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鳥人間

出張というのもぜんぶウソだったのだ。

父はその不在の一週間のうちに、町外れの知らずの森にひっそり佇む某大学病院に入院し、鳥人間の手術を受けていたものである。一週間後に私たちの前に現れた父は、だから晴れて鳥人間だった。

鳥人間になった父は、当然のことながら、会社を鳥戒免職になった。以来、母も姉も口を利かないので、父がもっぱら恃みにするのは次女であるこの私。馘になったのなら仕方がない、次の職を見つけるまでと私が励ますと、父はたちまち元気を鳥戻し、餅は餅屋とばかりに焼鳥屋に飛び込んだ。

鳥あえず見習いのバイトからということになり、車なら二時間の郊外にある農場まで飛翔してその日の鶏を四、五羽と見つくろい、潰して丁寧に羽根を毟って捌いて内臓を抜いて、手羽先、手羽元、もも肉、胸肉、ささ身、ぼんじり……と解体したのを嘴に提げて店に飛んで戻って、それから細切れにした肉を串に刺したり鶏ガラでスープをこさえたりするうち便所に立つ暇もないままはや開店時刻……と、こんな生活、せいぜい一週間が限界だろうと私は見限っていたのだったが、一週間を鳥渡(ちょっと)過ぎた十日目に、とうとう父は音を上げた。

しかし父は過酷な労働のためにギブアップをするような、そんなチキン野郎ではもとよりなかった。鶏を潰し、その新鮮な肉を店に運び入れるまでを、夜の明けぬうちに済まそうと努めた父の勤勉さこそが災いした。ある日、父は肉を運ぶ途中、電信柱に舌鷹に頭を打ちつけて気絶しそのまま落下したのである。百メートル圏内に常時控え、愛車の軽のチムニーから双眼鏡で絶えず見守るこの私がいなければ、危うく父は野良犬か野良猫にかかっていたかもしれない。そう、父は自分が鳥目であるのを計算に入れていなかったのだ。暗いうちはよくも目が見えないのは、老眼のせいだと決めてかかった憐れな父!

「オレはこう見えても部下が百人もいた、名の知れた大企業の中間管理職だったんだゾ!」
深酒すると、二言目には誰彼にそう息巻くのが父の悪いクセで、だから近所のスナックではもとより鼻つまみ者だったのが、鳥人間になってからはますます嫌われて、どうやら父は相客の誰彼をつかまえては、鳥人間であるのを自慢し、なんなら鳥人間になるよう勧めるらしかった。
「お父様ね、申し訳ないけど、今後は出禁ということで」
泥酔した父を引き鳥にいった私は、スナックのママからそういい渡された。

父に肩を貸しながらの帰りの夜道、私は父に告げる。
「パパ、明日から出禁だって」
「なに、明日からペキンダック⁈」
「デ、キ、ン」
「なにを、ハシビロコウ女が、洒落臭い。しかしオレは、三歩歩けば忘れてしまうのだ!」
玄関を開くなり、父は意気軒昂として叫んだ。
「おい、鳥人間様のご帰還だゾ! 出会え出会えでござるよ、あの店は安酒ばっかなみなみ注ぎおってからに、食い物はロクなものが出ない、だから拙者はうんと腹を空かしているのでござる! うん、砂肝食べたい」
「家にはもう誰もいないでござるよ」
「はぁ?」
「ママもお姉ちゃんも出ていったよ。パパが飲み歩いているあいだに」
こうして失業中の鳥人間の父と、同じく無職のDEMO鳥娘との二人暮らしが始まったわけだった。

当面をせどりで凌ぐ私たち。
掘り出し物はないかとチラシに隈なく目を通していた私は、新聞紙の見開き二ページにでかでかと「鳥人間グランプリ、いま再び開催!」とあるのを見つけて、腰を抜かさんばかりに驚いた。縁側の陽だまりで爪を切っていた父のところへ馳せ参じて、「見てよ、これ、パパにうってつけじゃないの」と新聞紙を脇に広げて見せた。初めは気乗りしないふうだった父が、躍る文言を二度見してから、食い入るようにして紙面に鳥目を走らせる。
「……鳥人間が、市民権を得たと、そういうことなのか」
「そうよ!」
「ついに時代がオレに追いついたってわけか!」
「そうなのよ!」
後日、私たちは百枚からの応募ハガキをしたためて開催主体たるテレビ局宛てに投函した。「プロペラ・ディスタンス・人力部門」とやらでの出場が決定した私たちは、その日より手頃な木材選びから始まって、コンテスト開催までの数ヶ月、昼夜を分かたずプロペラとタンスの人力制作に邁進した。

