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初めて父にぶつけた私の”思い”【うつ、不登校、不仲、離婚、大学生】

 うつ病と診断された日から約二年の月日が流れました。受験までにどうにか外に出て椅子に座れるくらいには回復できたので、現役で大学に受験、そして合格し、現在、学生生活を楽しんでいます。

 私の所属する学部は臨床心理学部。所謂カウンセラー・臨床心理士を目指す学生が通う学部だと思っていただいて大丈夫だと思います。(実際は院の卒業が必須なため資格取得する学生は少ないのですが)

 私が目指しているのは、精神障害の方への支援を行う福祉職で、臨床心理と福祉の勉強をしています。

 そのような学部のため、周りの人の自分のうつ病に対する理解や受け入れがすごく早く高いです。教授陣も皆、資格を持ったカウンセラーであり、一年次からゼミがあるので、そのゼミの教授には学生生活に限らず相談することを推奨されています。ものすごく気軽にカウンセリングを受けれる環境です。
 想像もしていなかったぐらいの理想の環境をこの二年で手にすることが出来ました。出来たのですが、どうしても調子を崩してしまう時が定期的にやってくるのです。

 ベッドから動けなくなって、不安に襲われるんです。精神疾患はあまり完治するとは言わないので、そんなものだろうと考えていました。それでも少しずつ良くなっているからと思っていました。

 しかし、私は今年の五月の頭ぐらいから大幅に調子を崩してしまいました。
 原因は、母の浮気というか思いを寄せている人がいると聞いたこと、そして両親ともに本格的に離婚の準備をしつつあることを知ったことでした。

 両親のことは、いつかそうなるだろうと何年も思っていました、母のこともそういうことはあり得るだろうと思っていました。弟の4年の不登校の期間、母を支えたのは父ではなく娘の私で、母が一人ではいれない弱さがあるのを知っていましたから。しかし、私はそれを聞いた時にものすごい憤りと悲しみを感じ、ぽっかりと胸に穴があいたような気分になりました。

 今、なぜそうなってしまったのか考えてみると、自分のした行動が報われなかったことを感じたのと、自分がずっと隠していたけれど強い想いの行き場がなくなってしまったからだろうなと思います。
 
弟は約五年前から不登校になりました。そのことに対して考えが合わず両親は不仲になり、弟のことが理解出来なかった父は弟ともぶつかりました。そして、弟や学校と最もやりとりをし、対応する母は明らかに衰弱していきました。

 姉の私からすると、突然仲の良かった家族が崩壊してしまったように感じました。初めは特にこの現状がしんじられなく、受け入れ難いものでした。
 
 そんな状況に置かれた私は、家族の仲や雰囲気が少しでもよくなるように、母が倒れてしまわないように気丈に振舞いました。父の話も聞き、父と私の関係までもが悪化しないようにしました。学校にいかない弟が受け入れられない父なのだから、勉強はしっかりしないとまずいともっと努力するように努めました。父方の祖母からの母への批判やあまりにも理解のない行動にも耐えました。
 弟の対応、仕事、家事を一心に背負う母の愚痴などを聞き続け味方でありつづけました。そんな生活、そして受験のプレッシャー、昔から強かった自己嫌悪と劣等感により私はうつになりました。
(現在、弟の状態は良好で、通信制の高校に通い、バイトもしています。そしてそれを両親とも受け入れています。)

 これらの行動は、”また家族仲良く過ごしたい”という強い想いから生まれたものでした。しかし、この思いは家族の誰にも言えませんでした。両親は考えが合わず不仲で、母に至っては弟のことを任せきりにし、それどころが悪影響な行動をしてしまったり、自分を責める姑から守ってくれなかった父をもう一度受け入れるというのはものすごく難しいのだと理解していました。でも、こんなにも家族のことを考えて動いた私の願いなのだ、もしかしたら叶うかもと、この頑張りには見返りがこないと割合わないと思っていました。

 なので、母の心変わりと両親の本格的になった離婚準備というのはものすごいショックになったのです。

 サークルの活動も休んで、授業も休んでとりあえず寝込みました。大泣きしました。周りに支えられて、どうにか大学にいけるようにはなり、色んな人に相談をして、色んな事を考えました。もう一度、自分の人生に向き合ってみようと思いました。

 ”言えなかった思い”というのを幼少期から今まで思い出していくことにしました。
 そうすると、そのような思いというのはものすごい数があるということを知りました。
そして、言えないという思いが強いほど、強く思っている気持ちなのだとも気づきました。

『自分の進路を否定しないで』『家族仲良くして』『いとこと比較して私を出来ない子と言わないで』『自分の常識で、何にも考えずに聞かずに私の行動を否定しないで』『私の思いに気づいて』

これらの思いを積み重ねて、ぎゅうぎゅうに押し込んで、どれだけ年月が経っても消化されずに残っていたから、”今”どれだけいい環境を手にしても、その思いが定期的に悲鳴をあげるんだと気が付きました。

 なら、その思いを外に出そうと思いました。

 まず手始めに父に電話を掛けました。父は私が選んだ進路を応援してくれていない、それどころが本当は否定したいんだと思っていました。「自分がうつなのに、そっちに進んで悪化させないと言えるのか」と何回か言われたのと私の今までの進路に対しても少し否定的だったからそう感じていました。
 自分の進路の話、授業の話をしました。尊敬できる教授がいることや私は真剣に勉強をしていて、その上でこういう考えがあるんだよと事細かく言ってみました。
 父は「自分の感性や考え、直観を信じて挑戦できて、やるしかないと思える子だから心配していない」「人を見たりして受け取る情報が多いから、上手く処理できなくなると自分を追い詰めるところがある、けどその感性は大事だし、言葉にならなくても論理的に説明出来なくても信じればいい、出来るものの方が少ないから。素直になった方がうまくいくし、楽だと思う。」と言ってくれました。

 びっくりしました。目から鱗が落ちるような話ばかりでした。父はあまり自分のことを見ててくれていないと感じていましたが、ちゃんと見ていてくれていたし、母とは違う少し遠いところにいるからこそわかってくれていることもあるのだと知りました。『あー早く素直に言っておけば良かったんだ』と感じました。

 そして、父の「いろいろ考えるかもしれないけど、論理より直観派だし、それがすぐれているから、素直なのが一番。」という言葉は、ものすごくしっくりきました。

 素直に本当に思っていることをいうのが苦手で、けれど周りの思っていることや状況や人の影響というのが言葉が無くても感じ取ってしまう子だったので、いつからか「しかたがないこと」「やらなければならない」「代わりがいないのだからしょうがない」と自分の思いに蓋をする癖が出来ていました。これは大学生になった現在もある癖。だから、いまだに調子を崩すのかと合点がいきました。

 素直になるのは、私にとって大事なことである、そして周りはそれを案外受け入れてくれるのかもしれないというのを父との電話で感じることが出来ました。

 長年の思考や行動の癖を直すのは大変です。でもその癖を知れただけでも今、すごく心が軽いです。

 自分の思いを素直に感じ取って、大切にしたいと思います。私の思いとい
うのは、邪魔なものでなくて大切なものですから。

 今年のお盆は少し早めに帰省してみようかな。なんて考えています。


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