の
本当の意味や喜びは見つかりません。


それは、
贈与の相手からもらえるものだからです。


贈与とは、
相手に何かを与えるときに、
自分の利益や見返りを考えないことです。

例えば、
社会に貢献することや、
人の役に立つことなどです。


贈与の相手は、
私たちに感謝や尊敬、信頼などを
返してくれます。

それが、
私たちの仕事や人生に
意味ややりがいを与えてくれるものです。


しかし、
注意しなければならないことが
あります。

「生きる意味や仕事のやりがいを
 もらいたいから贈与する」


というのは、
本当の贈与ではありません。


それは交換の一種であり、
自己欺瞞になるだけです。


そんな考え方では、
生きる意味や
仕事のやりがいはもらえません。



私たちは、
この世界に生まれたときに、
すでに多くのものを
贈与として受け取っています。

例えば、
生命や才能、環境や教育などです。

私たちは、
これらのものを不当に受け取ったと
感じるべきです。

そして、
これらのものを
次の人に引き渡すことが
私たちの使命です。

私たちは、
自分にとって必要のないものや
間違って届いたものを
受け取ることがあります。

例えば、
余分なお金や物、
情報や知識などです。


私たちは、
これらのものを正しい人に
届けることが、
私たちの役割です。


私たちは、
贈与をすることで、
メッセンジャーになります。

そして、贈与の相手から
偶然にも意味ややりがいを
もらうことがあります。

しかし、それは
私たちの目的ではなく
あくまで結果です。


私たちの目的は、

ただ贈与のパスをつなぐことです。


そして、
そこからしか贈与は始まりません。

私は今回、
本書を読むことで

本書の目的どおり
贈与の原理言語ゲームを知りました。


私は先行する贈与を受けたのです。

そしてこの記事を書くことで
メッセンジャーとなれました。



いまnoteを書き終えてみて

私はこの世界の
「すきま」を埋められたかと思うと

少しだけ
その負い目から軽くなることを
感じるのです。



最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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いただけたら嬉しいです。



いつもXでご紹介いただける方へ
感謝しております。



Kindle版のリンクはこちらです。


まえがき
第1章 What Money Can’t Buyー「お金で買えないもの」の正体
第2章 ギブ&テイクの限界
第3章 贈与が「呪い」になるとき
第4章 サンタクロースの正体
第5章 僕らは言語ゲームを生きている
第6章 「常識を疑え」を疑え
第7章 世界と出会い直すための「逸脱的思考」
第8章 アンサング・ヒーローが支える日常
第9章 贈与のメッセンジャー
あとがき


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