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モリー先生へ。どうぞ見守っていてください。

#20230720-172

2023年7月20日(木)
 昨日に引き続き、今日も本「モリー先生との火曜日」について触れたい。(※ この本のあらすじについては昨日の記事 喉元過ぎれば、咳も忘れる。参照)

 読み進むうちに、モリー先生が小鳥の話をするページで手が止まった。

 あぁ、出典はこの本だったのか!

 かつてこの本を紹介していたWebサイト(※ さとなお(佐藤尚之)氏のnote「今日なのかな、小鳥さん? 今日かい?」、および オサニチ第35回)の記事を読んだことがあった。ちょうどこの小鳥が出てくる章について書かれていた。記事は読んだものの、私は「モリー先生との火曜日」まで読むことはなかった。
 驚くほど鮮やかに当時のことがよみがえった。

 モリー先生とミッチが「死」について語り合う。
 誰でもいずれ死ぬことがわかっているのに、それを信じていない。もし信じているなら、今やっていることではないことを考え、実行するはずなのに、日々自分自身をだましながら過ごしている。生きている間に、いつ死んでもいいように準備することで、はるかによい人生を過ごすことができるはずなのに。
 ミッチが死ぬ準備の方法をモリー先生に問う。

「仏教徒みたいにやればいい。毎日小鳥を肩に止まらせ、こう質問させるんだ。『今日がその日か? 用意はいいか? するべきことをすべてやっているか? なりたいと思う人間になっているか?』」
 モリーは、実際に小鳥がいるかのように、ぐるりと首を肩のように向けた。
「今日が、私の死ぬ日かな?」

「モリー先生との火曜日」ミッチ・アルボム 著/別宮貞徳 訳(NHK出版)

 かつて私が読んだWebサイトの記事の書き手であるさとなお氏は、毎朝のようにこの言葉をベッドの上でリマインドするという。「疲れた自分を奮い立たせるために」「さぼりがちな心を引き締めるために」「物質的なものに引きずられがちな自分を戒めるために」、そしてなにより「自分だけの『たぶんたった一回の人生』を楽しむために」今日できることはすべてやろうと思うのだと綴られていた。

 私がこの記事を読んだのは、里子であるノコ(娘小4)が我が家に来る前、私たち夫婦が里親になる前だった。
 当時の私は「今日一日!」と心のなかで叫んだ。
 これが一ヶ月あるのなら、逆算して「今日できることを存分にしよう」と思うが、一日となると話は別だ。
 私なら、まずむーくん(夫)に会社を休んでもらう。そして、ただただむーくんに抱きついてからまって過ごしたい。その体温と匂い、その声を存分に満喫したい。死んだらどうなるのかは知らない。魂というものがあるのか、私の記憶の類がどうなるのか、わからない。でも、最期さいごの最期まで心身にむーくんを刻みつけたいと思った。
 もし私が毎朝ベッドで小鳥に問いかけていたら、それで一日が過ぎてしまう。
 もちろんこの話が心意気の話であることはわかっている。そのくらい「死」を身近において生きれば、「いかに生きるか」から逃げずに、ごまかさずに向き合うことができる。

 この本だったのかぁ……
 改めて天井を見上げて、自問する。
 「小鳥さん、今日が、私が死ぬ日かな?」

 ダメだ。笑ってしまう。
 自分の変化がおかしくてたまらない。
 あれから私たち夫婦は、里親登録をした。幼稚園年中児のノコを紹介され、交流に約1年掛けたのち、児童相談所から正式委託された。丸4年経った今の私は……のんきにむーくんに抱きついていられなかった!
 むーくんには結婚してから私が管理している大事なあらゆるものがどこにあるのか伝えねばならない。もちろんたくさんの「愛してる」も。
 ノコには、あぁ、山ほど伝えたいことがある――寝不足は体にも心にもよくないからしっかり寝ること、食事は好き嫌いせず食べること、髪を洗うときは丁寧にシャンプーやリンスを流すこと、パパのいうことに耳を傾けること、礼儀正しさは巡り巡ってあなたのためになること、悪いことは人が見ているからしないのではなく、自分の良心にそむく行為だということ、他人ひとは他人で、自分は自分であること。
 違う、違う、違う!!!!!
 そういうことも大事だけど、大事だけど、もっと大事なことがある。

 あなたには私のいうことは、ただの小言にしか聞こえなかっただろうけど。
 私のかわいいデコちゃん、デコデコちゃんのノコさん。
 よく聞いて。
 ママはあなたのことが大好きよ。

 思わず、目頭が熱くなってしまった。どうも年を重ねるにつれ、涙腺がゆるくなっている。
 ひとり自分の「死」に思いを馳せ、しっとりしていたら、背後で漢字ドリルをやっていたノコがゆらゆらと上半身を揺らしながら叫ぶ。
 「ママァ、やんなきゃダメェ? 私、書くの面倒くさくて嫌いなんだけどー!」

 家族についての章でモリー先生はこう語る。

「子どもを持とうが持つまいかときかれたら、どうすべきだとは決して言わないことにしているんだ」モリーは次男の写真に目をやりながら語る。「ただ、『子どもを持つのと同じような経験はほかにないですよ』とだけは言う。ほかに代わりはないんだ。友だちも恋人も代わりにならない。ほかの人間に対して完全な責任を持つという経験をしたければ、そして、この上なく深い愛のきずなをいかに築くかを知りたければ、ぜひ子どもを持つべきだね」

「モリー先生との火曜日」ミッチ・アルボム 著/別宮貞徳 訳(NHK出版)

 モリー先生。
 どうやら私の場合、まだまだ――最期のときまでかかりそうです。
 それでも、いつか「深い愛のきずな」を私たち親子も築けるよう、どこかわからないところから見守っていてください。

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