キネラボ

映画が好きなシステムエンジニアです。 感想をXで投稿したり、YouTubeに動画を投稿…

キネラボ

映画が好きなシステムエンジニアです。 感想をXで投稿したり、YouTubeに動画を投稿したりしています。 本を読むことや、舞台、ゲームも好きなので、映画以外の投稿も予定しています。 よろしくお願いします。

最近の記事

坐禅をしていて突然訪れた変化

坐禅を続けて、変化が訪れたので記録しておく。 前回書いた記事から幾月も流れていないのに、もう書くのかと。 そう思われた方もいるかもしれない。 しかし、変化は突然訪れる。坐禅に耐えられる時間が10分くらいに伸びたのだ。 前回は3分がやっとであった私にとって、これは劇的な変化なのである。 この変化はどのようにして訪れたのか。 それは、1つの本との出会いであった。 「弓と禅」である。 禅に興味が出てきた私は、その深い深層心理に憧れ、何か学びを得ることが出来る本がないかと、模

    • 誰かを救い、誰かを見限る

      怒りの感情に従うことは、その結果を考えるとオススメできない。 そんな思いから、ある程度のことでは怒らなくなったように感じる。 ただ、どうしても、いつまで経っても怒りの感情が湧く行為がある。 割り込みである。 (具体的には駅で電車から降りた後の、エスカレーターの並びで入り口近くで入ろうとするやつ) 大層な文章の始まりをした割にはせせこましい話である。 まだまだ寛容で優しい人間になるのは程遠いなと、毎朝エスカレーターの前で、ほとほと自分に呆れ返る。 あの行為、色々と自分がな

      • 流水を眺める

        麗らかな春の陽射しの心地よさを感じながら、自然に身を任せ、静かに流れる時間。 最近は自然を満喫することが少なくなったが、私はそのような時間がとても好きである。 仕事で港の近くに行くことがあった。 予定より早めに目的地へ到着したこともあり、何かで時間を潰したいと考えた。 そして、せっかく港に来たので流水を眺めることに決めた。 水面を前に、そんな穏やかな時間を過ごすのが久しぶりであったことを実感した。 仕事の移動中ではあったが、ひとときの安らぎを感じる。 犬の散歩をしてい

        • 自己紹介

          初めての自己紹介をしようと思います。 私は一般の会社員勤めをしている映画好きです。 最近仕事でエンゲージメントやWell-Beingを考える立場になったこともあり、人間の精神的な部分や感情的な部分に興味を持って日々生きております。 そんなところから、ただの映画好きから人間ドラマや文学作品にとても興味を持つようになり、映画から始まり、様々なジャンルでそのような、生き方について学べるコンテンツに手を出しています。 ということで、各ジャンル好きなものを考えてみました。 改めて

        坐禅をしていて突然訪れた変化

          初めて出会う素晴らしい過去作品は全て新作になる

          最近ゲームをしているときに、個人的にだが、衝撃的な体験をした。 1月の末ごろに発売した「龍が如く8」というゲームでの出来事である。ゲームの面白さについても語りたいところだけど、趣旨とは違うので、敢えて断念。 衝撃体験は、ゲームの中で利用されたある楽曲についてである。 椎名林檎の「ありあまる富」という曲について。 この曲は、とても涙腺にくるシーンで流れる。こんな演出卑怯すぎるでしょ。とか感じながら、その神演出にどっぷり浸かることができたのである。至高の時間。 そして衝撃を受

          初めて出会う素晴らしい過去作品は全て新作になる

          坐禅を2ヶ月続けて思うこと

          2ヶ月前に、あるイベントで坐禅の仕方を教わる機会があった。 前から気になっていたので、とても嬉しい機会だった。 そのときに講師の方が言ってくれた言葉が、続けるモチベーションを保ち続けている。 ・1日3分でもいいので、継続が大事です。 ・難しい時は座らなくても良いです。立っていても坐禅は出来ます。 ・坐禅中に、意識が途切れて別のことを考えても良いのです。意識が逸れてしまう自分を許してあげることです。そして思い浮かべた別の考えは、そっと横に置いておきましょう。 要するに 自由

          坐禅を2ヶ月続けて思うこと

          溢れるほど存在する素晴らしい作品たちに私たちはどう向き合うべきか

          最近は観たいコンテンツが溢れかえっている。嬉しい悲鳴である。 新作を追い続けるのが精一杯とかそういうだけの話でもない。 過去の作品にも優れたものは当然多く、それをも体感しようとすると、もう終わりが見えないのである。 例えば最近だと「トールキン 旅のはじまり」という映画をアマプラで鑑賞した。あの指輪物語の原作者の生涯を描いた話である。 史実に基づく映画は好きだし、指輪物語も大好き。そして、主演がニコラス・ホルトとなれば観るしかない。 ひとつのコンテンツを観たい衝動に駆られ鑑

          溢れるほど存在する素晴らしい作品たちに私たちはどう向き合うべきか

          お金や時間をかけると、モノの価値は高まるのか

          「私は本当にその「モノ」の価値を正しく判断することが出来ているのだろうか?」とビュッフェを楽しみ終えたときにふと考えてしまった。 それは思っている以上に満足しなかった自分の感情に気付いてしまったからである。 ひとつひとつの食べ物は思い返せば美味しいし、種類も豊富。お腹もいっぱいになるくらいには食べた。海の見えるテラス席で、ロケーションも素晴らしい。 何ひとつ不満は無くて良いはず。この気持ちはいったい何か。 思い付いたのは、ビュッフェやバイキング形式というひとつのモノに集

          お金や時間をかけると、モノの価値は高まるのか

          思い出こそ人生の分岐点

          「一昨日に食べた夕食を覚えていますか?」 という質問に対してあれー?なんだっけな?みたいな会話をよく聞く。 これは認知症とか、記憶力のテストの意味合いが強いと思うけど 「3年前の今日の夕食を覚えていますか?」 という質問はどうだろう?私なら思い出すのを挑戦する気さえ無くなる。 認知症とかそういうレベルを超越し、普通の感覚なら確実に覚えてないからである。 だが、 そんなすぐに消え去ってしまう記憶が確実にあるのに対し、 今でも強力に残っている幼少期の記憶 というものがある。

          思い出こそ人生の分岐点

          市子と「にじ」と私と娘

          映画「市子」 その映画に登場する市子は、悪魔的な行動を取る。 悪魔的な行動は、正しく生きるための抗いである。 抗う市子を、観客である我々は、ただ見守ることしか出来ない。 責められるわけもなく、慰めることも出来ず、ただ傍観することしかできない。 そんな市子が、悪魔的な行いをした後に歌うのが童謡「にじ」である。 私は「にじ」を希望の歌と解釈する。 私はこの「にじ」が非常に大好きである。 幼少期には、トラや帽子店という子供が楽しめるバンドが大好きで、その人たちが歌ってることも

          市子と「にじ」と私と娘

          世界を変えてくれた映画の思い出

          人生における 映画の立ち位置の変化私にとって映画とは、ただの消費されるエンタメとしての位置付けから、教養、そして思想の次元を高め、人生を彩る存在へと昇華を始めているように思う。 青年期に観ていた映画と言えばもっぱらアクション、ゾンビといった、ダイレクトに視覚にインパクトを与えてくれる。興奮させてくれるものだった。 それらの経験も素晴らしいもので、映画とは画角や演出、映像美により視覚的興奮を与えてくれるものこそ至高である。と強く感じていた時代かもしれない。 それから月日が

          世界を変えてくれた映画の思い出