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ローマでお茶を

 ローマ滞在も4年目に入って、せっかくなのでローマらしいことをやろう、と突然思い立って、裏千家のお教室に通い始めた。え?ローマらしい?お茶ならわざわざイタリアでやらなくても?・・・実は、知るひとぞ知る、裏千家ローマ出張所(チェントロ・ウラセンケ)は、1969年開所した、ヨーロッパで初の出張所で50年以上の歴史を持つ。
 初めて伺って、聞いてはいたものの、そのすばらしいしつらえにまずビックリした。閑静な住宅街の中の落ち着いた、広い中庭のある集合住宅の一角、昔ながらの手動ドアのエレベーターを上がって、どっしりとした木製のドアから一歩入る。そこは日本、というのともちょっと違う。天井が高く、間口も広いので、まず広々としている。だが、土足が当たり前のイタリアのアパートで、上がり框こそないものの、土足禁止部分がうまく仕切られていて、脇には広い下駄箱があり、各自で脱いだ靴をしまうようになっている。(残念ながら日本の玄関にありがちな)脱いだ靴がずらっと並んでいるのは決して見目の良いものではなく、それがないためスッキリと気持ちがいい。
 入ったところは簡単な事務所になっており、左手奥が広い集会室、右手側は、まるで当たり前のように、そこが本格的な茶室になっていた。初代の所長でいらした野尻命子先生が、これまでのご苦労やエピソードなどを「ローマでお茶を チェントロ・ウラセンケ奮闘記」という本にまとめていらっしゃる。ああ、あれが噂の、桜の床柱・・・そして、帰宅して読み返して見て、このお茶室を含めて物件の確定から開所式まで、1カ月そこそこだったと改めて知り、仰天した。それも7月中旬から9月というほぼ夏休み期間・・・情報も物流も、この50年で比べ物にならないほど進化しているけれど、それでも、今、これを1カ月の突貫工事で作るのはもはや無理なのではないか。当時の、野尻先生の熱意あってこそとはいえ、日本の建築とはなんぞや、お茶室とは、と知識も経験もゼロだったところからここまで仕立て上げた、大工さんや職人さんらの仕事ぶりにも頭が下がる思いがする。
 
 その、ローマのお茶室でのお稽古。正座に苦労するだろうとは想像していたものの、実際はそれどころではなかった。まず、元々、不器用かつ激しい運動音痴なもので、手先から足先、体が全く、言われた通りのことができない(涙)。片手の指を揃えることに集中すると、もう体の他の部分はガタガタ。加えて、見様見真似で一回はやってみたところで、全く覚えられない(涙・涙)。普段は、そういった複数過程のあるものはメモを取るし、最近はメモがわりになんでもスマホで写真を撮って、スマホが自分の外付けメモリー、などと嘯いていたから、そのメモリーなしでは全く1から5のうちの1すらおぼつかない。同じ時期に、イタリア人の若い女性が通い始めて一緒に習っているのだが、やる気の違いなのか若さなのか、もはや置いて行かれそうな気しかしない。
 それでも、イタリア人のお弟子さんたちが、ビシッと和服を着こなし(あるいは練習着をまとい)、白足袋をつけ、お道具を揃え、お点前を学び、また終う、それを見ているのは何かとても気持ちがよい。そして、私も見様見真似でようやく、ヨタヨタとお茶碗を回し、一服をいただくとき、外から大きな教会の鐘の音がガランゴロンと鳴り響き、ああ、ここはやはりローマなのだと思ったりした。

 野尻先生は第一線は退かれて、出張所にいらっしゃる回数は減っているものの、ご健在で、ご著書のとおり相変わらず、欧州内を飛び回っていらっしゃるご様子。そして、私は、野尻先生のご著書にも登場する、エンマ先生に手解きを受けている。野尻先生に次にお目にかかる時には、せめて、帛紗くらいはきれいに扱えるようになっていたいものだが・・・。

「ローマでお茶を チェントロ・ウラセンケ奮闘記」野尻命子・著(主婦の友社)

10 mar 2024
#ローマ #ローマ生活 #エッセイ #茶道 #イタリア #日本 #お稽古 #イタリア事情  


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