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野生の絵画──淺井裕介の泥絵について・弐

「野生の思考」とは、構造主義を提唱したことで知られる、フランスの人類学者、レヴィ=ストロース(1908-2009)の思想を示す主要な概念である。レヴィ=ストロースはアフリカやオーストラリアなどの、いわゆる未開部族の社会調査をとおして、西洋社会からすると後進的で未熟とされがちな非西洋社会に独自の合理性、すなわち「野生の思考」が一貫していることを解明した。たとえばトーテミズムは、ある特定の社会集団と特定の動植物の強い関係性を指す社会制度だが、レヴィ=ストロースは動植物の名前を冠したそれぞれの社会集団のあいだの関係性と、じっさいの動植物の関係性とが合理的に照応している事実を発見したのである。だが、レヴィ=ストロースは「野生の思考」を西洋近代の科学的思考と対立させたわけではない。むしろ、それを西洋近代にも通底する根源的なものとして提示したところに、この偉大なる知の巨人の理論的な要諦がある。それは、野蛮人の特殊な知恵や技術を意味しているわけではなく、文明人の中にも宿る、根源的な「構造」でもあるというわけだ。

なかでもレヴィ=ストロースが文明人にも残された「野生の思考」の具体例として挙げたのが、ブリコラージュである。ブリコラージュとは、直接的には、「器用仕事」を意味する。もともとは球技や狩猟において外れたり迷ったりする非本来的な動きを示す「ブリコレ」という動詞に由来するが、レヴィ=ストロースはこの言葉で「ありあわせの道具や材料を用いて自分の手でものを作る」(レヴィ=ストロース『野性の思考』みすず書房、1976、p22)ことを指した。使い古したもの、あるいは不要となったガラクタを別の目的のために流用すること。つまり、使えるものなら何でも使う、ある種の生存の技術を、レヴィ=ストロースはブリコラージュという言葉で言い表したのだった。現代社会に生きる文明人は、消費社会の論理に完全に包摂されているため、消費することを念頭に置く反面、みずから生産することは想像力の圏外に置いてしまうことが多い。だが本来、人は身の回りにあるものを利用しながら、道具を開発し、衣食住の必要を満たすことで、生存を実現してきたはずだった。たとえば、かつて網野善彦が的確に指摘したように、「百姓」は必ずしも農民だけを意味するわけではなく、本来は農業に限らずさまざまな技術をもった職能を指す言葉だった。自然の中で自活する人びとは、自然にあるものを流用する生存の技術を駆使するという点で、誰であれブリコルール(器用人)なのだ。

もとより、絵描きも例外ではあるまい。現在、絵描きと言えば、たとえば画材店で購入した商品としての絵の具とキャンバスで絵を描くのが習慣化しているが、こうした描き方はせいぜい近代以後の慣習にすぎない。日本画の画材が岩絵の具や膠、胡粉、緑青といった自然物質に由来しているように、そもそも人類は自然という資源をもとに、さまざまな技法を編み出し、それにふさわしい道具を開発しながら、さまざまな視覚的イメージを生産してきたのだった。「近代」というフィルターを外してみれば、絵画や彫刻ですら、ブリコラージュとしての本質があらわになるにちがいない。

じっさい、淺井裕介は明らかにブリコルールである。なぜなら彼は泥絵の描写法を、ありあわせの道具と材料を用いながら、みずから開発しているからだ。まず、土地に眠る土を採集し、それらをそれぞれふるいにかけて粒子を細かくした上で、色や成分に応じて透明なパックに分類する。このパックは食事や工作で使われる、いたって凡庸なものだ。次に、絵の具として使用する際は、パックの中の土を大小さまざまなクリアカップに投入した後、水や日本画で用いられる固着材(アートグルーやアートレジン)と混ぜ合わせる。これで絵の具の完成だ。あらかじめ淺井が支持体に鉛筆で描いていた下絵には、色を指定した記号が記入されているので、制作スタッフは指定された記号と同じ絵の具で輪郭線の内部をていねいに塗りつぶしていくというわけだ。使用する筆も大小さまざまだが、特別な機能が備わった逸品ではないし、高級品であるわけでもない。ごくごくふつうの筆である。つまり、淺井は誰もが踏んでいるはずの土と、誰もが手にしているはずの道具を組み合わせるだけで、あのすばらしい泥絵を描いているのである。

