見出し画像

プーチン大統領の言葉を勝手に解説してみた。

日本のメディアでも取り上げられる程の反響だった、露のプーチン大統領が6月9日に開催された若手実業家との対話集会での「主権を持たない国」は「厳しい地政学的争いの中で生き残ることはできない」という言葉。これに次ぐ程の反響があったのはピョートル1世に関する「ピョートル大帝は偉大な北方戦争を21年間も展開した。スウェーデンから何かを奪ったと思えるが、何も奪ってはおらず、取り返しただけだ」という言葉だ。メディアあるあるの事案だが、やはり文脈から一部が抜き出されており、バズワード化されているため、今回はその文脈の紹介と、これらの発言がなぜこのタイミングでなされたかについて考えてみたい。

プーチン大統領、若手実業家との対話集会

主権を持つ国、持たない国について

では先に、国の主権に関する言葉から。これは、上述の対話集会の開会挨拶の一部で、次の通りとなっている:

❝我々は変化の時代に生きているのは言うまでもない。変化は地政学、化学、技術の面でも起きている。世の中は凄まじい速さで変化している。そんな中、世界のリーダーとしての立場に至っては言うまでもないが、如何なるリーダーシップであれ、それを成し遂げるためには如何なる国家、国民、民族であれ、主権を確保しなければならない。なぜなら、中間構造も状態もなく、国家は主権国家か植民地かであり、植民地を何と呼んでも植民地に変わりはない。
今は何方も傷づけないために具体例は控えるが、しかし、国家もしくは複数国の団体が主権を持って決断できる状態に無ければ、それはある種の植民地だ。そして植民地は歴史的観点から未来が無く、今のような厳しい地政学的争いの中で生き残ることはできない。この争いは今に始まって、それに対して我々は驚いているものではなく、今までもずっとあった。そして露はいつも、世の中の動きの最先端にいた。確かに、我が国の歴史には、後退せざるを得ない時期もあった。しかしそれは力をため、集中して再度前進するためだった。
今までもそうだったが、しかし現在は特に明白になってきているのは、主権がいくつかの要素から構成するということだ。それは、まず軍事・政治的主権であり、このために最も重要なのは国内外政治および安全保障分野での主権的判断力だ。次は、経済的主権であり、それは基本的成長路線において、社会と国家の存続にとって重要な技術の面で誰にも依存しないことを意味する。そして現代世界では技術的主権および社会的主権も極めて重要だ。それはつまり、社会全体の問題の解決に向けて団結する力、自国の歴史、文化、言語、同じ領土に暮らす全ての人々への敬意だ。この団結力こそが成長のための基本要素の一つだ。この団結力が無ければ、全てが崩れる。
これらの要素は基本的なもののみであり、当然ながら他にもある、そしてこれら全てが相互関係にあるのは明らかだ。そして、これらの順番を変えても差し支えない。なぜなら、お互い無しでは何れも存在しないからだ。技術力、技術的主権無くして如何にして安全を保障できるのか。それは不可能だ❞。

その後プーチン大統領は、いくつかの事例を交えて、各主権の要素についてより詳しく語っている。

「大統領を信頼する。主権に向かって!」と書かれているプラカードを持っている女性

ピョートル1世について

次に、朝日新聞が騒ぐピョートル1世に関する発言を、朝日新聞より若干網羅的に紹介したい。この話しも、前件同様、若手実業家との対話集会の開会挨拶の一部だった。これは比較的短いため、以下全文:

❝先程、ピョートル1世の誕生350周年に纏わる展示会を訪問した。驚くことに、その時代と今とで何も変わっていないことに気づかされた。例えば、ピョートル1世が21年間も闘い続けた大北方戦争。一見、スウェーデンと戦争し何かを拒絶していたと思われがちだが、彼はなにも拒絶しておらず返還していた。間違いなく。サンクトペテルブルクが設立されたラドガ地域の全て。彼が新しい首都を築いたとき、欧州では誰もこの地域をロシア領として認めず、スウェーデン領として認識していた。しかしこの地域には古代からフィン・ウゴル系民族とともにスラブ人も住んでおり、実質的にロシア支配下にあった。西方面でも同じく、ナルヴァを始めとする初期攻勢辺りはその類だ。なぜそこまで行ったか。返還と強化のためだ。
どうやら我々の世代も返還と強化が運命の様だ。我々は、露に暮らす全ての民族が用いる文化的価値観を基礎とし、これらの価値観こそが我々の存在の基盤であるという事実を認識できれば、我々は直面する全ての課題を確実に解決できる❞。ここまでだ。

