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自分が尊敬する人の共通点に思いを巡らせる

最近、尊敬する人たちのことをよく思い浮かべる。そのおかげだろうか、嫉妬や自己卑下で苦しんだり、思い出しては苛立ちが抑えられない、といったことに時間を奪われることが少なくなった。

そのような発作が心身に広がりそうになったときにこそ、かれらのことを考える。

「自分が尊敬するかれらも、こんなことを考えたり、感じたりするのだろうか」
「もちろん同じ人間なのだから、いやな思考や感情が頭をよぎることはあるだろう」
「でもかれらはきっと、それをいつまでもしがんだりはしないはずだ」

などと思いを巡らせる。そのうち怒りを孕んだ思考の塊が、少しずつ僕のワーキングメモリーから押し流されていく。いつのまにか頭のなかは好きな人のことでいっぱいになり、どうでもいい誰かのことをほとんど忘れている。

尊敬できる人のことを思い浮かべるのは心地がいい。
性別が違っていたら恋をしていたかもな、と思える人。この人に何か頼まれたら、喜んで全力で応えちゃうな、と思える人。身近な人でもいいし、話したことがない人や、歴史上の偉人でもいい。

地位とか実績とかではなくて、人間性に惹かれる人。その人が貧しくても、無職でも、無名でも、もっと若くても、見た目が好みじゃなくっても、同じように尊敬できると思える人。
もしかれに助けを求められたら、全力で力になりたいと思える人。

かれらには共通点がある。かれらは、何か同じものを大切にしているようだ。それを言葉にするのは難しいけれど、たしかにそれはある。

僕にとっては遠いところにありすぎてはっきりとは見えないけれど、それは力強く光を放っている。僕らが暗闇のなかで迷ったとき、進むべき方向を示してくれる北極星になってくれる。

かれらが大切にしているものを、自分も大切にする。何かを決めるときには、かれらと同じように決断する。

「かれらと志を同じくする私は、いまここで何をするべきか?」
「何を言うべきか?」
あるいは
「何を言わないべきか?」

いつもかれらのものさしで考え、やるべきことを決めていくのだ。

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