Gully Boy - ガリーボーイ

ボリウッドもの a.k.a. インド映画は、概ね歌って踊るし、やたら長いという場合が多く、ちょっと敬遠しがちだったので公開から4年経ってインドの”Gully Boy”。

ムンバイのスラム街で家族と暮らす大学生ムラド。ムラドが貧困から抜け出せるように導こうとする両親の思惑とは裏腹に、ムラドは悪い仲間とつるんだり、金持ち医学生のサフィアと付き合ったりと自由に生きることに重きをおくタイプ。ヒップホップが好きで自らリリックを書くけど、人前でラップをする勇気のなかったムラドは、ある日MCシェールのステージを観て感銘を受け、”Gully Boy”としてMCシェール、トラックメイカーのスカイらと共に自分もヒップホップの道を歩むことを決意してあれこれという映画。

あらすじとしては、50セントの”Get Rich Or Die Tryin’”のような”ヒップホップ・サクセスもの”(サクセスにすら至らない”8マイル”は、論外)。が、”Gully Boy”が、他のヒップホップ・サクセスものと一線を画すポイントは、インドという独特な社会、価値観の世界で展開することだ。未だインドの社会の中で通念として残る親、特に父親は絶対という封建的寡婦長制度や完全なる親ガチャ=カースト制度。こういったある立場にとっては、一種”特殊な環境”に暮らすムラドやMCシェール、サフィアたちの物語が、”Gully Boy”なのだ。

ラッパー・Gully Boyとしてヒップホップ的立身出世位を目指すムラドではあるが、実生活においては、父親絶対の家庭で当然のように父親に逆らうことなく暮らし、運転手の息子はどう頑張ったって運転手にしかなれないという社会で生きている自覚を持ち(だからこそGully Boyのリリックは、よりリアリティを持って訴えかけてくる)、また宗教に対しても真面目に寺院に顔を出す一面を持ち合わせている。つまり、ムラドはインドの伝統的価値観から脱却した世界への憧れは持っているものの、その価値観の中でそれなりに上手く立ち回り生きてきたのだ。それは、ムラドにとってのリアルな世界は、ムンバイのスラム街しかなかったからで、そこから脱却する術すら知らなかったからだろう。

またガールフレンドの金持ち医学生サフィアは、インドの伝統衣装であるサリーを身に纏い、親の引いたレールの上を歩むことが正義だと考えるインドの富裕層然としたキャラクターだ。ただし、これは表向きの姿で、彼女もムラド同様インドの伝統的価値観から脱却した世界への憧れは強く持っていることは明白だ(ムラドのガールフレンドだということで、すでにそれは証明されている)。

そんなインドの伝統的価値観の中で生きるムラドやサフィアと対照的な欧米的価値観の中で生きる象徴として位置付けられるのが、トラックメイカーのスカイだ。彼女もムンバイで暮らすインド人ではあるが、アメリカ・ボストンのバークリー音楽院で学んだ経験を持ち、純粋なヒンドゥー語ではなく、かなり英語が混じったをヒンドゥー+英語を話す。もちろんスカイがサリーを身に纏うこともないし、親と同居はしているものの、ペントハウスで実質一人で暮らしている。当然ながらスカイの両親の姿は、劇中目にすることはない。つまり、サフィアとは対照的に”自立した一人の女性”として描かれており、それは、インドの新しい価値観の象徴となっている。

ムラドとスカイが、二つの分断された世界を生きてきたということを象徴しているのは、「音楽が学問なのか?」というムラドのセリフだろう。そして、この二つの分断された世界の中間に位置し、インドの伝統的価値観と外の世界を繋ぎとめる役割を果たすのが、MCシェールだろう。MCシェールは、典型的インド社会の中で中で生きてはいるものの英語を話す外国人の友人がいたり、自立して生活していたりと比較的中立的な存在として描かれている。このMCシェールが、ムラドを(または、サフィアも含めて)新しいインドの価値観へと橋渡しをする重要な役割を果たしているということは、間違いない。

そして、インド映画の代名詞とも言える「みんなで歌って踊って」問題である。これは、インドは国内が過度に他言語化していることにより、全国民が共通言語を持たない為、全国民が理解できるエンターテイメントとして取られた手法だという説もあるらしいが、インド人以外にとってこれは賛否、いや好みが非常に別れるポイントとなる。これがハマる人にはインド映画って最高!となるが、自分も含めてそれ以外の人には、これが大きな壁となりインド映画敬遠しがち問題へと発展する。

もちろん”Gully Boy”もインド国民への「配慮」として「みんなで歌って踊って」は、当然ながら採用している。しかし、そのシーンが採用されるのは、ムラドが新曲を制作するタイミングで、この「みんなで歌って踊って」を新曲のMVとしてしまうというアイデアが、何ともクールなのだ。特に初めてスカイと共作する”Mere Gully Mein”という曲のMVは、曲そのものもさることながらダンスもカット割りもカメラワークも全てが完璧で、”Gully”=路地の埃っぽさや80年代以降ユースカルチャーの象徴の一つでもあるブレイクダンス等々が、かつて”ムトゥ・踊るマハラジャ”で植え付けられたトラウマを払拭してくれるシーンとなっている。インド映画を敬遠しがちな要因であった「みんなで歌って踊って」が、むしろ我々にとってのインド映画の伝統的価値観を上書きする最も重要な要素にしてしまっているという点が、この映画の面白さの一つだ。

"Mere Gully Mein | Gully Boy | Ranveer Singh,Alia Bhatt & Siddhant | DIVINE | Naezy | Zoya Akhtar"
https://youtu.be/pGmbUdf6lEM

ここまで話してきた様に”Gully Boy”とは、「伝統的インド」と「新しいインド」という二項対立を明確化し、前者から校舎へシフトする映画だと言えるだろう。そして、インドの映画って概ねこういうものでしょ?という観る側の「伝統的」価値観をインドの映画にもこういうスタイルがある「新しい」価値観へシフトさせてくれる。それが、”Gully Boy”なのだ。

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