大会当日まで体力をば温存したいという父の意向から、枇杷湖までの飛翔を回避し、震撼線で前日に前乗りすることにした私たち。道中、震撼線へのタンスの運び入れについて乗務員とのあいだですったもんだがあり、私は機転を利かせ、これは木製のプロペラ付きキャリーバッグだと強弁してなんとか押し切った。
「百歩譲ってタンスの……いや、キャリーバッグの持ち込みは許可するとして、鳥の持ち込みは……」
「鳥ではありません。れっきとした鳥人間です」
私はここぞとばかりにケータイのカメラ機能をオンにして乗務員に向けながら、毅然としていった。
「鳥……人間? いや、誰が見ても鳥でしょう」
「なにをいいますので。いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの鳥人間ですよ。明日に華々しいコンテストを控えるというのに、父を鳥扱いするとは取り扱いの取り違いにもほどがある! それとも鳥と人とを差別なさるので?」
かくして私は、タンスも鳥も、まんまと車内に押し込むのに成功する。

枇杷湖駅で降車した私たちを待ち受けたのは黒山の人だかりで、しかし誰一人握手を求めるでも声をかけるでもなく、遠巻きに、おそらくは録画機能をオンにしてケータイをこちらに向けてついてくる。鳥人間フィーバーもお膝元ではここまでの加熱ぶりかとさすがに父も私も呆れて、ながら手を振り愛想を振り撒いたものだが、じつのところ始発駅で乗務員とのあいだに出来した例の悶着が何者かに動画に撮られ、それがSNS上に拡散されて、枇杷湖駅に着くまでの二時間のあいだに「迷惑系鳥人間凸」のタイトルでにわかにバズっていたとは、この朱鷺には知る由もなく。

事前に予約しておいたビジネスホテルで一服すると、私たちは枇杷湖へ下見に行った。湖のとある岸からは、幅広で長大な仮設の嘴ならぬ桟橋が百メートルほど伸びていて、そこを翼の長いグライダーが、あるいは自転車をそのまま取り付けたようなコックピットを持つプロペラ機が、次から次へと助走をつけてはダイブし、水面すれすれの滑空を繰り返していた。

あたりを見渡しても、鳥人間らしい姿はどこにも見当たらなかった。
「前乗りするほどの気概もない奴らだ。この時点でオレの優勝はほぼ知れたもの」
珍しく父は強気なことをいった。父を頼もしげに打ち見たのは、このときが初めてだった鴨しれない。
私たちはすることもなく宿に戻った。肩慣らしにナガラ川まで飛翔しがてら、鮎でも獲ってきてささやかな予祝を開こうとは父の発案で、暮れる前に父は東を目指して旅立った。そのあいだに私はビジネスホテルの料理長をば説得して、お裾分けを条件に鮎の調理をしてもらう段鳥、鳥付ける。宵の口に戻った父は、鵜の見様見真似と断ってから、いきなり調理場の流しでおろおろおろおろ……と生鮎を胃から吐き出したもので、ここでもあえなく出禁とあいなり、予祝はおろか、夕飯を食いっぱぐれるという鴫に至る。

さても大会当日の朝。
枇杷湖の湖畔に特設された鳥人間グランプリのプレハブ会場の受付を、事前に送られてあったエン鳥ーシートを提示して勇んで通過しようとした私たちは、図らずも係員に呼び止められた。
「あの、それ、なんですのん」
規定のプロペラと、このタンス(this tance)と答えても、首をフクロウのように傾げたまま係員は道を譲らない。人力で制作したものかどうかを疑っていると思い当たった私は、こういうこともあろうかと制作過程を詳細に記した写真入りのレポートをリュックから取り出して係員に渡した。
「困りましたね。コミカル部門は、とうの昔に廃止になってるんです」
私は憤然として反駁した。
「コミカル部門の出場ではありません。『プロペラ・ジス・タンス・人力部門』でのエントリーです」
「ディスタンスね」
「同じことですよ」
「この部門はね、人力でプロペラを回してどこまで飛行機が飛ぶか、その飛距離を競うんです。プロペラのついたタンスで、どうやって飛ぼうっていうのんです」
「飛びます。見くびらないで」
「それに、そこに控えるのは、その、いわゆる、お鳥さんでしょ? 鳥を出場させるほど、焼きは回ってはおりまへんでぇ」
「いいえ、鳥ではございません」
「それでは、なんですのん」
「に……にん……人間です」
私がそういい切ったときの父の顔といったらなかった! 深い失望と激しい抗議の表情がありありと見え、やおらいい返そうとするのを、私はこれ以上ない悲愴な顔を作って見せつけてどうにか制したのだった。
「ほう、人間。なるほど、人間ね。ほな、人間がここに新たな飛行方法を皆に披露すると、そういうわけでおまんな」
係員は意地悪く笑うと、ようやく私たちに道を譲った。

