子どもが自身の体調を言語化することの難しさ。ともに生きた月日の少なさが里親は心細い。
#20230602-124
2023年6月2日(金)
朝。
起きてきたノコ(娘小4)が居間のソファーに丸くなり、「お腹が痛い」という。
そういえば、昨日の朝も登校直前にそういったことを思い出す。だが、確かめる間もなく、ノコが玄関ドアを開けて出ていったのでそのままになっていた。早退もせず、下校後は元気におやつも夕飯も食べたので気にしなかった。
おとといも習い事の帰り道に腹痛を訴え、自転車をこげないといい、慌てに慌てたが、帰宅したら「お腹空いた」とバクバク食べだした。
ノコの腹痛を軽視するわけじゃあないが、よくわからない。
これはむーくん(夫)にも通じる。
私は幼い頃から体が弱く、頻繁に体調を崩していた。熱もよく出したが、お腹もよく壊した。とにかく体の調子が悪いのが常で、いつしか自分の体の内側に注意を向けるようになった。
これはこのあいだの痛みと同じズキズキだから、温めたら楽になるはず。
これはいつもと違うからママにいわなきゃ。お医者さんに連れていってもらおう。
この体のずしりとした怠さだと〇日くらい寝たら、よくなって学校に行けるかな。
経験の数が言葉を豊かにする。
たとえば、あたたかい土地の人は「雪」を「雪」としか表現しないが、雪深い土地に暮らす人は「雪」を「ぼたん雪」「細雪」「粉雪」「餅雪」「三白「雲雀殺し」と状態や降る時期によってさまざまな言葉でいい表す。
ノコの場合は、幸いなことにあまり体調を崩さないし、まだ9年しか生きていない。
むーくんの場合は、これまた幸いなことに基本頑丈だし、丈夫だと自負しているため体調の変化に気付かないところがある。これは年齢的にそろそろ無理は禁物であり、今まで通りで大丈夫だと過信せず、気遣ってほしい。
性差もあるだろう。
女性はやはり生理があることで、周期を意識して生活することが習慣づいている。こまやかに体の変化、気持ちの変化に目を向けざるを得ない。
さて、ノコだ。
他学年で学級閉鎖もあったため、病気の線も外せない。もう少し具体的に状態を知りたい。
腹痛といっても、風邪などによるものから、食べなれない初物の果物をたくさん食べた、布団をはいで寝てしまい冷えた、お腹にガスが溜まって苦しい、排便がスムーズにできていない――それだけじゃあない、学校で体力測定中のため筋肉痛かもしれない。
「お腹の奥のほうが痛いの? それとも皮膚のすぐ下の筋肉が痛いの?」
そう問うてもノコは首を傾げる。
まだいい表す言葉がないのだから、こちらから具体的に例を挙げれば思い当たるものにうなずくかもしれない。
だが、次の壁にぶつかる。ノコの返答をまっすぐ受け取ってはならない。
ノコが私の言葉を自分の体に重ねて、「それは違う」「そうなの、それ」と実直に返してくれればいいがそうとは限らない。
尋ねれば尋ねるほど、
だんだん答えるのが面倒くさくなって、適当に返す。
「それ」といえば、ママが心配して甘やかしてくれるかもしれない。
病気だったら「寝てなさい」といわれ、遊べなくなるかもしれない。
病気だったら、嫌いな病院へ連れていかれるかもしれない。
よくわかんないから、いいたくない。
ことこまかく尋ねて体調がよりわかればいいが、人間対人間だとそこに思惑がからむことに気付く。
うーん。
こういう問診こそ、AIで対応すれば淡々と双方感情を交えずできるんじゃないだろうか。
すぐ不貞腐れるノコを相手にたくさん質問するのは難しい。
言葉を発しない赤ちゃんの頃から育てていれば、元来の体質や親側の育児経験数でわかるかもしれない。
私は子育てそのものがはじめて。
ようやく親歴4年と経験も浅い。
ぐったりしたり、顔が赤かったりすれば見てもわかるが、漫画やTV、遊ぶほうが優先のノコは邪魔されたくなくて体調をごまかすこともある。
隠せているあいだは、たいしたことないのかなぁ。
ノコの様子をちらちら窺いながらそう思う。
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