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じぇらしぃ #3/7

売れない小説家の私は、今度新しく担当になった二十代の女子であるTの薫陶を受けることで、還暦を目前にして文壇へと返り咲いたのでした。

♯2までのあらすじ


 四十もなかばを過ぎた妻は、昔でいうなら大年増。大年増の字面からはでっぷりとした腰回りが想像されますが、子を成したことのない妻の骨盤は開いておらず、ローライズのジーパンを穿きこなすその後ろ姿は、腰から臀部にかけてちょうど茄子のように垂れて膨らむのでした。しゃがむと尾骶骨の上スレスレまでズボンのウェストバンドが引き下げられて、決まって下着の縁が覗くのですが、私は密かにそれを「猪牙舟」と呼んで愛でておりました。むろんそのことを、妻は知らない。
 対してTは、院卒の三年目だから低く見積もって二十七か八、初顔合わせのときこそ上下とも紺のスーツでしたが、そのときもパンツスタイルで、これまで一度もスカートを履いてきたことはありませんでした。ふだんは裾丈のやや短いワイドパンツで、股上の深さが保守的な印象を与えるものの、臀そのものは引き締まって小さく、茄子に比してこちらはプチトマト、ツンと上向くようで、当人の演出とは裏腹になかなかに小生意気で挑発的なのでした。

 四十、五十と節目の年齢ごとにかまえておののいて、ときに暗澹とするなんてのは、還暦を目前にいい加減鈍磨するものでして、たしかパティーナといいましたかしら、「美しき経年劣化」が目下の目標。要するに私の人生は、朱夏から玄冬にかけてようやく安寧を見るようでした。病気らしい病気もなく、もとより無理をしないタチなので怪我とも無縁。ここへ来て、五十に近い女と三十手前の女とを身辺にして、腰回りなんぞを見比べては、あらぬ劣情を抱きつつ(ここ三十年の日本女性の臀の縦幅と横幅の比率の変化についての)私的進化論にうつつを抜かしたとて、誰はばかろうというものです。どちらがどうということではない、茄子には茄子のよさがあり、プチトマトにはプチトマトのよさがある。そうだ、今年の夏は庭に茄子とトマトを育てようと思いつくなり心浮き立ってくる私なのでありました。

 生まれながらにしてカビ臭いような「反動の世代」の私に、ふたたび脚光を浴びせたその手腕たるや業界人に注目されないはずはなく、Tはにわかに企画者としての頭角を現すようでした。「東京建築小説」のシリーズ化の企画を通した彼女は、義理堅くも私への原稿依頼を都度忘れず、それはそれで私の作家としての新境地を開くまたしても契機となった。日本近代文学の、こと葛西善蔵や嘉村礒多、徳田秋声ら私小説作家の文体のパスティーシュというかパロディは、建築物を描写する、ないしはそれを借景にドラマを語るさいに存外の体幹の強さを発揮するのでした。これについてはさる著名な文芸批評家が時評で取り上げたらしく、私の株は私自身の預かり知らぬところで鰻登りになるようだった。

「大学のセンセに褒められたところでね」
「そのうち外車か別荘くらい買えるかもわかりませんよ」
 Tはニヤニヤしながらいうのでした。いかにも私は見透かされているわけですが、期待に違わぬことをしれっと口にするのも心の余裕というもの。
「僕は生来ミニマリストだからね。status symbol ほど縁遠いものもないね。家ではいっそ裸族でいたいし、外へ出るのも理想は手ぶら。失くすものがなにもないというのがすこぶるいいわけ」
「外でも裸族」
「理想はね。実行すれば逮捕されましょうけど。もっとも、家で裸族を実践したら、これが妻には不評だった」
「あら意外。奥様なら一緒に裸族やってくれそうですけど」
「いやいや、ああ見えて妻は人の酔狂には手厳しいですよ。陰毛がいたるところに落ちてかなわないと、さっそく苦情が出ましてね」
 覚えず尾籠な話柄へと転じて、私は内心少なからず恐慌した。きょうび、あけすけな話題でもって淑女を辱めれば、セクハラだなんだと糾弾されるを免れず、軽口の徒輩はいかにも分が悪いわけです。そのあたりの距離感を測りかねるくらいの、Tとの親密度ではあった。しかし彼女はあっけらかんとしたもので、
「それならいっそ、ぜんぶお剃りになればよかったじゃありませんか」
「いや、君、お剃りになればってねえ……いってくれるね。まぁ、しかし、そうなんだよな。じつのところいかにもお剃りあそばしたわけなんだけど、それはそれで不評というか、いや、妻にではなくほかならぬ僕自身にだね、そういう状態になってまで家のなかをうろつくってのが、なんとも気恥ずかしくって……」
「そういうとき、興奮なさるんですか」
「え、僕が。それとも妻が」
「センセイが、とお聞きしたつもりでしたけど、このさいどちらでも」
「うーん、僕は谷崎の万分の一ほどにも女性拝跪の念をも恥辱の快たるをも持ち合わせぬ凡夫ですからね。興奮もなにも、ただただ恥ずかしいだけ。なににも煩わされたくないがゆえの裸族なのに、陰毛が落ちるのに遠慮して剃毛するなんぞひと手間加えること自体が、どうにも収まりが悪いといいますか。なにやってんだ俺ってな具合で。ここで僕が羞恥は羞恥として裸族を徹底したなら、ひょっとすると妻は興奮したのかもわからないが、だとしたら妻は僕についてとんだ見込み違いをしていたことになる。まあ、じっさいそうなんでしょうけど」
「男には三つのタイプがあるという、あれですか。そうなると、センセイはさしずめ第三のタイプ」

