見出し画像

『世界妖怪図鑑』 復刊困難⁈十数年越しの奇跡と歓喜

1972年頃から1983年頃までに立風書房から刊行された子ども向けの人気シリーズ、「ジャガーバックス」をご存知ですか?

怪奇系児童書と言われる同シリーズが扱うのは、「格好いいもの」「怖いもの」「ワクワク夢中にさせるもの」…といった、少年たちの興味のど真ん中を射抜くものです。オカルトや怪奇、ミステリー系などを中心に、ミリタリーものや雑学、乗り物、スポーツ、アニメ系などがレーベル化され、約60冊が刊行されました。

さて、このジャガーバックスシリーズ。本の中身を見れば一目瞭然、文字にも挿絵にも遠慮がちな表現はありません。怖い、だからこそ面白い、と言うような振り切った姿勢は、当時の子どもたちを夢中にさせると同時に、トラウマを与えるものでもありました。

中でも、今回取り上げる『世界妖怪図鑑』は、伝説の挿絵画家と名高い石原豪人、柳柊二、好美のぼる、斉藤和明という豪華な顔ぶれが揃い、より一層迫力のある一冊となっています。特に多くの子どもたちに愛され、恐れられたタイトルで、多数の復刊リクエストが寄せられていました。

ところが、同書を含むジャバーバックスシリーズは、長年「復刊困難」と言われていました。本記事では、「復刊困難」と言われた所以をご紹介しながら、同シリーズ、そして『世界妖怪図鑑』の復刊を振り返ります。


2016年に復刊された『世界妖怪図鑑』
『世界妖怪図鑑』より抜粋。左上は石原豪人、他3点はいずれも柳柊二によるイラスト。

ジャガーバックス 人気タイトルの古書を求めて

 復刊版ジャガーバックスシリーズの1冊目が出版されたのは2015年のことでした。同シリーズに最初の復刊リクエストが寄せられたのは2000年。最初にリクエストを入れたファンにとっては、十数年越しの願いが叶っての復刊です。

一定以上のリクエストが集まっていた同シリーズ。復刊の実現に長い年月がかかったのには理由がありました。復刊の底本として必要となるオリジナルの本が手に入らなかったのです。

元の出版社である立風書房がすでに解散していたこともあり、一部機能を引き継いだ現・学研ホールディングスに保管されていたのは巻数が揃いきらない不完全なものでした。しかも、歯抜けとなっていたタイトルは、いずれもリクエストの高い人気のある作品ばかり。シリーズの性質上なのか、図書館に所蔵されているものもなく、復刊のためには古書を探さなければなりませんでした。

ところが、市場に出回っている同シリーズの古書の数は極端に少ない状態。いつ出てくるかも分からない古書を相手に、為す術はありませんでした。

それから、いくばくの月日が流れたある日のこと。
ジャガーバックスシリーズの中でも特に多くの復刊リクエストを集めたタイトルの一つ、『宇宙怪物図鑑』がオークションに出品されました。

しかし、その価格は10万円。突然の出来事とその高価な値段に、当時の復刊ドットコム社内がざわめき立ったことは想像に難くありません。それでも、ようやく訪れた奇跡的な機会を逃す手はありませんでした。

こうして、この本の入手を契機に、ついにジャガーバックスシリーズ1冊目の復刊が実現することになりました。

さらに、この『宇宙怪物図鑑』の復刊は古書市場にも思わぬ変化をもたらしました。復刊されるだけのニーズと価値があることに人々が気付き、市場に出回るジャガーバックスシリーズの数が増え始めたのです。底本の入手がし易くなったこともあり、これ以降、同シリーズの人気タイトル7冊が断続的に復刊。当時子どもだったファンたちの間で静かな熱狂を巻き起こすことになりました。

約50年前の権利者を探せ!

さて、ジャガーバックスシリーズが復刊困難と言われた理由は「底本の入手の難しさ」だけではありません。次なる課題は、作品に関する権利の調査と整理です。

ジャガーバックスシリーズの各タイトルには、執筆者、監修者、複数人の挿絵画家…と、何人もの関係者が存在し、それぞれに著作権があります。しかし、出版からすでに50年以上経った他社刊行の本の関係者を探すことは容易ではありません。さらに、人数が多くなればなるほど、出版契約の合意を取り付ける作業も複雑になります。

幸いなことに、復刊1冊目となった『宇宙怪物図鑑』の関係者の人数は多くなく、権利者を探す上で大きな苦労はなかったといいます。

しかし、『世界妖怪図鑑』の復刊はそう上手くは行きませんでした。

当時、関係者を探す方法として助けになったのが「著作権台帳」。日本著作権協議会が、本の著作者の権利関係や連絡先の調査を目的に、1951年から2002年まで発行していた著作者名簿です。個人情報保護法の施行で現在はなくなっていますが、著作者の本名や住所、電話番号などが記載されており、権利関係を調べるには心強い存在でした。

