見出し画像

呪術廻戦の哲学

呪術廻戦の「生得領域」や「領域展開」といった概念は、人間の精神構造と社会構造のメタファーとして秀逸だなと思う。実際、僕らは心のなかに、誰にも聞かれることのない言葉を話したり、誰にも見られることのない映像を流したりできる空間をもっている。誰からも干渉されることのない、どこまでも自由で無限に広がる領域だ。

現実世界はどこもすでに、誰かが領域展開を済ませている。僕らはいつも誰かの領域のなかで生きているわけだ。たとえばXはイーロン・マスクの領域だ。Xのなかでは彼の決めるルールは絶対で、彼の術式(命令)は必中だ。だからXの中で僕らは、彼の機嫌を損ねない限りにおいての自由が許されているにすぎない。

こういう風景は昔からずっと、どこにでもありふれていた。
・いつも誰かの領域展開のなかにいること
・誰かにとって有利なルールを強制されていること
これらのことに気づいておくだけでも、この世界はけっこう生きやすくなる。「いまの自分は、誰の顔色を伺っているのだろうか?」

どんな領域に巻き込まれようとも、自分の精神世界は死守しなければならない。また呪術廻戦でたとえるなら、強者の領域展開にけっして侵されることのないように「簡易領域」を保ち続けることだ。

ルーン=バロットのように、「殻にこもる」ということとはニュアンスが少し違う。精神的、肉体的にひどい苦痛のなかにいるときに、自分の肉体から精神を切断する能力が彼女にはあった。そうして彼女は自分の精神を現実から守っていた。

心を守る、ということを考えたとき、僕はいつも『夜と霧』の言葉を思い出す。人間が過酷な世界を生き抜くために必要なものは、問いかけだ。

「人生は自分に、何を求めているのか?」

自分の心の中を他者に侵犯されないようにすること。自由を保つこと。世界が、肉体がどんな過酷な環境に曝されようとも、僕らの心は肉体に起きるイベントとはなんの関わりもなく存在し続けている。どんなことがあっても、自分の自由な精神世界は揺るがない。その確信があればこそ、僕らは精神世界のなかで自由に遊ぶことができる。監獄の中で愉快に遊ぶアンディのように。

そして自由であるとき、初めて聞こえてくる声がある。自由とは、その心の声に「従いたい」という意志のことなのだと思う。


領域展開、簡易領域
ルーンバロット『マルドゥック・スクランブル』
『夜と霧』
アンディ『ショーシャンクの空に』


読みたい本がたくさんあります。