 東京建築小説シリーズ第一弾の「護国寺編」で、私は『不老』という題名で三十枚ほどの掌編を寄稿したのでした。
 視点人物は三十手前の未婚の娘。その人物造形については、いうまでもなくTに負うところ大。娘の名は可南子、四人姉妹の末っ子で、上三人とは腹違い。とんだ跳ねっ返りで、一家の監督を担う長女の眞砂子のいうことなんかはなから聞きやしない。眞砂子とそう年の変わらない後妻の実母を差し置いて、大きな顔をするこの姉が可南子には憎くてたまらないのである。四姉妹の父は日本画家の大家で、これが七十を迎えてまもなく逝去し、爾来、菩提寺である東京音羽の護国寺本堂にて法要が営まれる習い。今年は父の十三回忌。方々で梅の香の聞かれる時節、会の開始時刻を大幅に過ごしてから、愛してもいないチンピラ風情の男の駆る悪趣味なスポーツカー(鶯色のランボルギーニ!)に送られて、仁王門を迂回し脇の坂を登ってから宝塔の手前で降ろされ、境内の玉砂利を踏む可南子。カウンタックのエンジンの空吹かしという先払いに、本堂の読経はしばし中断される。
「かなちゃん。遅いじゃないの」
 本堂の上り口で仁王立ちする眞砂子。ただではこの異分子を通すまじという気魄。こちらをうかがう遠くの面々に、実母の怯えたそれのあるのを可南子は認めた。
「それになんなの、そのなりは。法要にはお着物でいらっしゃいと、あれだけ言ってあったのに」
 可南子は男物のトレンチコートの下にこそ黒のワンピースを着ているが、頭に巻いたスカーフも緑ならヒールも緑。マニキュアは赤。
 実母から少し離れたところに、男の顔を三つ認める。一つには緊張が走り、一つにはやましさが滲み、一つは軽薄に笑いかける。姉たちの夫らは皆可南子に弱みを握られている。男どもは自分の夢中になる愛人が同じ義妹であるとはゆめゆめ想像だにしないだろうし、妻らに至ってはいわずもがなである。後ろめたさなど可南子には微塵もなく、あるのは侮蔑と痛快さばかりである。男たちの間抜けヅラを見るにつけ、晩年の父が可南子を膝に載せ、からだじゅうを服の上から撫で回しながら繰り返し教えた箴言があって、それを思い出していた。
「男には三つのタイプがある。一つは奴隷タイプ。苦役の果ての解放を至福と取り違えるおめでたい輩だが、これが大半で、多くは勤め人に甘んじて生涯を終える。嫉妬深くて、勘定高く、女をいましめて下に敷く。いま一つはワーシッパータイプ。美への奉仕者にして崇拝者、ミューズとなる女に生涯拝跪する。ほかのなにより美が優先する。これに女がめぐりあうのは万に一つ。そして最後の一つ、これがやっかいなんで、アメーバタイプと私は名づけている。誰かに気に入られようと思えばなんにでも変げする。稀代の殺戮者にもなれば、同じ手で貧しき者らへ私財を擲ってパンを配る。こういう輩はとんでもない裏切りをのちにする。そして悲しいかな、そういう男もけして珍しくないのだよ」
 可南子は帰るさ、誰よりも先に本堂を抜け出して多宝塔の前のランボルギーニをも通り過ぎ、赤門をくぐって長い階段を逃げるように降りてから、不意に立ちすくんで振り返る。そして可南子は認める、唐破風の陰より微光を放つ「不老」の二文字。