発言のタイミングに注目

次に、これらの言葉の本来の意味を勝手に分析してみたい。
まず、無駄な発言をする趣味は無いプーチン大統領がこの様な話しをこのタイミングでした理由は何か。いくつかあるとは想像できるがここではその中から二つ、露国内に向けてのメッセージと国外(特定の相手)に向けてメッセージとして軽く分析してみたい。まず国内から。

ロシアの日
今回の対話集会は6月12日祝われる「ロシアの日」を目前にして開催された。ではこの「ロシアの日」とは、何を祭る日なのか、まずこれを理解する必要がある。これを理解すれば、プーチンの主権に関するメッセージの本来の意味を理解出来るのではないだろうか。6月12日とは、露ソビエト連邦社会主義共和国(略:RSFSR)の国家主権宣言書を同RSFSR国民議員第一回集会が可決した日だ(1990年)。歴史を辿ると、1917年11月15日も「露人民権利宣言書」というモノが既に可決されている。当宣言書は否決されていた訳でもなく、つまり、ソビエト連邦ではなく露単独の主権に言及する書類の必要すらなかった。1990年6月12日に可決された書類は、ソ連崩壊の書面化だ。プーチン大統領からしてみれば、6月12日は、祝う日ではなく、本当はきっと悲しむべき日であろう。1990年6月12日から、露が主権どころか英米の属国になり始めた日だ。それから少なくとも2000年(プーチン大統領就任)までは英米にとって一方的に有利な条件で露の資源を吸上げ、国民を貧困化させた時期だと見ているのだろう。
この日を目前にして、一見門違いとも思える場面での主権の話しをこの経緯を踏まえてプーチン大統領の発言を見ると、まだ露が完全に主権を手に入れていない、主権を手に入れるための戦いを続けている、そのために国民の団結と協力が必要だ。こういう呼びかけなのではないだろうかと当方は受け取った。
一方、名指しこそは避けたものの、ある種の植民地だとプーチン大統領が認定している国はどこなのか。これは各自の想像に委ねることとしたい。

 フィンランドとスウェーデン
当然ながら対外的なメッセージも込められていたに違いない。
最も分かりやすいのはピョートル1世がスウェーデンと闘った大北方戦争だ。これはスウェーデンが同国史上初とも言える残酷なの敗北を期した戦争だった。この戦争の時はもちろん、まだフィンランドという国は存在すらしなかった。
面白いのは、プーチン大統領の上述の発言の直後、フィンランドのニーニスト大統領が当日予定していたスウェーデンのカール16世グスタフ王との会食を急遽取消、急いでヘルシンキに戻ったという流れだ。もちろん、プーチン大統領のスピーチ会食予定の取消は全く無関係だと主張する一方で、そんなニーニスト大統領は、フィンランドはスウェーデン抜きでNATOに加盟しないと公言した。そして、NATOのストルテンベルグ事務総長も、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟に対して難色を示しているトルコの主張も尊重すべきだと言い始め、トーンダウンと受け取れる展開となってきている。やはり歴史をきちんと学び、正しい判断をしたと言えるのだろうか。これからも注目していきたい。

スウェーデン国王夫妻(左)とフィンランド大統領夫妻(右)

終わりに

以前の投稿でも言及した様に、露はまだ完全なる主権国家ではない(プーチン大統領は何と言おうと)。そんな中、様々な手段を講じ、現時点で可能な範囲で前進し、自国の未来を作るしか手段は無いのだろう。それは露とは程度が違えど、日本も同じだ。米の属国状態から一気に脱せないので数世代にわたり主権を手に入れるしかないと考える。そのためにはやはり国民の団結力、強い意志が必要なのではないだろうか。

これ以上言いたくないため、今日はここまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?