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幸福日和 #097「円く考える」

普段どのような形に囲まれているか
身近なものを冷静に眺めてみる。

四角いテーブル。
曲線的な花瓶。
直線的なマグカップ。

普段はあまり意識していないけれど、
多くの形に囲まれていることに気がつく。

そして、
見えないところで、そうした一つ一つの形に
影響されながら生活をしているのだとも感じる。

そんな中で、
身近なものの形を少しだけ違う形で眺めてみると、
いつもの日常が少しだけ変化するかもしれません。

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僕がまだ故郷にいた頃、
ある時、祖父の思いつきで
家族で囲んでいた四角いダイニングテーブルを
「円いテーブル」に変えたことがあるんです。

それは、
東南アジアのものらしく、
知り合いの道具屋さんから譲り受けたもの。

木目の表情がきめ細かで、
丁寧に手入れをしながら使っていたらしく、
優しい雰囲気が感じられるテーブルでした。

「四角いテーブルは角もあるし、
座るとこが決まってしまっていかん」

そんなことを言いながら、
家族一同、祖父の思いつきに戸惑いながら、
四角いテーブルから「円いテーブル」を囲む
毎日を過ごすようになったんです。


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テーブルの形を、
四角から円型にかえただけなのに、
不思議なことが起こりました。

家族の生活のしかたや
一人一人の時間の向き合い方が変わったんです。

今までは当たり前のように、
四角いテーブルの上座には祖父や父が座り、
僕も母も祖母も、毎日同じ場所に座っていた。

ところが、円いテーブルになってみると
そこには、そもそも上座という概念がないんですね。
皆その時の気分によって感覚的に座るようになったんです。

父はいつも経済新聞を読んでいたから、
時間によって、季節によって、
日差しが入り込んでくる場所を選んで座るようになったし、
僕は、どの場所というよりは必ず祖母の隣に座った。
母は皆が座った後に、
家族の顔が見える場所に腰をおろした。

その日の気分で
家族が思い思いの場所に座る。

机を丸くするだけで、
こんなにも家族の関係が変わるものかと、
不思議な感覚を覚えていました。

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いつか、祖父と一緒に京都のお寺の茶会に行った時、
そのお寺の玄関の窓も
「円い形」が印象的でした。

家でもカフェでも、
いつも見慣れていたのは四角い窓。

お寺の円い窓に戸惑いながら、
そこから景色を覗いてみると、
風景と自分が一体になったかのような不思議な感覚になるんです。

窓の形も、四角から円に変わるだけで、
こんなにも印象が変わってしまうのかと思った。

その時の不思議な感覚があって、
実は、この孤島の家にも
ひとつだけ円い窓があるんです。

そこから差し込む日差しは、
朝日のグラデーションも夕日の輝きも、
柔らかく室内に入り込んでくるんです。

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日常を見渡してみると、
いろんなものが角張ってはいないかと
思うことがあります。

その理由を深く考えてみると、
ビジネスや生産上の都合だったりすることも多い。

スタイリッシュな美しさもいいけれど、
生活の身近なところには
いつも柔らかさが欲しいと思う。

もう少し柔らかく、円く、
物事を眺めてみてもいいのではないか。

そんなことを考えながら
円い窓から差し込んでくる孤島の光を
今日も受けとめながら物思いに耽っています。

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