 Tは『不老』のこの部分を受けて、私をして「第三のタイプ」といったものでしょう。第一と第三はこれまでの人生知から軽蔑を込めて捻り出した類型でしたから、まさかそのうちのひとつに自分が当てはめられるとは思いもよりませんでした。しかし小説家のする人物の類型化など所詮は自己分析の延長に過ぎないわけで、その伝でいえば、私という人間は、小人で吝嗇な奴隷であり、狷介不遜な崇拝者であり、そしてつかみどころのないアメーバでもあるというわけでした。
「ところで東京建築小説の次のお題なんですが、東京タワーで決まりました。センセイもぜひ書いてください。今度は恋愛もので」
 いまさらなんであんな斜陽のメルクマール、蝋人形でお茶を濁すような……と小馬鹿にすると、それはセンセイのお若い時分のお話、いまや東京タワーもすっかり生まれ変わってクールジャパンの一翼を担う、とTは笑うのでした。
「奥様とぜひ近いうちにいらしてみてはいかがですか。昔の東京タワーで記憶が止まっておいでなら、それとの比較において面白いものが書けるかもしれない」
 すると物故した台湾の映画監督の遺作に撮られた東京タワーがまざまざと眼前に現れるのでした。それから書割のような青空を背景に立つ、松の枝越しの小津の東京タワー。
「いやあ、どうだろうね」
 煮え切らない態度を示すと、
「夫のスイキョウには手厳しい?」
 そういってTは笑うのでした。



 それから数日して、夕餉の折に私は妻へさりげなく水を向けた。
「東京タワーもずいぶんと新しくなったらしいね。日没と同時にライトアップされるらしいから、それを見届けたあとに芝のギリシャ料理屋でディナーなんてのはどうかな」
 すると妻は、向かいで唖然とするように目を剥いて、それからさもおかしいというように笑いだしたのでした。
「なんか、おかしなこと、俺、いったかな」
「いえね、変われば変わるものだと思って。この年になってあなたからデートに誘われるなんて、思ってもみなかった」
「いや、まあ、取材が大半なんだが」
「あら、そこは照れ隠しをするところじゃないわよ。取材のついでなんていわれたら、いわれたほうは興醒めじゃない。たとえそうだとしても、そんなこと、黙っているものよ」
 妻はこちらの酔狂ばかりか無粋ぶりにも手厳しく、言葉尻をとらまえるのに容赦がありませんでした。どうも年々にこの傾向は勝るようで、更年期特有のものなのか、私に一物あるからなのか、あるいはその両方なのか、いずれつまびらかにすることは進んで地雷を踏むようではばかられた。そのあえて装う鈍感ぶりがまた、妻の敵愾心の火に油を注ぐことになるにしても。
「いつかいっしょに訪れた場所がさ、様変わりしているのを見に行くというのもまた一興じゃないか」
「あら、わたし、あなたと東京タワーになんて行ったことなくってよ。どっかの誰かさんと勘違いしてらっしゃるんじゃないの。取材なら、いっそTさんにご協力願ってはいかが。若い女の感性の今昔比較なんて、そうできるものじゃないし、それでまた新境地とやらが開けるかもわからない」

 かくして不首尾に終わった妻の東京タワーデートへの誘い出し。東京タワーを舞台とした、あるいはそれを遠景とした恋愛劇の構想を招来すべく、私は朝に夕に家の周辺をあてもなく歩き回り(というのも私の場合そぞろ歩くうちにこれはというアイデアを得るのが常でした)、かしこで桜の花芽の次々にほころんで開いてゆく様を奇跡のように眺めてはただただ感嘆して日を過ごすのでした。Tを東京タワーに誘うことが唯一の打開策のように思われて、募りゆくその思いを持て余す。それはもう、好きな女子に声をかけあぐねて日々悶々とする男子中学生と変わらなかった。途中経過をTにメールで問われて、まだ一行も書けずにいると知らせると、明日の夕方そちらへうかがいますとTは返信してきた。