ですが、この「著作権台帳」に記載がなかったり、情報が変わってしまっていたりすれば、基本的には情報提供を受けて調査するほかありません。『世界妖怪図鑑』の関係者のなかには、親族をたどりながらようやく権利者に行きついた方もいるそうです。

また、結局最後まで連絡が取れなかった関係者もいました。
この場合に利用されるのは、文化庁が提供する「著作権者不明等の場合の裁定制度」です。これは、権利者の所在地不明などのやむを得ない事情で許諾を得られない場合に、権利者に支払われるはずの著作権料に相当する金額を文化庁に供託することによって、著作物の利用を可能にする制度。のちに権利者が現れれば、文化庁から権利者に同等の金額が支払われることになります。『世界妖怪図鑑』では佐藤有文氏、画家の好美のぼる氏について、この制度が適用されました。

権利関係の整理をおろそかにすれば、後々大きな問題になりかねず、何より倫理的な面で丁寧に進めなければなりません。権利者の数も多く、しかも著作が半世紀近く前のものともなれば、尻込みしてしまう気持ちも容易に想像できます。

ですが、そこを一つ一つ解きほぐしていけるだけの経験が、復刊ドットコムにはありました。復刊までにかかった十数年の間の蓄積が、同作の復刊にしっかりと繋がっていったのです。

どこまでOK?表現の問題

底本を入手し、権利関係が整理された後、ようやく復刊の編集作業がはじまります。

しかし、『世界妖怪図鑑』はやはり一筋縄ではいきません。次なる問題は同書内の「表現」です。

冒頭でも触れたように、『世界妖怪図鑑』、そしてジャガーバックスシリーズの特徴でもあり、何よりの魅力となっているのが、子ども相手にも遠慮がなく、激烈な印象を残す文章や挿絵の数々です。

しかし、現代の感覚に照らせば、約50年前に出版された同書の内容は“めちゃくちゃ”なものでした。嘘か本当か分からない記述、過激な表現、グレーな出典の画像など…。もしも今、新刊として出版しようとするなら、各方面からの厳しい指摘はまぬがれないでしょう。

『世界妖怪図鑑』P.84.85
「食人鬼」の挿絵は、実はゴヤの名画「我が子を喰らうサトゥルヌス」。
ローマ神話を題材とした絵画だ。

一方で、こうした本が出版されなくなった現代が健全な社会であるかといえば、必ずしもそうとは言えないはずです。

他者の権利を侵害することはあってはいけませんが、誰もが批評家ともなり得る現代において、通り一辺倒に良し悪しを判断することは、個人の表現の自由を奪いかねません。

結局、底本から一字一句変えることなく復刊した同書。
復刊を担当した編集者の、「いい意味での、昭和のいい加減さを垣間見てほしい」との思いが反映されたのです。

悪意のない“間違い”を真に受けず、あくまでエンターテインメントとして楽しむには、ある種の心の余裕が必要になるもの。そうした遊び心が許容されていた昭和の時代への郷愁もまた、『世界妖怪図鑑』やジャガーバックスシリーズの人気に繋がっていると言えるかもしれません。

かつて感じた温もりを、その手に

さて、ようやく仕上がった『世界妖怪図鑑』。オリジナルと見紛うほどの完成度には多くのファンから歓喜の声が寄せられました。

ぼろぼろになるまで読んでいた子どもの頃を思い出した——。
当時の興奮が蘇った——。

こうした喜びと興奮を感じてもらえたのは、本の中身だけではなく、手に取った時の質感までも再現したからこそ。復刊を担当した編集者は、次のように語りました。

「復刊を待っている方は、子どもの頃に手に取った質感や温もり感をすごく大切にされています。今風のデザインにしてしまうと、そういう方々が記憶しているものが弱くなってしまうので、一分の隙もなく同じ形になるよう、こだわりました。」

オリジナルの本に限りなく近付けるためには、底本を徹底的に観察し、印刷の色味や用紙選び、造本など、本を形作る全ての要素に気を配る必要があります。感覚的な部分も多い中、こうした作業を可能としたのは、やはり、数多くの本を復刊させてきた経験でした。

一度は完成している本を再び出版することは、簡単そうに見えるかもしれません。ですが、その裏側には見えざる労力と、経験があってこそ可能となる、さまざまな工夫が存在します。

そして、そんな苦労を幾度も乗り越え、同書の復刊の実現へと邁進させたのは、「かつて感じた温もりを、もう一度ファンの元へ届けたい」という復刊関係者の想いでした。

“トンデモ本”と呼ばれ、その価値が真面目に語られることは決して多くない『世界妖怪図鑑』。
しかしそこには、人々の郷愁や喜び、そして、その想いに応えようという復刊関係者の執念が集大成されているのです。


■取材・文
Akari Miyama

元復刊ドットコム社員で、現在はフリーランスとして、ものごとの〈奥行き〉を〈奥ゆかしく〉伝えることをミッションとし、執筆・企画の両面から活動しています。いつか自分の言葉を本に乗せ、誰かの一生に寄り添う本を次の世代に送り出すことが夢。
https://okuyuki.info/

この記事が参加している募集

編集の仕事

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?