右目だけブルー

短編小説です。
気ままに書いてみました。




私の右目は微かに青い色をしている。しかし、それは近くに来て覗き込まないと分からない程度の色合いなので、その事を知っている人間はごく一部だけだ。

なぜ右目だけが青いのかーーその事に気づいたのは不惑になってからである。

写真を撮る仕事をしているので、右目は大事な商売道具だ。右目でファインダーを覗き、左目で被写体を確認する。カメラのシャッターは通常右についているからだ。

はじめは何となく見え難かっただけだったので、ドライアイだとばかり思っていたが。もう年齢的に老眼が始まってもおかしくないのかと思い、近くの眼科を受診した。右目だけが青いことに気づいたのもこの頃だ。
大事な商売道具のメンテナンスだと割り切り、検査を受けた。

「こりゃあ、白内障ですね。手術をしましょう」眼科での見立てはこうだった。

「白内障?」

「まだお若いのに珍しいですね。なあに、三十分でできる簡単な手術ですから大丈夫」

「手術って、そのう、全身麻酔ですよね? 三十分で麻酔はきれるんですか?」

「いや、部分麻酔ですよ、簡単な手術です」

「いやいやいや、私、麻酔無しで目なんかいじられたら、絶対暴れちゃいます」

私が怖気付いてそう言うと、眼科医はしばらく考えて、こう言った。

「うーん。そんなに怖いですか、仕方ないですねえ。じゃあ、大学病院への紹介状を書きますから、そっちでやって貰って下さい」

私はほっと胸を撫で下ろした。眼科の受付で紹介状を受け取って、てくてくと商店街を歩いた。歩きながら、そう言えば何故私の右目が青いのかを聞きそびれた事を思い出した。

確かにうちには白人の先祖がいると両親からは聞いていたが、何故生まれつきではなく、こんな歳になってから青くなったのだろうかと考えた。

白内障は老人がなる眼病だから、きっと眼球そのものが老化してしまったのかも知れない。老人になると瞳の色素が薄くなって青くなる事が多いと聞く。

私は両目がいきなり見えづらくなるよりも、片方ずつ症状が出たのはかえってこ不幸中の幸いかなと思い、家路についた。


割とすぐに大学病院での手術の予約が取れたので、幸いだと思った。意気揚々とはいかなくても、大船に乗った気分で全身麻酔を受けた。

ちなみに全身麻酔は数年の胆嚢摘出以来だった。だからちっとも緊張する事なく、大人しくまな板の鯉になった。

しかし、まな板の鯉は目覚めてから暫くして、板前――ではなく執刀医から意外な質問を受けた。

「あなた、右目を怪我した事があるでしょう?水晶体を支える線が切れていて、手術中に落ちてしまいましたよ。無事に手術は成功して、眼帯も少ししたら外せますが。一体何をしたらこんなになるんでしょう?何か心当たりは?」


私は初めは何を言われているのかがピンと来なくて、暫く黙っていた。

「怪我、ですか? いいえ、そんな酷い怪我をしたら忘れる訳がないでしょう。このところは体中、どこもぶつけるようなドジは踏んでません」


「そんな筈はない。よく思い出して下さい。過去に怪我をしている筈です。そうでなければこんな酷い状態になるわけがない」


私はそう言われてから、暫く考えて、あっと小さく呟いた。


「そう言えば、確かに怪我をしたことはあります。でも、二十年以上前の話ですよ?」

「やはり。一体どうして?」

私はまさかと半信半疑で、自分の記憶を確認しながら、執刀医に事のあらましを話した。

「十九歳の時に、兄に殴られて青あざが出来ました。でも、それならばすぐに失明していたんではないですか?そんなに昔の怪我で、白内障になるものですか?」


「それです、その時の怪我が原因です。何故お兄さんはあなたを?」


私は慎重に言葉を選びながら、十九歳の時の、忘れていた事件をまるで夢の中の出来事を話すかのように、執刀医に伝えた。

「うちは当時。借金を抱えていて、健康保険にも入ってなかったんです。私は当時会社で受付嬢をしてまして。前歯の虫歯が目立つと上司に言われたので、治療の為に自分の分の保険証をこっそり作ったんです。その事がバレて、兄からいきなり殴りつけられました。保険になんか入ったら、居所が知られてしまうと言われて。どこをどう殴られたかは覚えていませんが。少なくとも右目は青あざになったので、次の日は化粧を厚塗りして、あざを隠して仕事をしました」


本当に私にとってのあのいわれのない理不尽な暴力の記憶は、本当に夢の中の出来事のようだった。だから、何の感情も浮かばずに、ただ事実だけを話した。


「酷い話ですね。家庭内暴力じゃないですか。警察には届けなかったんですか? 立派な犯罪ですよ?」


「そうですね、でも兄の稼ぎがなかったら、食べて行けませんでしたから」

私はまるで他人事のように、その事について語っていたように思う。

「お兄さんは今は?」

「会っていないのでわかりません。あの後、割とすぐに家を出ましたから」

執刀医の深いため息が、見えない右側から聞こえた。


私は二日後には退院して、その後一週間くらい、目に水が入るといけないと言う理由で、自分でシャンプーが出来なかった。なので行きつけの美容院で二回程シャンプーしてもらった。その他の日はドライシャンプー剤を使って乗り切った。まだ秋口で、汗をかく事もある時期だったので、多少不快感はあった。

眼帯が取れた後は、眼科で処方された目薬をさすように言われて、面倒ながらも小まめにケアした。

家族とは二十年近く音信不通である。今現在生きているのか、それとも死んでいるのか、私は確認していない。

こうしてぼんやりと思い出そうとしても、自分に家族がいたのかさえもあやふやだ。

白内障の手術後の最初の撮影の仕事で、私は年老いた青い右目でなく、まだ無傷の左目でファインダーを覗いた。やはり見え方が左目の方がクリアである。

この青い右目は、私に家族がいたという証拠になるだろう。決して消える事のない、片方だけ年老いてしまった瞳は少なくとも兄がいた、この世に存在していたというしるしとなって、この先のまだ半分残った人生の伴侶なのだろう。

鏡でよく覗き込めば、青空のようなブルーの瞳が、いつでもそれを思いださせてくれるのだ。

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