 おりからの花冷えにその日は昼前から風が走り、黒いような雲がたちまち空を覆ってぱらついたりやんだりを繰り返した。夕には吹き降りで、桜の花弁は毟り取られ、路面に叩きつけられて、路側帯を流れるいく筋もの流路となって側溝に渦巻いた。
 Tはずぶ濡れになって玄関先に現れたのでした。まさかこんなに降るとはと笑いながら、寒さに震えている。私はTにバスタオルを渡した。妻なら的確に対応するところ、あいにく実家のある外房の病院に入院する実母を見舞いに行っていて、こういう日の帰りは夜も深い時間になる。それでも私のためらいは瞬時のものだったはずで、すぐにもTを家に上げ、風呂場へ案内した。シャワーを浴びているあいだに湯も沸くだろうからよかったら、といいおいて脱衣所の戸を閉てる。昨夜の湯を追い焚きしに立ちかけて、濡れた衣類はそこの洗濯機に放っておきなさいと戸越しにいい足した。
 大丈夫ですからともおかまいなくともいわず、そこはZ世代特有の屈託のなさなのか子を持たない私に判じようもないが、やがて湯の立つ気配がしたときには、なんとも好ましい気持ちに胸満たされたのでした。さて、着替え、と思い当たって、私は妻の箪笥をあさって灰色のスウェットの上下を引っ張りだした。下着、と思ったが、まさか妻のそれを貸すわけにもいくまいから、ここは乾燥機で乾くまで辛抱してもらおうとなった。脱衣所の戸をそっと開け、着替えを置いておきますからと呼びかけて、そのわずかな隙間からスウェットを投げ込んだ。花冷えに再稼働していた食堂のガスストーブの前に椅子を置き、ジャケットとスラックスはそれに引っかけて乾かした。それからはなんとなく近くにいることがはばかられて自室に戻る私でしたが、おのずと耳をそばだてる格好になる。やがて湯の出るのが止み、伸びやかな鼻歌が戸の向こうに渡りはじめた。

「ドライヤー、お借りしました」
 脱衣所から出てきたTのショートボブはそれでも少し濡れているように見えた。あとは乾燥を待つばかりですと報告するTは、男物の上下をあてがわれたようにそれをだぶつかせていて、その可愛さに私は胸つかまれる思いがした。妻の嗜好品である蜂蜜紅茶を淹れて彼女に手渡す。
「あら、これ、おいしい」
 そういってTは目を輝かすのでした。カップを両手に私の仕事机を覗き込んだTは、くるりと私に向き直ると、
「センセイ、お礼に私が書いてあげる」
 代筆の申し出かと戸惑いを隠せずにいると、
「ほら、センセイ、昔は口述筆記が当たり前だったじゃないですか。あれ、やってみましょうよ。葛西善蔵の『酔狂者の独白』ごっこ、あれ、わたしいつかやってみたかったんだ」
『酔狂者の独白』とは、1927年刊行の葛西善蔵晩年の代表作で、弟子の嘉村礒多がたしかじっさいに口述筆記を請け負ったはずだが、書けない書けないと焦りを募らせるばかりで酒浸りの日々を送る葛西は、なにをか語ろうとしてあらぬことを思い出しては暴れまくり、とうとう葛西の妻と嘉村とに取り押さえられて布団に簀巻きにされ部屋の隅に放擲されたところが、不意に霊感が降りたといって嘉村を呼び寄せて、簀巻きのまま口述筆記させるという短編で、おかしくもあり、かなしくもあり、いずれ書くことの業のようなものを表すのにこれ以上ない形で到達した凄まじい短編であるわけですが、それをごっこの遊びとしてやってみたいとTはいうのでした。布団に簀巻きにされる自分を思うと、ついぞない劣情のほむらが内に立って思わず私は目を背ける始末。そんなこちらの内面を知ってか知らずか、Tは私の机上にカップを置くと、椅子に座りつき、文箱に平積みされた文房堂の原稿用紙を一枚取って広げて、私の愛用のペリカン700を手に取りました。
「さあ、センセイ、思いつくまま語ってくださいな」

 彼女の書き取った原稿用紙のその一枚は、私にとって終生の宝となりましょう。その折り目正しいひと文字ひと文字のマス目に置かれるのを舶来の万年筆も謹製の原稿用紙も心底喜ぶようで、なるほど、一流の使い手あっての一流の道具であるとは改めて気付かされるのでした。Tのそれは、後ろ暗いところのなにひとつない、まっすぐに生きてきた人の字だった。それに比べて私の字ときたら、人によって味のあると評することもありましょうけど、味なんてのは見どころのないゆえに与えられる賞賛もどきなんで、いじけた根性のありありと見える虚仮脅しの金釘流、性格から育ちからあからさまにせずにはおかない書字のむごさを私は思わずにはいられなかった。
 それでも私は過分の果報にありついたのでもあった。声がいい、とTにいわれたのです。まるで抱擁されているような声だと、一字一句違わずそう評したのでした。Tはおべっかを使うような人間ではありませんでしたから、私はその発言の含意を最大限に解釈し、年甲斐もなく有頂天になりました。気を大きくした私は、その勢いを駆って厚かましくも東京タワーへの案内を申し出て、これまた拍子抜けするほど簡単に承諾された。

