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安いニッポンは、豊かさも低迷なのか?

前回の投稿では、日本の商品・サービス価格が他国に比べて安くなってきている状況を取り上げました。物価は「経済の体温計」とも言われます。物価が低迷するということは、総合的な経済力の大きさが低迷しているということです。このことは、GDPの伸びが止まっていることなどと合っています。そのうえで、「豊かさ」の観点からは、少し異なる見方もできると思います。

8月18日の日経新聞で、「日本社会、競争力の在りかは」というタイトルの記事が掲載されました。同記事の一部を抜粋してみます。

かつて世界第2位の国内総生産(GDP)大国だった日本は、米国、中国に大きく引き離されてしまった。1990年代に米国の2分の1を超えた名目GDPは4分の1以下になり、日本の5分の1程度であった中国は日本の3倍を超える経済大国となった。

1人当たり名目GDPでみても日本はG10諸国の中でイタリアと並んで最下位に近く、韓国に急追されている。この指標で2021年の数値を見ると、日本は米国の6割弱となっている。しかし日本に住んで仕事を持ち、子供を生み育て教育を受けさせ、医療サービスを使い、余暇を楽しむ多くの人々にとって、米国の中間層の生活はさほど魅力的には見えないだろう。

一般的な保育園の費用は月千ドルを超え、日本の少なくとも数倍であり、医療費も一般に保険料が高い上に多額の自己負担が必要だ。保険がなければ、虫垂炎で1日入院するだけで1万ドル以上の費用を覚悟する必要がある。

文系大学の授業料も年5万ドルを超え、これも日本の5倍程度となっている。このため、進学のために一千万円を超えるローンを組む学生が多く、卒業後の債務不履行が多発している。国際的な物価比較に入らないことが多い保育、医療、授業料に大きな違いがあり、表面上の所得金額の差が、生活水準に直接つながっていないのだ。

人口を上回る銃が保有され、犯罪歴がなければ簡単に銃を購入できる米国の治安の悪さも生活費に大きな影響を与える。治安が良く公教育の質の良い自治体の不動産は非常に高価であり、不動産価格の1~2%程度の固定資産税も高くなる。固定資産税収の多い自治体は警察官も多く質も良くなり、学校にもお金をかけることができる。これにより富裕層がそうした自治体に集まってくることになる。逆に不動産価格の低い地域の自治体は警察力も低く学校の質も悪くなり、所得の低い層が集中することになる。

日本の社会の長所は、生活の基礎となる医療、保育、教育などのサービスが政府による保険や補助金などにより相対的に安価に提供され、また犯罪率が低く治安が比較的良好に保たれていることだ。こうした広い意味でのサービスは、質を考慮した上で国際比較することが困難で、日本社会の競争力を低く見せていると言えるだろう。

興味深い示唆だと感じます。1人当たり名目GDPという指標で捉えると、日本は米国の6割弱です。この視点でそのまま考えようとすると、賃金も日本は米国の6割弱、受けられるサービスや福祉政策の内容・質も6割弱、という発想をしそうですが、そうはなっていないということです。

日本は国民皆保険制度の国です。その中で、例えば高額療養費制度があります。医療費がかかり過ぎた場合、一定額以上の自己負担がない(超過分の払い戻しを受けられる)というものです。70歳未満で年収約1,160万円(標準報酬月額83万円)以上の場合、医療に係る自己負担は世帯合算で1か月あたり252,600円+(医療費-842,000)×1%までです。それを超えた医療費は、払い戻しを受けることができます。

年収約1,160万円未満の場合は、167,400円+(医療費-558,000)×1%が上限となります。以降、約770万円未満なら80,100円+(医療費-267,000)×1%などと上限が段階的に減っていきます。

例えば、45歳で年収500万円の会社員が病院にかかって医療費が50万円になった場合、上記表の式に当てはめて計算すると自己負担限度額は80,100円+(500,000-267,000)×1%=82,430円となります。

「何日も入院して、月収以上の医療費がかかった。破産するのでは?」とはならないわけです。さらには、民間の医療保険に入って月々保険料を払うことで、この82,430円を自己負担なしにできる人もいることでしょう。

米国ではこのような国民皆保険制度がなく、保険の適用にならない人も多数います。1人当たり名目GDPで日本は米国の6割弱→ならば米国の医療費は日本の2倍弱なのかな、とはならず、1日の入院で円換算140万円以上を払うかもしれないというわけです。米国に関する経済や政治のニュースで、医療保険が争点になることがあります。その際、日本の感覚で見てしまうと、なぜそんなに争点になるのかがわかりません。

上記例を手がかりにすると、保育園も同様です。待機児童など、保育園を取り巻く問題は日本でもいろいろあるわけですが、月十数万円も公的な保育園に払うなどは日本では考えられません。

学生ローン問題も同様です。これも、米国に関する経済や政治のニュースでよく取り上げられますが、日本での感覚をそのまま持ち込むと理解しづらいテーマです。もちろん、日本でも学費の負担は重く、奨学金制度の拡充が叫ばれていて、大切なテーマです。しかし、米国の大学授業料が日本の2倍弱、ではなく、5倍もあるわけです。

さらには、米国社会は、日本より消費性向が高く、収入から貯蓄に回す割合、資産に占める現預金資産の割合が少ない面があります。そう考えると、ほとんどの学生が出世払いのローンを多額で組まないと大学に行けない、というイメージを持つほうが的確かもしれません。そして、即戦力主義の米国雇用では、日本のように学生アルバイトなど簡単には探せないかもしれません(この辺りの事情は、私は詳しくないですが)。

だからこそ、学費も上がってローンの必要額が増えたり、ローンの金利が上がったりすることは、米国の家庭・若者にとって死活問題となると言えます。(費用面での苦労が大きいことで、入学後の学びに真剣という面もあるかもしれません)

そのように解釈すると、GDPや物価指数でじり貧と言われる日本が、総合的な豊かさにおいても果たして同じ結果と言えるのか、大いに疑問がわいてきます。多角的に捉えたうえでの豊かさでは、上位にあるのかもしれません。もちろん、米国の別の面もあり、米国以外の各国はまた違った事情があるわけですので、上記だけでは考察としては不十分ですが、考え方の切り口としてはありだと思います。

以上からは、大きく2つのまとめです。ひとつは、情報をもとに評価するには、多角的な事実情報→解釈→評価→結論のプロセスを的確に行わないと、実態を的確に捉えることができない、ということです。

もうひとつは、「言葉」や「情報の受け取り方」に気を付けたい、ということです。「言葉」や「情報」は、思考に影響し、その結果は行動にも影響します。「経済じり貧」「物価安」「安い日本」などと聞き、そのまま結論に飛んでしまうと、「日本はダメだ」のような思考、何も行動したくない無力感という流れになってしまいかねません。上記は、もっと公平・多角的な考察をはさんだうえで、結論に至るべきだという、ひとつの例だと思います。

<まとめ>
「言葉」や「受け取った情報」から、いきなり結論に飛ばないようにする。

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