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価値について考える

※自分が一体、何が知りたいのか?  どこにたどり着きたいのか?  わからないままにただ思考を進めるだけの、答えのない文章です。


草花の写真を撮るときに、「撮りたいな」と心が感じるままに撮影するのは創作だと思う。

でも「この花はまだ撮ったことがないな」という動機で撮るのは創作ではなく、ゲームや仕事に近い感覚がある。

ゲームと創作の違いはなんだろう。

「ゲームはわるいもの、創作はいいもの」というステレオタイプの毒気がまだ残っている。うんざりするが、違いをはっきりさせるにあたって、自分のなかにある差別的な感情は目印としてわかりやすい。だからあえてそのままこの感情を使って思考を進めていく。

ゲームは消費だが、創作は何かを生み出す。何を? 価値をだ。

ゲームは価値を生まない。いや、配信して価値を生む人もいる。狩野英孝も「ゲームしながら実況もやってるとちょっとお笑いの仕事をしてるような感じもあって罪悪感がない。実況やっててよかった」といっていた。

でもスマホのゲーム、あれはだめだ。どう理屈をこねても「価値」を見出せない。

僕はゲームが好きだ。何なら創作より好きだ。でも、ゲームばっかりしている自分には罪悪感を感じる。でも文章ばっかり書いている自分は、ゲームばかりしているよりは自分を認めてあげられる気がする。

「価値」を生み出すか生み出さないか、が分かれ道のようだ。

では次に、「価値」というものについて考えてみる。価値ってなんだ?

か‐ち【価値】 
その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。「読む—のある本」「—のある一勝」
経済学で、商品が持つ交換価値の本質とされるもの。→価値学説
哲学で、あらゆる個人社会を通じて常に承認されるべき絶対性をもった性質。真・善・美など。

デジタル大辞泉

無人島で独りの自分を想像してみる。食物は最も価値があるだろう。太陽の光も生きるために必要だから価値がある。このあたりは「役に立つかどうか」という定義1の価値だ。

でもいま検討したいのは、人によって評価が異なる価値だ。お腹いっぱいのときにふと目にした花の美しさにまつわる価値のほうだ。この花の価値は人によって違うだろう。僕が好きな花と妻が好きな花は違う。これは3の定義に近そうだ。

1であれ3であれ、「ほしい」「おれも!」となると2の価値が生まれる。交換が可能になる。値段がつく。2の定義が生まれる。

やはりまずはお金をベースに考えるのがいちばんわかりやすそうだ。

ゲーム実況でお金を生むことはできる。でも多くのゲーム実況者は収益化はできていないだろう。でも、彼らはゲーム実況を続ける。続けるからにはそこにお金以外の価値を感じているはずだ。

そこには第一に「いつかお金になるかもしれない」という可能性への期待がある。値上がりすると期待して買う株と同じだ。

そして第二に、「楽しんでくれている人がいる」という喜びがある。投げ銭してくれなくてもいいねをくれたら嬉しい。コメントをくれたら嬉しい。無言でも何人かがずっと見てくれていたら嬉しい。もっと楽しませたいと思う。つまり実況者は「価値」を受けとっている。交換経済が成り立っている。

僕らは他者を楽しませたり、喜ばせたりできたと感じると気持ちがいい。そしてまたやりたいと思う。つまりこの気持ちよさは報酬だ。

しかし、誰かを喜ばせようとして何かをしても、いつでも必ず同じテンションで喜んでくれるわけではない。そして前ほどには喜んでもらえなかったとき、僕らはがっかりする。

このがっかりは、報酬を期待していたのに得られなかったとき生じる感情だ。そしてこれはもちろん「お金」についても言える。おもったよりお金を稼げなかったとき、ぼくらはがっかりする。

価値が得られるだろうと、期待してしまうということ。ここになにかポイントがあるような気がする。

読みたい本がたくさんあります。