見出し画像

広場と神社は場所が違う

広場といってもそこらへんの空き地のことではなくて、ヨーロッパやアラブ諸国などの都市の真ん中にある広場のことです。日本語では空き地も子供の遊び場もぜんぶひっくるめて「広場」という言葉しかありませんが、外国では広場のありかたによって言葉が違います。街の真ん中にあってどちらかというと円形の広場は「プラザ」、格子状の都市の真ん中や要所にある広場は「スクエア」「パーク」、子供の遊び場は「プレイグラウンド」などと使い分けます。欧米やイスラム諸国、中国などでも、こういった都市の真ん中の広場というのは、人々が集まり、お祭りや世間話をしたり市場が立ったりする、普段の生活に欠かせない都市の一部なのです。

19世紀にハワードが提唱した「田園都市」。中央のパークから放射状に街が作られる。


イタリアで理想とされる都市の中央にはプラザ(広場)があり、近代都市計画では中央に公園(パーク)がある都市が理想とされる。


私が造園設計の勉強をはじめたころは、このことをさして「だから日本は遅れてる」とか「日本も早く西洋の広場の良さを理解すべき」とかいうのがプロの造園デザイナーやプランナーの口癖でした。近代日本の都市計画行政ではこの西洋式の広場の模倣こそが、正しいまちづくりだったわけです。
しかし、日本にも人々が集まり、お祭りや世間話をしたり市場が立ったりする空間はあります。それが社寺の境内です。ただ、境内の形は西洋のプラザやスクエアとは違います。境内があるのは都市の真ん中というよりも、むしろ端で、境内に行くためには参道を歩かなければなりません。人々が日常に使うには都市の真ん中にあった方が便利なはずなんですが、なぜでしょう?実は理由が全くわかっておりません。
この境内がいつからあるのかというと日本書紀にも「斎庭」として登場しており、少なくとも西洋でパークが発明された19世紀よりも千年以上古いのは確かのようです。
理由はわからないけど、生活空間の真ん中には作られないこの境内。合理的に考えると全く不合理です。それでも千年以上、この形式が続いてきたのも不思議です。しかし境内には、参道や社寺林など広場にはない魅力があるのも確かです。

参道があって、境内があって、鎮守の森がある境内こそ、日本文化において人々が集うべき空間であり、これが日本らしさを呈している。


わたしたち人間は、理屈に合わないことでも気にかかり、それをやってしまう存在です。このとき、理屈に合わなくても、理性では説明しきれなくても、なんとなく魅力を感じ、その魅力を表現しようとするなら、そういったものこそ私たちが守るべき「文化」というものでしょう。
境内という存在が理屈に合わなくても、そこに魅力を感じているのなら、それこそが尊重されるべき文化なのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?