 雨は上がった。
 乾燥機は回り終わり、Tのジャケットもスラックスもガスストーブの前でほどよく乾いた。着替えを済ませると、深々と頭を下げて出ていった。彼女の今日のおとないこそは、一陣の花風のごとくであって、雨上がりの生ぬるい夜気に、私は淫靡な春を嗅いでいた。
 洗濯機の蓋の上に灰色のスウェットの上下がきれいに畳まれてあるのを私は認めた。Tがその裸体にじかに身につけていたことが思われて、私はにわかに劣情を持て余す。そして私は畳まれてそこにあるスウェットをついに手に取ると、洗濯機のなかへ投じようとしてかなわず、さも大事そうに抱え直して自室に下がった。
 その後、田山花袋も思いもつかないような愛で方を私はするのでしたが、ここは自分の名誉のために、なにをどうしたかについては書くのを控えさせていただく。いつか忽然と消えた部屋着について妻から問われることがあるにしても、私はシラを切り通すつもり、とだけ申し添えておきましょう。

 約束の日。妻の意味深長な笑顔に見送られて私は家を出る。電車に乗ること自体、思えば半年ぶりの行動になる。疫病禍の行動自粛とは関係なく、そもそも私の現在の生活において公共の交通機関が無用だからである。日没までやや間のある時間帯、それでも電車が混み合うのは、通学者の帰宅時間とバッティングしたから。生徒らの上げる奇声の一々に、神経が逆撫でされる。

 神経の逆撫でといえば、レジで商品のやり取りをするにしても、人に物を尋ねて返答されるにしても、どことなく軽んぜられる態度を示されるようで、そのたびに鬱々としてくるのでした。長らく人と接触しないせいなのか、年齢のせいなのか、はたまた生来の気質か。いずれにせよ、社会から弾かれているという思いは、どうにも拭えないのでした。

 地下鉄で神谷町まで来て、茜色に染まったビルの谷間を歩く。かしこで再開発が進むようで、幅広の緩勾配に出ると、左手の、あるべき建物群のいっさいが取り払われて束の間更地になったその向こう、朱に塗られた巨大な鉄骨の構造物が、怪獣映画の怪獣さながらにぬっと現れた。

 私は事前に申し合わせたように、タワーのなかへは入らず、正面ゲート側にある塔脚のひとつに取りついて、飽かずそれを仰ぎ見るのでした。出来得るなら、日没と同時にライトアップされるというその瞬間にTと居合わせたいと願ったのでした。

 しかしTは現れなかった。
 日没から一時間して、急の仕事でそちらへうかがえないと詫びるメールがTからあった。思いのほか自分でもさばさばしたもので、これまた一興、と私は嘆息すると、おもむろに腰を上げて歩き出した。
 増上寺の裏門から境内に入ると、金堂の表はすっかり閉じられているのに、少し離れたところに人だかりができていて、近づくにつれ、外国人の群れとわかるのでした。すっかり消灯した重厚でトラディショナルな木造建築物と、その屋根の上に覗く電飾の東京タワーのコントラストがいかにも珍しいらしいのでした。かくいう私も、それを仰ぎ見たときには、すっかり外国人の眼差しになっていた。

 帰宅すると妻はすでに就寝しておりました。さて、なにか食べる物はないかと台所をあさっていると、ふと妻の定位置の卓上に、A4サイズの矢絣模様が整然と置かれてあるのが目に留まった。その分厚さからいって、和綴の日記帳だろうとは見当つくものの、はて、妻は毎日日記をつける人だったかしらと訝った。しまい忘れと放っておくのが礼儀の一般だが、私も作家のはしくれ、こう目につく形で置かれては、読めとの挑発を見過ごすわけにもいかなかった。
 かくして私は妻の席に座りつくと、その真新しいような布表紙をおもむろに繰った。開かれるや、たちまち立ち上る墨の匂い。

つづく

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