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日常的な画材と道具によって非日常的な絵を描き出すという独自の描写法──。淺井は、その方法をみずから生み出した。美術大学で教えられたわけではないし、師匠から伝授されたわけでもない。コンセプトの切れ味を問うたり、欧米の近現代美術史との接続に熱を入れたりしているわけでもないから、正確に言えば、現代美術のアーティストですらないのかもしれない。だが、自由な表現を謳う現代美術が、じつは歴史的な文脈や業界の作法にがんじがらめに束縛されるという逆説に陥っている現状を鑑みれば、今日のアーティストにとって「現代美術」という冠は必ずしも好ましいものではないのかもしれない。むしろ、淺井のように、ブリコラージュとしての絵画を追究したほうが、結果として現代美術が望む自由な表現や思想を体現しうるのではないか。より踏み込んで言い換えれば、現代美術ですら、本来的にはブリコラージュだったのではあるまいか。

もちろん、ここでいう現代美術とブリコラージュとの関係性は、レヴィ=ストロースが設定した科学的思考と野生の思考との関係性と照応している。レヴィ=ストロースが西洋近代の文明人と未開社会の野蛮人を対比させながら、しかし、前者の中に後者のブリコラージュを見出そうとしたように、わたしたちは現代美術の中にブリコラージュの要素を発見できるだろうし、ブリコラージュの中から現代美術の要素を導き出すこともできるだろう。その重複する領域に位置づけることができる希有なアーティストこそが、淺井裕介にほかならない。

そのことを証明する具体的な論拠が、いわゆる「コンセプト」である。通常、現代美術においてコンセプトは金科玉条のように価値づけられているが、コンセプトは現代美術の専売特許ではないし、ブリコラージュにコンセプトが欠落しているわけでもない。事実、淺井の泥絵には、現代美術が重視するコンセプトが、たしかに存在する。それが、泥の洗い落としである。淺井はつねに、展示が終わった後、水で泥絵をていねいに洗い落とし、水とともに土を同じ土地に返している。つまり、土は土地から採集され、画材としてイメージを構成するが、展示の終了後は、再び同じ土地に還るのだ。近現代の美術が自然と隔絶した美術館の中に収蔵されることで時間を超越する永遠性を志向するのとは対照的に、淺井の泥絵は自然の循環と同期しているのである。だとすれば、それは自然に抗う人工的な「作品」というより、むしろ自然の一部としての「現象」というべきなのかもしれない。天から降り注いだ雨が大地に浸潤し、地下水脈を経由して川に合流、やがて海で蒸発した水蒸気が上昇しながら再び雲となるように、淺井の泥絵はその果てしない循環の過程のうちの、ひとつの現われにすぎないからだ。いや、自然の循環構造にもとづきながらも、わたしたちに他では代えがたい視覚的なイメージをもたらすという点でいえば、それは実り豊かな稲穂やみずみずしい野菜と同じように、「作物」というべきだろうか。いずれにせよ、この自然から生まれ、そして再び還ってゆくというところに、ブリコルールとしての淺井裕介の作品のコンセプトがあることはまちがいない。

しかし、現代美術の「作品」という観念にとらわれている者にとって、淺井のこうした「作物」性を理解することは難しい。ちょうど未開社会の野蛮人を未成熟で非文明的であると揶揄しがちなのと同じように、淺井のようなブリコルールを無邪気で天然、非理知的なアウトサイダーであるとして批判するのである。現代美術という正統な文脈に裏づけられた「絵画」ではなく、趣味的で享楽的な「絵」を楽しんでいるにすぎないというわけだ。だが、こうした批判は淺井の泥絵に内蔵された以上のようなコンセプトをまったく認識できないという点で、甚だしく知性に欠けた批評であると言わざるを得ない。レヴィ=ストロースが言うように、「野生の科学」が新石器時代から連綿と続いているとすれば、せいぜい150年程度の現代美術の歴史を根拠にした批判がいかに浅薄で滑稽であるか、火を見るより明らかだろう。とはいえ、そうした非知性的な批評の根底に現代美術という容易には拭いがたい近代的な価値観があることは事実だとしても、その一方で、かりにレヴィ=ストロースがいう「野生の思考」が、まことに文明社会にも通底する根源的なものだとすれば、ブリコラージュとしての淺井の泥絵は現代美術という近代的な価値観すらも包括する、より原始的な絵であるはずだ。そうでなければ、「野生の思考」はたんなる美辞麗句として、ただただ知的に消費されることに終始するほかないからである。それゆえ重要なのは、淺井の泥絵にはどのように原始的な根源性が表現されているのか、すなわち泥絵に何が描かれ、それがわたしたち鑑賞者にどのように働きかけているのか、泥絵の内容について詳しく検討しなければならない。

[この稿続く]

野生の絵画─淺井裕介の泥絵について・壱

野生の絵画─淺井裕介の泥絵について・参

野生の絵画─淺井裕介の泥絵について・肆

※中国語訳の全文はこちらから

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