鳥人間にとって、人間と断定される以上の屈辱もない。それはこれまで何日と父と過ごしてきた私だから断言できる。父は人間であることに耐えられなかったから、鳥人間の手術を受けたのだ。人間のすべてを軽蔑したからこそ、鳥人間になったのだ。鳥人間という名称は、だから言葉の綾に過ぎず、なんなら父を称するのに「人間鳥」というほうがふさわしいのかもしれず、いっそ人間から遠く離れて「鳥みたようなもん」とか「鳥もどき」とか「とりかへばや」とか「トリンドル」とか「トリス」とか「クリス」とか「トリッパー」とか「バーディ」とか「オアゾー」とか「ヒッチコック」とか、いやもう鳥からも離れて「マトリックス」とか「ザイオン」とか「タキオン」とか「ダークマター」とか「ヴィブラニウム」などと呼ぶほうが父の真意にかなうのかもしれなかった。父はしかし、娘の仕打ちによく堪え、忿懣のやる方なさを腹の底へどうにか飲み込んだようだった。えらい。私は思った。そして父は、それからはひと言も発せず、こちらを一瞥して大きく頷いてから、プロペラタンスを抱え直し、選手の待機するプレハブの別棟のなかへと消えていった。
それが、私にとって父の背中を見送る最後だった。

エントリーナンバー28番。鳥人間、もとい、かつて田中正治と呼ばれた還暦前のしがない元サラリーマンは、プロペラタンスを抱えて桟橋状の滑走路に現れるいなや、観衆の大歓声に迎えられる。いな、大歓声などとよもや聞き間違えようもない、その内実は嘲笑と憫笑と冷笑と、およそ考え得る限りのありとあらゆる罵詈雑言の類、いまや空前絶後の物笑いの種となり、衆人環視のもとその身を晒す父は、しかし道化の孤独とは一線を画した、なにか孤高の存在としてそこにあった。私には、父が輝くように見えていた。
父は行手に広がる夏の蒼穹を傲然と睨みつける。一歩、また一歩と歩を進め、次第に加速するにつれ衆人らはその歩調に合わせて手拍子するが、それも哄笑をともなう揶揄の一形態に過ぎない。腹にくくりつけたプロペラタンスがいかにも邪魔で、ガニ股の父はすこぶる無様に違いなかった。
とまれ、その無様を補うどころか、それによりいっそう引き立てられる塩梅で、雪の白よりなお白い両翼がバネじかけのように一息に左右へスラリと広げられ、その刹那、衆人はどよめいて、言葉を失った。最後の一蹴りで爪先は地を離れ、その軀は見えぬ糸によってぐいぐい上へ上へと持ち上げられたようになり、たちまち均衡を得て、沖から吹く風と同化した。同時に腹にぶら下げられたタンスの抽斗がことごとく飛び出して落下していき、風を受けたプロペラはといえば、いよいよ盛んに回り始める。あたかもプロペラによって推進するかに見える錯覚を観衆に与える、十分過ぎるそれは演出といえた。
父はそのとき風であった。光であった。そして福音そのものであった。赫奕たる陽光をその純白の羽根に纏いながら、ダイダロス=イカルスの神話さえ霞むほどの不遜さを胸にかき抱いて、挑む。
なにへ?
神へ!

その瞬間、紛う方なき銃声が、周囲のシジマを劈いた。二発、三発と立て続けにそれは鳴り、見れば、プロメテウスあるいはルシフェルの再来が、いまやあえなく錐揉みしながら落ちゆく最中である。やがて水面に白い飛沫が小さく上がり、それきりシンと静まり返った。呆気に取られた観衆に向け、メイン会場のMCはマイクでこう告げる。
「……ただいま飛行ルートにおきまして、白鷺が侵入したため、安全面を考慮し、地元猟友会の指導のもと、すみやかに追い出しを敢行いたしました。使用されたのは麻酔銃であり、落下した鳥は然るべく保護されますので、その点ご安心いただきますよう、何卒お願い申し上げます……」

父がのちに引き上げられたかどうかはついにわからずじまいで、せめてタンスの切れ端でもと思って三日三晩寝ずに湖畔をうろついた私だったが、父にまつわる断片をなに一つ拾えぬまま、大会が終幕して四日後に枇杷湖を後にした。



この話の教訓など問うなかれ。一人の、あるいは一羽の鳥人間がいた。それだけでもう十分ではないのか。いや、鳥人間というよりは人間鳥、あるいはもはや鳥でも人でもなく、ただただひたすらに生きる生きとし生けるものすべての悲しみの権化、……そうだったかもしれないのだ。

「悲しみの先に悲しみはなく、悲しみのあとにも悲しみはない」

そういったのは誰だったか。ほかならぬ父ではなかったか。夜更けにひとり静かに酩酊していると、なんだか無性に焼き鳥が食べたくなるのは、私だけだろうか。






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