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「話せる」は、「話しかけてもらっていた」ということ。

#20240104-333

2024年1月4日(水)
 「え?」
 ノコ(娘小4)が怪訝な顔をした。
 「ママ、もう一回いって」

 「ノコさんが喋れるようになる前の赤ちゃんのときに、もし英語を話す国で育ったら英語を話すようになるよ」
 「どういうこと?」
 「赤ちゃんはたくさんたくさん話しかけられて、言葉を覚えるんだよ
 巨大なハテナマークを浮かべた頭がぐぐぐっと傾いていく。
 「英語の国で、ずっと英語で話しかけられたら英語を話す。もし日本語で話しかけられたら日本語を話すしね」
 「英語の国の子でも?」
 「英語を聞かせないで、日本語だけを聞かせていたらそうなるよ。聞いたことのない言葉は話せないでしょ」
 こちらも首を傾げたくなる。ノコは言葉を覚える過程をどのように理解しているのだろう。
 「そうなの?」
 「そうなのよ」
 神妙なノコの顔に思わず吹き出しそうになったが、なんとか堪えた。

 「ノコさんは、赤ちゃんのときにたくさんの大人がたくさん日本語で話しかけてくれたから、日本語を話せるようになったんだよ。大人はね、赤ちゃんが返事をしてくれなくてもいっぱい話しかけるの。お腹空いたの? ミルクがほしいのかな? オムツ取り替えようねって」
 「ふーん」
 どうも納得できないようだ。
 「ノコさんを産んでくれたママも、赤ちゃんのお家(乳児院)の人たちも赤ちゃんだったノコさんにきっとたくさんたくさん話しかけてくれたんだと思うよ。だから、ノコさんは日本語を覚えた」
 ノコの体がぐらんぐらんと左右に揺れだした。私の言葉を脳に収めようとしているのだろうか。
 ノコとの交流がはじまるまで、私たち夫婦は乳児院で「抱っこボランティア」をしていた。乳児を抱っこして、抱っこして、抱っこするボランティアだ。CDプレイヤーからはオルゴールの音色の子守歌が流れていた。ほの明るいベビールームでミルクの香りのする赤ちゃんを胸に抱き、たくさんたくさん話しかけた。赤ちゃんの体にトントンとリズムを送っていると、どこからか睡魔がやってきた。
 「ノコさんはさ、赤ちゃんはどこで言葉を覚えるんだと思ったの?」
 「……幼稚園とか」
 幼稚園!
 「学びとる」のではなく、今、小学校で触れている英語のように「教えてもらう」という感じだろうか。

 「耳の聞こえない人でも話せる人もいるじゃん」
 体を揺らしながらノコが問うてきた。
 「それはきっと聞こえていたんだけど、病気や事故で途中から聞こえなくなった人じゃないかな。前は聞こえていたし、喋れていた人。喋れていたときの記憶を使って声を出してるんだと思うよ」
 「じゃあ、生まれたときから耳が聞こえない人は喋れないの?」
 ろう者が身近にいないこともあり、知らないことが多過ぎる。
 「喋れる人もいると思うよ」
 「どうやって覚えるの。聞こえないのに」
 「例えば、口の形をこうして、こういうふうに息を出したときの音は『あ』だよ、とか教えてもらって、いっぱい練習するのかもね」
 「ふーん」
 私の説明が下手だったのか、腑に落ちた顔ではない。
 「ノコさんはたくさんたくさん話しかけてもらったんだよ。言葉が話せるようになってよかったね」
 語彙は多くないが、これから増えていくだろう。
 私ももっとノコにわかる言葉で、そしてちょっと背伸びした言葉でたくさん話すようにしよう。
 まだノコは理解してではなく、言葉のニュアンスに反応しているときが多い。
 口調や状況から善意や悪意を瞬時に読み取る勘はすごいが、どこをどう解釈すればと頭が痛くなるほどトンチンカンなときもある。
 もっと、もっと、もっと。
 たくさんお喋りができるよう、ノコの言葉コレクションを増やしてもらわなくちゃ。

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