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我が子への慈しみから広がるもうひとつの芸術

「背守り」とは子どもの着物の背中に縫いつけられた魔よけのお守りのこと。大人の着物の背中にある縫い目には、背後から忍び寄る魔物を防ぐ霊力が宿るとされていた。ところが子どもの着物は身幅が狭いため、縫い目がない。そこでわざわざ糸目を施して魔よけとする風習が、昭和初期の頃まで全国各地で残っていたという。

本展で紹介されているのは、その背守りのさまざまな造形。産着の襟下にわずか3針で糸じるしを縫ったものから、藍染めの端切れを襟下に縫い止めたもの、さらに三色の糸で花束を表したものまで、幅広い。なかには押絵の手法を応用して亀や蝙蝠のかたちを立体化したアップリケのようなものもある。いずれも素朴な手わざだが、子どもの健やかな成長を願う母親たちの慈しみがあふれている。

興味深いのは、こうした手芸の大半が民間信仰と分かち難く結ばれていたことだ。長い紐を垂らした背守りは、子どもが誤って囲炉裏に落ちたとき、神様がその紐をつかんで引き上げてくれると考えられていた。子どもの着物に麻模様の布が多用されたのは、生育が早い麻に子どもが丈夫に育つ願いが重ねられたからだ。あるいは、金沢で「百徳」と言われる着物は、長寿で子孫の多い年寄りや元気な子どもがいる家から貰い受けた無数の端切れを縫い合わせたもの。生命力の弱い新生児に着せると健やかに育つと信じられていた。

そもそも仏教以前の民間信仰にとって、背中は魔物が棲む「うしろの世界」との境界だった。霊魂の不安定な幼子は背中から魂が抜けたり、逆に背中から魔物が侵入したりすることもあったという。だから子どもの魂を着物の中に封印する背守りには、呪術的な力が期待されていたわけだ。

宗教から分離して生まれた近代芸術の基準では、こうした呪術や信仰と一体化した造形は民間習俗として芸術の範疇から排除されてしまう。だが近世以前、子どもの3人に1人は5歳までに亡くなっていた事実を思うと、背守りを単なる民間習俗と考えることはできない。それは母親たちの止むに止まれぬ想いの具体的な現われではなかったか。すなわち、かつての母親たちは背守りによって「表現」していたのだ。

無名性の造形によって有名性にもとづく近代芸術を批判的に相対化すること。かつて宮沢賢治は「職業芸術家は一度亡びねばならぬ」と断じたうえで誰もが芸術家であると謳い、柳宗悦は無名の職人たちの手による陶芸に「雑器の美」を見出した。柳は民衆に交わる工芸、すなわち「民藝」によって、有名性を獲得した反面、生活から離れてしまった近代芸術を批判したのだった。

柳は「美の宗教」というエッセイで、宗教の衰えた現代において新しい宗教は芸術、とくに生活と密着した工芸の中から出現すると説く。いわく、ものがただのものでないと分かるとき、ものの宗教が興るのだ。それが無形の心を追うだけの従来の宗教に代わる、有形のものに即した新たな宗教観だとしても、柳の構想には抽象的なきらいがないでもない。なぜなら柳の提唱した民藝には、背守りほどの心を感知することが難しいからだ。民藝は不特定多数に向けられていたが、背守りはただ我が子のためだけにつくられた。しかし、いやだからこそと言うべきか、私たちはそれらに自分の心を分けることができるのだ。

民藝以上に心を動かす背守りは、近代芸術とは異なる道筋で、私たちを普遍的な価値に導くにちがいない。

初出:「Forbes Japan」(2014年9月号)

展覧会名:背守り 子どもの魔よけ展 

会期:2014年6月5日〜8月23日

会場:LIXILギャラリー

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