コンビニ人間

村田沙耶香「コンビニ人間」 ~人間の本質を痛いほどに思い知らされる~

 主人公であり語り手である「古倉恵子」は、36歳、コンビニバイト歴18年の女性。週に5日コンビニに通う。就職か結婚という形で社会と接続するということが「普通」であり、そうではなくコンビニで働くことで社会と接続している自分は「普通」ではないと、周りの人からの指摘で自覚する。感情がなく、社会を冷ややかに客観視する彼女を、家族や周りの人は「治そう」とする。主人公が語る社会や社会との接続の仕方、「普通の人間」になろうとする姿が詳らかに表現され、人間の本質を思い知らされドキッとする場面も多い。

音の描写
 最初の1ページから、すぅっと作品の主人公であり語り手のいる世界に引き込まれる。この引き込む力の正体は、驚くほど具体的な音の描写だ。コンビニの中で聞こえる音が、詳細に、かつテンポ間を持って描写され、それらが耳に入り込んでくるような気さえしてくる。ペットボトルが売れて奥にある新しいボトルが前に出る「カラカラ」という音、コンビニの客がポケットに手を入れて小銭を出す「チャリ」という音。細かい描写によってコンビニの中に体が引き込まれ、2ページ目からはもうすでに、コンビニ店員になったような気分になる。

世の中の人はみな「○○人間」!?
 作品の中で、コンビニで働くアルバイトの人間がコンビニ人間になっていく様子や、そうなれずにコンビニを辞めていく人間が描かれる。人間はみな何かに属し、自分が属する先の一部となって、同じものに属する人間と一体になって動いている。それが会社であり、コンビニエンスストアであり、学校や家であるかもしれない。主人公の場合はそれがコンビニエンスストアであった。属する先の「歯車」になることで、社会に存在することができる。「歯車」になれないと、社会から排除されてしまうというような主人公が感じている違和感(主人公はそれを客観視していて恐怖に感じていないようだが、多くの人は恐怖に感じるから、何かに属したくなるのだと思う)に、共感する一方で、「歯車」になろうと努力している自分に気づき、少し悔しさをおぼえる。

周りの人のコピーによって、社会との接続の仕方を学ぶ
 
主人公は、周りの身近な人間のコピーによって、社会との「普通」の接続の仕方を学んでいく。同じコンビニで働く同年代の女性を「正しい三十代女性の見本のように思えてくる」と言い、ファッションや「語尾を伸ばしてだるそうに喋る」喋り方を真似る。「怒りが持ち上がった時に協調すると、不思議と連帯感が生まれて、皆が私の怒りを喜んでくれる」ことに気づき、怒りの感情がないにもかかわらず、身近なアルバイトの顔の表情を見て同じ場所の筋肉を使い、怒りの表情を作ろうと試みる。
 私自身のことをふと振り返ってみると、友達と会話しているときや何かの決断をするとき、「あの人ならどうだろうか」と身近な人のことを考えることがある。そして、「あの人ならどんな反応をするだろうか。」と、好かれやすい人や印象の良い人のまねをして社会と接してみようとする。主人公が感情のないセリフを吐き出す自分を驚くほど率直に暴き出すが、私の普段の友達との会話に果たして自分の感情がどれくらい入っているのだろうかと考えると、ドキッとする。

恋愛、そして結婚が、社会との接続を大きく後押しする ※ネタばれ注意
 恋愛とはまったくといっていいほど縁のない主人公に、小説の後半で変化が訪れる。男性と同居するという事実が、恋愛とはほど遠い形で実現するのだ。しかし、その事実は勝手に周りの人の想像によってストーリー化され、普通の人間ならば当たり前だといわんばかりに「恋愛」や「結婚」をストーリーに組み込もうとする。この社会(特に日本社会)では、恋愛や結婚が「普通」であることを象徴していること、社会に認められるために恋愛や結婚をする(意識はしていなくても本能的に)のが人間であることを思い知らされた。


 必死に社会と接続しようとする人間が描かれ、自分のそのような部分にドキッとしたり、惨めに思ったりする反面、感情がなく、周りの人をコピーしたり望まれていることを形にしたりすることで「普通」になろうと努力する主人公が一番「普通」なのではないかと考え、それに安心している自分もいる。人間が社会と接続しようとしている様子を客観的に、言葉にしてはっきりと表してくれたような気がして、読み終わるとなんだかすっきりとした感情も生まれる。普通になろうと努力して疲れたすべての人に、おすすめしたい一冊。


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